労災で死んだので異世界チート無双できると思っていたら、絶対に戻りたくない暗黒の中学時代にタイムリープしてしまった

瀬々良木 清

プロローグ

 二〇二一年、夏。

 稲垣大吾は、東京のクソ暑い工事現場で、今日も働いていた。


「はい休憩! 水分補給! 熱中症になったら大変ですよ!」


 手を止めようとしない建設現場の職人たちを、大声で無理やり休憩させる。

 稲垣大吾の仕事は、土木工事の施工管理技士。いわゆる現場監督である。

 監督、と言うと聞こえはいいが、実際には会社の上層部やベテランの職人たちに挟まれた、極めてたちの悪い中間管理職である。工程の管理、職人の手配、上司への報告、手数が足りない時には自ら現場作業を行う。かつての現場監督は皆から尊敬されるポジションだったが、人手不足とゼネコンによる建設業界組織の変遷で、今や現場では最も過酷で弱い役職へと変わった。

 大手ゼネコンに入社し修行を積んだあと、現場監督になった大吾は今日も、自分よりベテランの職人たちが闊歩する現場を、苦労して運営していた。特に、人身災害が発生すると、しばらく工事が止まってしまうし、何より自分の前で誰かが怪我をするのは絶対見たくなかったので、それだけは避けたかった。


「あーっ、村木さん! 積荷の下入っちゃだめでしょ!」


 ちょうど村木という、ひげもじゃの年老いた職人が、クレーンで釣り上げられた鉄骨の下に入り、頭上を見上げていた。万が一吊り荷が落下した時のため、荷の下には入らない。基本的な事なのだが、年配の職人では守らないことも多かった。


「あー?」


 村木は自分より若い大吾に指図されるのが気に食わないのか、不服な表情のままだった。大吾は村木のそばまで行き、無理やり吊り荷の下から離した。


「これくらい、心配ねーべ」

「危ないんですよ! 僕の前で死ぬのだけは許しませんから!」


 建設現場では、ふとしたミスで命を落としてしまう事例がよくある。大吾は、自分の出世や、収入のことはあまり気にしていないが、安全だけは気をつけていた。


「ほーん」


 大吾が大真面目に言うと、村木は納得したのか、あるいは大人しく従った方がいいと思ったのか、吊り荷の下から出た。

 大吾は、実はとても気弱な正確で、元ヤンキーやどこから流れてきたのかわからない人の多いこの業界には、明らかに不向きだった。しかし大吾は身長一九七センチ、体重一〇〇キロという恵まれた体格をしており、職人たちの中でも群を抜いてデカかった。そのおかげか、現場監督には不可欠な貫禄が自然と身についており、職人たちは、指示されれば大人しく聞くのだった。

 この後も大吾は、安全帯をつけずに高所へ登ろうとしたり、一人で無理な量の荷物を運ぼうとしている職人を見つけては、注意を繰り返した。

 こうして戦場のような一日が終わり、職人が帰った後は一人、現場事務所で書類の作成を進める。大吾の平均的な残業時間数は月百時間に迫っており、超えそうな分はサービス残業。しかし、安定した職業であるこの仕事を失わないため、業界の常識に合わせる形でこの仕事を続けていた。

 家に帰ったら、ビールを飲んで、死んだように眠る。

 休日はほとんどない。暇な時はパチンコ。職人たちと話を合わせるために始めたのだが、大吾の好きなアニメがパチンコ化されている事もあり、いつのまにかハマっていた。残業した分の給料は出るので、大した出費ではなかった。

 彼女はおらず、特別な趣味もない。

なんでこんなつまらない人生になってしまったんだろう、と何度か考えたことはあった。しかし、考えても、今更過去に戻ってやり直せる訳ではないし、これまで適当に生きてきた自分の責任もあるので、心優しい大吾は誰かのせいにするということもできず、あまり深くは考えないようにしていた。

 気づけば三十歳を超え、周囲の人間たちは皆結婚し、家庭を持っている。自分には、一切そのような機会は訪れそうにない。

ただただ地獄のような日々を日常として、大吾は生きていた。


* * *


ある日。

大吾は、現場にて、また例の村木という年老いた職人が、吊り荷の鉄骨の下に入っているのを発見した。一度言ったのに、年寄りの職人はなかなかクセが直らない。大吾はそれも知っているので、またか、と思いながら、大吾は村木に近づいていた。


「村木さあーん、吊り荷の下には入っちゃだめって言って――」


 大声でそう言った瞬間、大吾はとても不穏な空気を察知した。

 地震だった。

 立ちくらみのように地面が揺れ、当然、鉄骨を釣るラフタークレーンも揺れる。

 幸いにもクレーン自体が倒れることはなかったが、鉄骨を留めているロープが、揺れの衝撃でほどけていくのを大吾は見た。


「危ない!!」


 大吾は、気がつくと駆け出していた。

 このままいけば、村木さんは鉄骨の下敷きになって死ぬ。


 嫌だ。人が死ぬところを、目の前で見るのだけは嫌だ。


 その強い思いで、大吾は村木を猛烈な勢いで突き飛ばした。


「――っ」


 しかし、自分がそこから退避するのは、間に合わなかった。

 真っ赤な鉄骨が、大吾の頭上に、重力に従って降ってくる――


* * *


 大吾の世界が、真っ白になった。

 痛みは感じなかった。ただただ無感覚で、現世の存在から全て開放されたような気持ちになった。

 鉄骨の下敷きになったら、まず助からない。自分は、死んだのだ。

 大吾は、そのことをあまり悲しく思わなかった。家庭がある訳でもなし、現世に残す物は何もない。両親くらいは悲しむかもしれないが。あるいは会社の上司は、死亡災害で現場が止まることに激昂するだろう。まあそれくらいだ。

 もう、現世に戻りたいとは思わない。

 せっかくだから、次は異世界に転生したいな、と大吾は思った。

 最近見たアニメやWeb小説の主人公のように、異世界に転生し、チートスキルを手に入れて無双する。あるいはスキルがなくても、大吾は現代の土木技術者だから、昔はなかった建設物を次々と建て、出世するのもいい――

 そんなことを考えたところで、大吾の意識は心地よいなにかに包まれ、おだやかに眠るように消失していった。

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