女子高生とコインロッカーベイビー

葉羽

ああ生まれ損なった





「ごめん! 明日は部活のミーティングがあるらしくて……今度埋め合わせするから、ほんと、ごめん!」

「ううん、大丈夫。こっちこそ忙しいのにデートなんか誘ってごめんね」

 彼が顔の前で手を合わせて頭を下げるのを、無感情に見ながら言った。

 私に反省点はないのになぜ謝ったのだろう。つい口から溢れた言葉に自分が一番困惑している。

 明日は私の誕生日だ。今年始めて彼氏ができて、浮かれていたのが悪かったのだろうか。

 彼にドタキャンされて、前日の午後に全ての予定がパーになった。

 二人でなら大丈夫だろうと頼んだ大きめのホールケーキ。初めてのデートだからお洒落をしようと、恥をしのんで店員さんにコーディネートをしてもらった全身の衣服。一緒に行こうと思い買ったテーマパークのチケットも無駄になってしまった。

 サプライズだと勝手にはしゃいで、何も伝えずにいたのが悪かったのだろうか。一度でこんなにお金を消費したのも今回が初めてだったのに、全て意味がなかったと考えると虚しくなってくる。

 だが、部活なら仕方がないのだろう。

 帰宅部の私にはわからないが、いつも部活動に加入している生徒は忙しそうだ。学校にいる間も休日の間も、いろいろと打ち合わせがあるのだろう。

 それに、きっと私は部活をがんばる彼を引き止められるほど強くない。

「んー、明日どうしよ」

 予定でいっぱいだったはずの休日が空いてしまった。どうするのかも思いつかず、ぼんやりした頭のまま、いつの間にか着いた家のドアをくぐった。

「お母さん、ただい……」

「それで呼ばないで。何度言えば分かるの」

「……ごめんなさい、美奈子さん。掃除、するね」

「……お前なんて生まなければよかった。 お前が生まれたからっ、お前の、お前のせいでっ!!」

「ごめんなさい。ごめんなさい」

 お母さんは最近、一層不安定だ。きっと私の誕生日が近いからだろう。

 私は望まれた子供じゃないから。

 積み上がった一人分の洗濯物を冷たい指先で畳む。お母さんは私のものと一緒に洗濯をすることすら嫌なのだとか。

 お母さんの服をたたみ終えたら、次は掃除機。その後は食器洗いと夕飯作り。

 じゃがいも、にんじん、玉ねぎに糸蒟蒻。近所のスーパーで安かったちょっぴり高い牛肉を入れる。家庭科で習った料理のさしすせそを使い、鍋で肉じゃがを染みさせていく。

 お母さんは私が家に帰ると同時に、入れ替わるように外へ出かけていく。

 どこにいるのかは知らない。聞いたこともない。

 ボーッとしていれば、鍋からグツグツと音が鳴った。蓋を開ければふわりと独特の匂いが鼻の奥をくすぐる。4等分にしたじゃがいもに竹串を刺せば、力を込める間もなく埋まっていった。

「いい感じじゃん! めっちゃおいしそう、私ってば天才!」

 本当はもう少しおいた方がおいしいが、私はこれで撤収しよう。そうしないとお母さんが帰って来れない。

「……今日は食べてくれるといいなぁ」

 鍋にもう一度蓋をし、粗熱が取れたら冷蔵庫の中へそっと置く。通学用リュックから取り出したメモ帳に細いボールペンで、『肉じゃがです。よかったら食べてください』と書き置きをしてから自室へ向かった。

