第64話 眠れる爆弾たち

 佐々木豊は、逃げようと思えば地上へと逃げられたのに、怪物を追ってきていた。坂下の部下が残した銃を手に、神原浄のそばに駆け寄ってきた。

「大丈夫か?」

「ああ、佐々木。バカだな。地上へ脱出できたのに……」

「女刑事さんは、そうした。私は眼鏡が無いまま、暗闇を進めなかった。それに、きみを置いてはやっぱり逃げられないし、好美の無念を晴らすためにこうするしかなかったんだ」

「よくここまで来られたな」

 神原は佐々木の目を指した。近眼には闇はつらかったはずだ。

「半日の地下生活で暗闇に慣れてしまったのかも知れないな。眼鏡が無くても不思議と進むことが出来たんだ」

 そう言うと、佐々木は立ち上がりかけた窪田シゲオを銃床で一撃すると、銃口を怪物に向けた。

 窪田は床に倒れ、歯なのか骨なのか分からない断片を飛び散らせた。

「好美のぶんだ」

 怪物は佐々木に向かって歯茎をむき出した。その途端に黒い血が飛び出し、傷口の深さが目立った。

「私の視力は0・3だが、目が見えなくても殺せるぞ!」

 佐々木は怪物にとどめを刺せると思った。何しろ、娘は目の前の怪物に殺されたのだ。その権利はあると思った。佐々木の目はその激情で濡れていた。

「汚らわしい化け物め!」

 怪物には、主人を傷つけられたという怒りのガソリンが注がれていた。顔を半分砕かれながらも、怪物は身を起こし、今まさに弾丸を発射しようとする男に突進した。

「町から出ていけ!」

 佐々木は引き金をひいた。

 だが、その弾丸は怪物を大きく反れた。

 佐々木は突進を避けようと身を投げたが遅く、下敷きになり背骨を砕かれた。地面に散らばるあばら骨がいくつも突き刺さった。……だが、痛みを感じることはなかった。一瞬で、脳を割られ、すべての骨を潰されたからだ。

 だが、佐々木の行為は無駄ではなかった。

 代わりに弾丸は洞窟の奥に流れ着いていたボンベを引き裂いた。銃弾は引火を呼び、たちまち炎が広がった。爆発の勢いは他のボンベを巻き込んだ。洞窟のあちこちに置かれたクロロホルムが燃え、辺りに爆炎が広がった。衝撃は洞窟内を揺るがし、鍾乳洞の石柱群を倒した。そして、眠れる獅子を起こすように、洞窟の奥底で眠っていた鉄の塊を揺すった。それは体内に火薬を抱えており、その威力を何十年も保っていた。

 不発弾が目覚めた。

 天と地がひっくり返るという形容がふさわしい地響きが起こった。爆発の威力は、トンネル内のほとんどの天井を崩落させた。何百年も空洞を支え続けた木材をすべて折り切り、すべての岩を割り砕いた。あの霊を捕らえていた触手が土砂に埋まり、囚われの霊たちが下水とともに外へ吐き出された。

 不発弾は、神原たちが見つけた一発だけではなかった。

 鍾乳洞には眠れる爆弾があちこちに埋まっていた。太平洋戦争時に空から落ちてきたものをまるで宝物を受け取ったかのように、今まで抱きかかえていたのだ。

 そのすべてが爆発した。

 地上では、その勢いでマンホールの蓋が弾丸のように飛び、いくつかのビルの窓ガラスを割った。割れた地盤に立っていた建物は揺らぎ傾いた。老朽化した建物の幾つかは自らを支えられず、倒壊した。突然、沈下した道路を走っていた自動車が横転し、電柱を折った。噴出した土煙が矢河原の町の一帯を包んだ。

 神原も滝のように落ちてきた岩石の下敷きになった。鉄骨の一部が、神原の胸を串刺した。

 激痛が神原を襲った。……だが、絶命には至らなかった。

 痛みの中で目を開けると、そこに霊喰いの巨体があった。偶然にも盾となったのだ。神原を守ろうとしたわけではないが、鉄骨が深く食い込むのを防いだ。

 怪物も生きていた。呻いて泣き叫んでいた。

 主の窪田シゲオに助けてもらいたいと乞うていたが、その声が届かぬことに気づいて痛みにめそめそと泣いていた。

 神原が驚くべきことにまだ怪物は立ち上がろうとし、生きることを止めない決意みたいなものが見えたことだ。

 爆発の威力にも関わらず、トンネル内には怪物が動けるだけの空間が残っており、頭上には小さな光が見えていた。暗闇で生きてきたはずなのに、怪物は光を求めるかのようにずるずると動き出した。その時、ちらりと神原を見たはずだが襲ってはこなかった。

 先に、窪田シゲオを救おうとしていた。

 怪物は主人の顔を見つけると、まるで子犬のように頬を摺り寄せた。

「よよよ、よしよし、レヴィ」窪田が消えそうな声で言った。

「……か、可愛いやつだ。痛かったかい? ぼぼぼ、ぼくは動けない」

 怪物が半分に千切れた舌で窪田を舐める。そのどす黒い血で窪田の顔面が染まった。

「そそそ、外へ連れ出してくれ」

 窪田はまるで子供に説明するように語っている。ごぼっとヘドロのような固まりが窪田の口から落ちた。いつもくちゃくちゃと噛んでいたガムだ。黒く汚い肉の固まりに見えた。ようやく吐き出させることが出来たな、と神原は思った。

「……ほかの町へ、行こう。……ここは飽きた」

 そう言うと、窪田はがくりとうなだれた。

 霊喰いの化け物は、まるで犬のように高らかに吠えた。

 悲しげに遠吠えした。

 その声は、神原がいつか聞いた野犬の声に酷似していた。

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