5月26日

私はたまにデジャブを感じる。

ゲームをしている時に、会話の流れの節々に。

デジャブに対し、「あ、デジャブだ」と思った事すらも覚えていて、そう思考することすらもデジャブである。


だがデジャブを感じた一瞬から時間が経ってしまうと、それを感じた内容を忘れてしまう。さっき確かにデジャブを感じた。だがそれがなんだったのか…

忘れてしまっては対処のしようがない。

別に酷く困っている訳では無いが、たまに無意味に心配になるのだ。

例えば会話の中でデジャブを感じたとする。無の状態で会話をしてもデジャブは感じない。母の家事の音、テレビの中の芸人たちの声、父との何気ない会話、後ろで弟のいじるスマホから聞こえるゲーム音…それらの環境がデジャブを感じさせる。だが主体は会話の中だ。この話、前もした気がする。そう感じるのだ。単に似た会話を昔もした程度ならデジャブとは思わない。この家族の立ち位置で、私はテレビを見ていて、そして父と話をしていた。そしてこの会話は記憶がある。そう感じるのだ。そして考える。


これは以前もあった事だろうか、それとも夢で見た光景だっただろうか。夢だとしたら正夢…いや、実際に会話をした記憶が…その記憶は本当に正しいのだろうか?


あまりデジャブに関して深く考えると気味が悪くなるのだ。夢を見てて正夢になっただけだとしても怖くなる。私は時折リアルすぎる夢を見る。だからそのデジャブが夢の記憶なのか現実の記憶なのか…


これ以上書くと今はデジャブでは無いのにデジャブの気味悪さに溺れてしまいそうだ。今日はもうやめにする。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る