 小学校のころからの愛用品である毛布にくるまり深呼吸をすると、ぼんやりと今日あったことが蘇る。

 いつも通り高校に行って、彼と一緒に帰ろうとして……

「あ……私、明日なんにも予定ない」

 お母さんにはもう伝えてしまったから、明日は一日中外にいなければいけない。

 だが、本来するはずだったことをそのまま一人で実行すればいいだけ。簡単な話だ。

 そう気がついてからはなんとなく身体が軽くなって、オレンジの薄暗い照明スタンドが眠気を誘う。

 使いすぎてペラペラの、でもなぜか暖かい毛布に包まれながら、私は17回目の誕生日を迎えた。


 *


「ん、うぅ……んまぁ、まーま、まぁ」

 ガヤガヤと騒がしい駅の中。いつも乗る駅なのに、時間帯が変わるだけでだいぶ印象も違ってくる。それに休日だからか普段以上に人通りが激しい気がしてくる。

 今日は夏が本格的にやってきた。気温も湿度も高く、午前中でもお構いなしに照りつける太陽と合わさって、屋外にいると汗が止まらない。

 そんな中、私はデートで着る予定だった白のワンピースに身を包み、コインロッカーの前に立っていた。

「……」

 手に、小さな赤ん坊を抱いて。

「……ままじゃないよ。あなたのままはもういないよ」

「んぅ?」

「……」

 赤ん坊にはまだ言葉がわからない。当然だ。この子はきっと、まだ生まれて1年も経っていない。

 何度も何度も聞いた単語を、なんとなく声に出しているだけ。

 ままと言ったのはこの騒音の中だとしても私の聞き間違いではないはず。なら、少なくともこの子にままという言葉を教えた人物はいる。

 その人がここへ置いていった……捨てたのだろうか。

 起きて、適当なメイクをして、髪型を整えて。順番なんてもうどうでもいいから、朝のうちに1番遠い映画館へ行こうと駅に向かった。

 ――その先で、赤ん坊の声がした。聞き間違いを疑うほど微かなのに、燃え盛る蝋燭のように激しく生命力のある声が。

 映画の時間も電車の時間も、もちろんながら忠実に定められている。

 不確定で可能性の低いそれ。放っておけばいいのに、私はいつのまにか血相を変えて走り出していた。

 すぐにコインロッカーから声が聞こえることに気が付いた。もしかして、そんな妄想が現実になりそうで背中に冷や汗が伝う。体温が下がっていく感覚。さっきまで暑かった駅内が、急に冷房でもつき始めたのかと勘違いするほど冷えていく。

 確実に、ロッカーの中にいる。

 確信した私は近いコインロッカーを片っ端から開けていった。コインロッカーなのだから鍵がかかっていて開かないのが想像できたはずなのに、私は一心不乱に全てのロッカーを確認した。

 探し始めて5分ほどが経った。

 一番下の、鍵のかかっていない小さなロッカー。そこで、不透明な黒いビニール袋に入ったこの子をみつけた。


 **


「……どうしよう」

 田舎ではないから、本来乗るべき電車を逃しても、今すぐに向かえば映画には間に合う。

 でも、赤ん坊を拾ってから恋愛映画を見る気には毛頭なれるはずもない。

 ――駅員さんに届けたほうがいいのだろうか。もしくは警察? どちらにせよ、養護施設に行くのは間違いないんだろうな……。

 片親か、それとも未成年の親の子供か。こんなに幼くして捨てられるなんて、この子の家族はどんな家庭環境だったのだろう。

 ――

 そこまで考えて、ハッと思考が止まる。

 私、なんでこんなに落ち着いていられるの?

“普通”、捨てられた赤ん坊を見つけたらもっと動揺するはず。かわいそう、どうしてこんなことを、ってこの子を憐れんですぐ警察に駆け込むはず。

 なのに、私。

 今……何考えてた?

 この子を捨てた親側の視点で、“捨てたくなるのも仕方ないな”って、考えてた?


