5月24日
とあるアイシングクッキー作家さんが、ドット絵のアイシングクッキーを作る動画を見た。確かに画力や迷わず正しいところに色を乗せるドットの技術も凄い。だがその動画ではチョコペンと思われる物で線を引くところから始まるのだ。その線が麻糸ならば布にでもなりそうなほど細かく線を引いていた。フリーハンドで。よく考えて欲しい。定規を使わずに真っ直ぐな線を引くことがどれほど大変かを。そのアイシングクッキーの作家は画力も凄いがそもそもの「真っ直ぐな線を引く」という超基礎的な部分がとても上手い人だと私は思う。
小学生の頃、誰しも国語の時間の中に「書写」と呼ばれる時間は無かっただろうか。恐らく習字の時間や、延々と綺麗な書き取りをさせられる時間として覚えている事だろう。
小学1年生や、場合によっては幼稚園児の頃、漢字の一の字や縦の線、ぐるぐるうずまきを延々と書かされたことは無かっただろうか。この時間を嫌だと思った人は居ないだろうか。少なくとも私は、そんな書写が大嫌いだった。
大きくなった今ではその当時の新鮮な気持ちは忘れてしまっている。憶測と朧気な記憶だが、私は恐らく特になんの意味もなく本能的に嫌っていた。
母親曰く、漢字の宿題も1文字…いや、たった1本の線を書くことにすら1時間以上かけていたらしい。私もよく祖母が夕飯の準備をしている後ろで宿題をサボり手わすらをしていた記憶がはっきりある。
面倒だったのかもしれない。漢字が苦手だったのかもしれない。理由ははっきりとは覚えていない。文章問題のプリントは遅かっただろうがやっていた記憶だ。漢字だけ嫌がっていたのだ。得意な宿題以外はまるっきりやる気がなかった。
普通の人からすれば、やる気の問題だとか、集中力が足りないだとか思われるだろう。後にこの異常児ぶりは発達障害と判明するが、当時母親は担任からの「検査を受けませんか」という誘いに対し、「自分の子はそんな変な子じゃない!」と突っぱねていたらしい。だからその集中力の無さはやる気の問題だと母親や祖母によく叱られた。叱られると余計にやる気が失せた。もとよりゼロだったが。
話はそれるが、この頃の母親の対応には思うところもあるが、感謝もしている。クラスで浮きはしたが、普通の人と同じ生活が出来た。1年生の頃の担任の申し出を素直に受け検査を受けていたならば、私は特別学級に編入か、「普通の子じゃない」扱いをされ、今の自分はいなかっただろう。少なくとも中学時代から続いている友人と出会うことは無かったはずだ。
話を戻そう。とにかく私は書写を嫌った。ついでに授業中の黒板の板書も嫌った。新学年になりノートを新調しても半分以上真っ白という事はざらだった。故に、子供時代に練習しておくべき真っ直ぐな線の引き方をほぼやらずに大きくなってしまった。
だが変わるきっかけが訪れる。
小学6年生の時だった。校外学習で江戸時代の民家のような建物がある場所に行った時である。当たり前のように、聞いた事を同じスピードで書き写す事が大の苦手だった私は、集中力も散漫に、集団の後方で話も聞かずにぼうっと民家を眺めていた。すると担任の先生に声をかけられた。
「少しでもいいから聞いたお話書いてみない?」
そんなこと言われるのは初めてだった。なんと返したかは覚えていないが、嫌な風に、ムッとした感情で捉えた記憶は無い。何故かすんなりやってみようという気になれた。今までの担任達にそんな事言われた事は無かった。新鮮と言えば新鮮だった。だがそれに対して嫌とは思わなかった。あなたが言うなら…程度だった。言い方なのか、人柄なのか、分からないがすんなり受け入れたのだ。
だが当然他のみんなのように、スラスラと書くことが出来ない。恐らくみんなは聞いた事を箇条書き程度にメモしていたのだろう。だが当時の私は聞いた言葉をそのままメモするのが精一杯だった。だが一語一句書きとめようとしては遅れをとって当たり前。ましてや書く練習をして来なかったぺーぺーが。上手く書けずにもがいているとまた声をかけられた。
「ちょっとずつでいいんだよ」
その言葉もすんなり受け入れられた。
(あ、無理して全部書かなくていいんだ)
当然と言えば当然の事実だが、当時の私からすれば衝撃の事実だった。
書きながら思い出した事だが、昔の私…もしかしたら今もだが、1か100かしか考えられなかった。中途半端になるくらいならいっそまるっきり書かない。そう考えていた。だから長期休みの宿題も中途半端だから出せなかったのだ。
話が逸れた。戻そう。
とにかく衝撃だったのだ。言われた通り、聞き取れた言葉や重要そうな単語だけ書いてみた。これなら出来そうと、その後回った歴史資料館でも重要な事だけ書くようにしていた。校外学習後恒例の新聞作りに足りる内容量では無かったが、その辺は何とか引き伸ばし、無事新聞を完成させた。小学生人生初、自分がメモした資料だけで作った新聞(レポート)である。
ここから私の文字を書くという行為に対する意識は変わり始めた。中学の頃には理科の授業(得意科目)のノートを使い切るまでに成長した。高校の頃からはほかの教科も板書できるようになった。
だがやはり遅れというのはあるもので、小学校の卒業文集を書く頃、自分の字の汚さを呪った。全ては、今まで書き取りの練習をしてこなかった自分の責任だと理解している。だからこそ悔しかった。何故そんなにも時間を無駄にしてしまったのだろうかと。
字は正直今でも汚い。だからこそ、最初の話題に戻るが、真っ直ぐ線が引ける人はすごいと思うのだ。ちゃんと幼少期からの積み重ねを行ってきているのであろう。
今からでも遅くないかもしれない。
見習いたいところである。
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