第35話 脅迫電話
「誰だ? 何の用だ」
「誰でもいい。ちょっと挨拶したくて電話させてもらった。あんたのこと調べさせてもらったけど、……あんたホンモノじゃないね」受話器の向こうのダミ声が言った。
「何のことだ?」
「刑事じゃないだろ」
「おれは、自分が刑事だと名乗った覚えはない」
「……それってズルいな。てっきりそうだと思ったのに」
「……てことは、あんたはおれの顔見知りってわけだ」
神原が故郷に戻ってきて日は浅い。出会った人間の数は、たかが知れた。足の無い少女の霊、警官二人、ヤンキーの少年霊、水口老人、ヤブ医者、葉月道子と部下……思いつくのはそれくらいだ。ああ、そういえばサカガミ社に何人かいた。
「おまえ、坂下か?」
神原の脳裏に倉庫にいたヒゲの男が浮かんだ。
「違うよ。あんたとは口をきかなかった」
なるほど。つまり、工場にいた連中のひとりか。まさか、大チワワといっしょにいた研究所の所員ではあるまい。
「少なくともサカガミの人間ってわけだ」
「……何のこと言ってるのか分からないな。だけど、この際だから言っておくけど、ニセモノのくせにこの町をいろいろと調べまわるのはやめといたほうがいいぜ」
「ニセモノって呼ばれるのは、いい気分がしない。それに、おれが自分の町で何をしようが勝手だろ」
「何年も帰ってなかったくせに」
電話の向こうの相手は、ずいぶんと神原浄のことを調べたみたいだった。ここが警察署なら逆探知を頼むところだが、あいにく自宅にそんな装備はない。神原は電話を引き伸ばして、相手の正体を突き止められないか考えた。
「ずいぶんとおれのことを知ってるじゃないか。この電話は何かの脅しのつもりなのか? おれのことをニセモノだと分かったなら、その意味もないと思うんだがな」
「あんたに、しゃしゃり出てもらいたくないんだ」
「そりゃ、何のことだ?」
「あんたが、いろいろと町をうろつかれると困る人がいるんだよ。その人が困ると、おれも困る。そしたら、町の全員が困ることになる」
「ずいぶんとおれを買ってくれてるみたいだ。そんなに影響力があるとは知らなかったよ。選挙にでも出ようかな」
「そのときは票を入れるよ。……だから、今は余計なことはしないで酒でもかっくらって、大人しくしててくれよ。さっき、酒屋にいただろ。追加を注文して届けてやってもいい」
「ずいぶん親切なんだな。出来れば、もちろんそうしたいさ」
「だろう? 約束してくれよ。しゃしゃり出ないって」
「そんなつまらん約束はしない。おれが何しようが、おれの勝手だ」
「面倒起こさないでくれ。つまらんことに口を出すと死ぬぞ……」
「死ぬときたか……実はな」
神原が「実は、おれは死にかけているらしいぞ」と言おうとした途端、受話器の向こうの声が途切れた。念のため呼びかけても、ダミ声の返事はなかった。
神原は電話を戻すと、ソファに戻った。
死ぬぞ――と、きたもんだ。
今のは誰だ? おれはこの町に戻ってたった二週間だ。そして、刑事ごっこをしたのは今日だけだ。それなのに、いきなりこうした脅迫電話が鳴った。……どうやら後を尾けられたようだ(神原は窓の外を見たが、誰の姿もなかった)。
しゃしゃり出るなとはどういう意味だろう?
刑事への脅しだとして、捜査への妨害ならおれへ電話してくるのは筋違いというものだ(女刑事の葉月道子にも電話があっただろうか?)。おれはもう警察を辞めたワケだし、誰に命令されて町のあちこちを調べているんじゃない。
――もしかして、今日一日の聞き込みだけで、矢河原署の連中が近づけなかった事件の要点に触れたのかも知れない。
それは何だろう?
神原はしばらくそれを考えた。
……だが、一日を振り返ってみても特別なことをしたとは思えなかった。考えられるのはますますサカガミ工場へわだかまる思いだ。あの工場で見た不気味な研究、そして浄水場に現れた赤い女の霊にしろ、神原は自分がよからぬ場所へ足を踏みこんでしまったのを感じた。
その踏み込みが、もはや後戻りできない境地にあるのかも知れない。
携帯電話を見た。――葉月に尾行があるかも知れないと警告すべきだろうか。
いや、止めておこう。
そこまでの義理が一日で生まれたとは思えず、神原は苦笑してソファに横になった。
死ぬ――ときたもんだ。もっとひどい忠告を神社の老人に受けたよと神原は思った。水口老人に死を伝えられたときは動揺し、医者に駆け込んだくらいだったが、いまの神原はなぜか身のうちにある炎が炊きつけられるのを感じた。
謎と恐怖の連続、そして脅迫が刑事魂にガソリンを注いだようだ。死にかけていると言われたのに、なぜか生を感じるのだ。
……そして、夜明けにはこの街の地下へ潜るつもりなのだ。
いまは事件の真相を知ることや、及川好美の足を見つけるといったやるべきことがある。水口老人に言われた、「役割」といったことばが頭をかすめた。
神原はグラスに酒を注ぎ足し、それまで仮眠をとることにした。
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