「私、ほんっと最低だ」


 つい耐えきれなくて、視界に入る人全員が私を責めているような気がして、早足で駅から飛び出した。

 炎天下のアスファルトがじりじりと音を立てる。蝉の叫び声が耳をつんざく。人々の喧騒は留まることなく頭の奥で鳴り響く。

 そんな暑苦しい世界の中、私だけが冷たい最低な人間だった。

 何も考えたくない。でも、この子はどうにかしないと。

 どこかへいかないといけない、そう思った私は、おでこに張り付いた前髪を整える余裕もなく、幼いころによく行った大きな公園へ歩いた。

 噴水から噴き出す水飛沫が太陽に反射してきらきらと輝いた。水着姿の子供たちがびしょ濡れになりながらきゃらきゃらと笑っている。

 そんな光景から目を背けるように、公園の隅にある木陰に腰を下ろした。

 赤ん坊はすうすうと穏やかな寝息を立てて眠っている。よだれが私の腕に垂れているのを見て、今日初めての笑みが溢れた。

「ふふ、かわいい」

 まろい肌のこの赤ん坊には、見る限り擦り傷一つついていない。至って健康そうな、言わなければコインロッカーに入っていたなんて誰もわからない子。

 現段階では、この子が女の子か男の子か、それすらも私にはわかっていない。なのに、私の中には「この子を守らなければ」という使命感がいつの間にか産まれている。

 赤ん坊は生き残るために加護欲をそそる可愛らしい姿をしていると聞いたことがある。ああ、なるほどこういうことかとやっと納得できた。

 小さなバッグにはこの子が入れられていた黒のビニール袋が詰め込まれている。100円ショップやコンビニでも買えそうな薄い袋。

 私が気がつかなければ、この袋の中で誰にも知られずひっそり死に、溶けたところで見つかるのだろうと嫌な想像が簡単についた。

 だから、結果としてよかったのだろう。私はいいことをした、そう言ってもいいだろう。

 私の予想からすれば、この子は疎まれて捨てられたのではない。この子を邪魔だと思う一人が独断で捨てたのだ。

 本来、赤ん坊を捨てるなら生まれて間もない方が楽でいい。この子は生まれて一年ほど経っている。赤ん坊が単語を話せるようになるには約一年ほどかかるからだ。

 小さな子は暴れないし、なにより間違えて生まれてしまった子なら早く消えてほしいと願われる。大変な赤ん坊を約一年も甲斐甲斐しく世話なんてしない。

 この子は、実の家族に望まれて生まれてきた。だけど、第三者の手によってコインロッカーに置き去りにされた。

 もともとおかしいのだ。コインロッカーに赤ん坊を捨てるなら、普通は鍵をかける。それに、黒のビニール袋はしわくちゃで汚れがついていた。この子を捨てた人は計画性のない人だったのだろう、どうやって捨てるか考えておらず、たまたま道に転がっていた黒のビニール袋に入れ、急いでコインロッカーに押し込んだ。

「……こんなこと考えたってどうしようもないか。ねぇ、あなたはどうしたい?」

 推理小説の真似をしても誰も私の声を拾わない。

 まだ眠っている赤ん坊に、独り言のように声をかける。当然返事はない。

 穏やかな寝息をたてるこの子は、私がいなければあのままひっそりと死んでいたかもしれない。そう考えるとゾッとする。

 この子の明るい未来を、無責任に奪おうとする人が許せない。

「ねぇ、聞いてよ。私、あなたと違って家族に愛されてないの」

 赤ん坊用のかわいらしい服を着たこの子を見ながら呟く。

「生まれたのが間違いなの。私はお母さんの子だけど、お父さんの子じゃなかった。お母さん、20歳のときにレイプされたんだって。そのときにできたのが、私なんだって」

 誰にも話したことのない、誰にも話したくなんかない話。似たようで全く似ていない境遇のこの子になら話してもいいと思えたから、小さな声で進めていく。

「お母さんの話が本当かどうかなんて私にはわからない。でも、少なくともお父さんはそれを信じなかった」

 私は血のつながったお父さんも、そうじゃないお父さんも見たことがない。私にとって家族はお母さんしかいない。

「お父さんは私が産まれてすぐに家をでていった。だから、お父さんがいなくなったのは私のせいなの。私がお父さんの子供じゃなかったから、私が上手く生まれ損なったから。全部、私のせいだった」

 風が吹く。木がざわざわと揺れ、木漏れ日がゆらゆらと蠢く。

「お母さんは、私のことが大嫌いなの。でも私にはお母さんしかいないから、もう、どうしようもできないの」

 ふと視線を上げると、遠くの方に見覚えのある顔が目に映る。

 楽しげに、笑いながら女の子と噴水で水遊びをする男。

「……いつも、家に帰ると言われる。お前なんか、生まれなければ、って。きっとあなたは違うんだろうね。他の人が妬みたくなるくらい愛されてたんだろうね」

 こちらには全く気が付いていない様子だ。私の家がここにあると教えたことはなかっただろうか。

 でも、もうショックは受け慣れている。

 私は受け入れることにした。どう足掻いたって、私の人生はこんなものだと諦めるしか道なんてないのだと。信じたらその分私が傷つくだけだと知っているから。

「……お母さんに歯向かったこと、一度もないんだ。偉いでしょ、本当なら反抗期とかきてる時期なのに」

 違う。私は、お母さんを信じたかった。私のお母さんは、血のつながった娘である私をいつか愛してくれると、ずっとずっと信じたかった。

 反抗期は幸せな家庭に産まれた恵まれた子にしか訪れない。だって、私が反抗する相手なんていないのだから。

「私、もう諦めていいのかな。本当に生まれなければよかったのかな。なんか、疲れちゃった」

 ――そんなに嫌いなら、捨ててくれればよかったのに!!

 何度も思った。何度も心で叫んだ。でも、直接言う勇気なんてなかった。

 今でも私は愛されたい。

 生まれただけで喜ばれたかった。健やかに育つだけで褒められたかった。テストで100点を取れたときには、すごいねって頭を撫でてほしかった。

 だから私は。

 私はこの子が、ずっと羨ましかった。

「変な話聞かせちゃってごめんね。私とであったことも、全部忘れていいから。あなたは恵まれた子供だから、私なんて綺麗さっぱり忘れて幸せになるんだよ。……交番、そこにあるから行こっか」

 本当はこの子が羨ましい。妬ましい。私もこの子みたいになれたらって、今まで何度も願った。でも私には無理だ。どう足掻いても私は幸せになれないし、なろうとも思えない。

 誰にも望まれない人生は、なにをしたって楽しくない。

 交番にわけを説明して、赤ん坊を預ける。腕を離れていく体温は、私の幸せも一緒に奪っていくようだった。

 始終眠っていた赤ん坊は、最後だけ目覚めて私にぷくぷくした手を伸ばした。握られた指を見つめて、やっと決心がついた。










 今日はとてもいい日だ。

 空は晴れ晴れとして暖かく、公園では子供たちが何に囚われることもなく笑顔ではしゃいでいる。

 家に帰れば美味しいご飯とふかふかの毛布がある。

 優しい家族に囲まれて、みんなでしょうもないテレビを見たりして。

 ああ、幸せだ。

 私以外の人間は。


 屋上から見下ろした街の風景が、いつもより綺麗に見えた。



 ***



「ヒロくん、こっちであそぼうよー!」

「うんっ!」

 短い足で小さな子供が公園を駆け回る。

 いつもの光景だ。この公園は遊具がたくさんあるし、夏には噴水ができて遊び場には困らない。

 近くには大型ショッピングモールが建てられたこともあり、最近は人気に拍がかかっている。

「わぁ……! みてみてっ、水がでてる!」

「はやく行こ!」

 この二人の少年は近くの孤児院で育っている。

 近くと言っても、ここから車で30分ほどかかる場所だ。今日は孤児院の職員に、広いこの公園に連れてきてもらったのだ。

 ヒロと呼ばれた少年は、噴き出す水に興奮しながら駆け寄ろうとする。

 だが、その途中。視界の端に映る一本の木に、なぜだか既視感を覚えた。

 少年がこの公園に来るのは初めてのはずなのに、懐かしいような、寂しいような心地が胸に巣食っている。

「ヒロくん?」

「……ちょっと先に行ってて! 僕もすぐ行くから!」

「すぐだからねっ!」

 咄嗟に少年は友達に言い、木に駆け寄った。大きな木だ。でも公園の隅に生えているせいで、立派な木なのに全く目立たない。

 木のそばまでやってきた少年は、下から青々とした葉っぱを見上げた。木漏れ日が揺れ、時間の流れがゆっくりになったような錯覚さえ覚える。

「やっぱり、気のせいかな」

 少年はそう呟き歩き出す。でも、どこか違和感は残っている。

『ふふ、かわいい』

 少年は、昔そう言ってくれた人を探している。一番奥に残っている記憶がそれだから、きっとその人が母親なのだと無意識に認識している。

 なぜ自分を捨てたのかは聞きたいが、攻めるつもりはない。あんなに優しい表情で微笑みかけてくれる人が、悪意で子供を捨てるなんて想像も出来なかったから。

 一度でいいから彼女と話をしたい。そうして再開できたら伝えるのだ。

 生んでくれてありがとう。って。

 だから、

「会えるといいなぁ」

 遠くから自分を呼ぶ声が聞こえて、少年は走り出した。

 大人になったら、探しに行こう。そう決意して。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

女子高生とコインロッカーベイビー 葉羽 @mume_21

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画