【雨の日の記憶】

 放課後。下校途中にその話を光莉とイチにも語って聞かせた。案の定というか、二人の反応は芳しくない。光莉は怯えたように身震いをして見せ、イチは怪訝そうに眉をひそめた。

 もちろん、『増えたのは光莉かもよ』という私の推論は伝えない。本人を前にして、言えるはずもないし。


「それ、誰から聞いた話よ?」


 当然ともいえるイチの疑問を受けて、真人が一部始終を話した。願い事の話と、神様の話と。


「神様?」

「そう、神様。もっとも、その女の子が自分で言っているだけでしかないし、本当かどうかはわからない。そんなわけで、信じてくれなくても構わない」


 なるほどね、と虚空を睨んでしばし思案したのち、イチがこくりと頷いた。


「まあ……、信じるよ。僕は」

「だよなあ。あまりにもオカルトじみた話で……って、んんッ? 信じる!?」


 意外にもあっさりと同意が返ってきて、伝えた真人が逆に驚く。イチは、普段通りの澄ました顔を崩さない。


「いや、信じるというかさ、だって他にこれといったヒントがないだろ。胸の内にモヤモヤと巣くっている、このわだかまりを晴らすヒントって奴がさ」


 イチの声を聞きながら、みんな結構気になっているんだな、と思う。てっきり私だけなのかと。神無し島、なんて揶揄された別称を持ちながら、妙な逸話がこの島には多い。そのせいで、多少なりとも信憑性を感じているのだろうか。


「で、真人はどうするの?」

「うん。迷ったんだけどさ、やっぱり行こうと思ってる。あんな話を聞かされた以上、見過ごすこともできないしな」

「そうだよなあ。わかった、僕も行くよ」

「そう来なくっちゃな」

「……涼子ちゃんも行くつもりなの?」


 輪を描くトンビを見上げていたら、光莉に話の水を向けられた。心ここにあらずの私は踵が浮き上がる。

 見た感じ、光莉は乗り気じゃなさそうだ。


「え、私? 私は、うーん……」


 正直なところ私も迷っていた。これは神様のお告げです、みたいに突然言われても、突飛すぎて話についていけない。疑ってかかるのが普通だし、光莉の反応はむしろ正しい。

 しかし、理由もわからず一人増えるなんて怪事件があった直後だ。こんな話が出てくるのはいささかタイミングが良すぎないか。それに、この話を無視できない事情が私にはある。真実を、知っておくべきかもしれない。


「涼子ちゃん?」

「私は、どうしようかな。家の人がなんて言うかわかんないし」


 それなのに、優柔不断が邪魔をして、結局言葉を濁すに留めた。私同様悩んでいる光莉を一瞥し、総括するように真人が言う。


「ま、急な話だししょうがないさ。行先は山中なのだし、正直、光莉と涼子は無理しなくていいぞ」


 うん、と呟いた、光莉の声はどこか寂しげだ。


「で? いつ出発すんの?」とイチ。

「今週末は部活ないからさ、土曜日の朝七時に出ようかなって」と真人。

「え、早くない?」

「いやあ、悠久の木がある山の中腹まで登って、そんでまた下りてくるんだから時間は必要だよ。ぶっちゃけ、道中何があるかわからんしな」


 悠久の木がある時越山ときごえやままでは、ここから十数キロメートルほど離れてる。早すぎる出発、ということもないのだろうか。


「確かにな」とイチが頷いて、そこから二人の相談が始まる。持っていく荷物。家族への説明、エトセトラ。女子二人は蚊帳の外だ。

 こちらだけ世間話で盛り上がるわけにもいかないし、と気まずさが顔を覗かせた頃、「じゃあ、待ち合わせは三丁目のタバコ屋の前で」と話はまとまったようだ。

 了解、とイチに真人が同意する。


「ほんとに、二人は無理しなくていいからな」


 無意識、という表現がきっと正しい。気づくと、困惑顔をしている光莉の肩に手で触れていて、「わっ、なに?」とうわずった声を上げられる。


「あ、ごめん。なんでもない」


 自分でも驚いて手を引っ込めた。私――今、光莉がここにいるってことを確かめた。

 病んでるなって、自分でも思う。



 思えば、フラれたことに対する、腹いせだったのかもしれない。

 それは、しとしとと雨が降る六月のある日で、私がイチにフラれた一ヶ月後のことだった。


「誕生日にさ、悠久の木の前まで行って願い事を言うと、なんでもひとつだけ叶うんだってさ」


 休み時間。誰に言うでもなくそう呟いたとき、光莉の目の色が変わったのを見逃さなかった。しめしめ、という感情を内に隠して、私はさらにこう続ける。


「私のおばあちゃんがそう言ってたの。死んだはずのおじいちゃんが、一ヶ月だけこの世に戻って来たんだって。もしかしたらあれは、悠久の木にお願いをしたからかも? って」


 誕生日というのは私のでっち上げだ。なにがしかの条件を加味することで、信憑性でるかなあって算段だ。でも、祖母の話は本当だ。もっとも、祖父の姿を見た人物は祖母の他にはいなく、虚言である可能性も高いが。

「ほんとかなあ」と光莉は目を細めたが、そこに疑いの色がないのにも気づいていた。

 週間予報はずっと雨だった。雲と傘のマークが交互に絶え間なく並んでいて、一週間後の日曜日が雨の予報なのを知っていた。同時に、その日が光莉の誕生日であることも。


「気になるならさあ、行ってみるといいよ。願い事を言うのも、信じるのだってタダなんだしさ」


 時越山の登山道はそれなりに険しい。道幅は狭いし勾配がきつい。昔は車で途中まで登れたらしいが、もう何年も整備されていないため今は徒歩でしか入れない。

 雨が降れば登山道は所々がぬかるむ。体力のない光莉じゃしんどいだろう、というのは理解していた。

 天気のことも、登山道が険しいことも、すべてを理解した上でこの話をしているのだ。

 光莉が行くかいかないか。

 信じるか信じないか。

 本音を言えばどっちでもよかった。晴れたら行くかもだし、雨なら行かないだろうし。その程度にしか考えていなかった。

 ようは、光莉の反応を見て楽しんでいただけに過ぎないのだ。そんな自分のことが、本当に意地悪いなって思う。

 翌日は、予報通りに雨だった。

 翌々日も、雨だった。

 雨で、雨で、また雨で、そうして迎えた日曜日。天気予報が外れてカラっと晴れ上がった。

「どうなってんのよ」と快晴の空を見上げて私は毒づく。これじゃ光莉楽勝じゃん、と思い、そのままこの件に対する興味がなくなった。

 家でごろごろして過ごしていた。昼過ぎから少しずつ雨が降り始めて、それはやがてバケツをひっくり返したような雷雨にまで発展する。そこまできて、ようやく心の中をかきむしられるような焦燥を感じた。


「まさかと思うけど、この雨の中行ってないよね?」


 いや、そうじゃない。午前中は晴れていたじゃないか。晴れていたなら、きっと彼女は向かったはず。

 光莉は、積極的になれない自分の性格を引け目に感じているのだから。イチに告白できていない自分のことも、また。


「ヤバい……」


「ちょっと涼子、廊下を走るんじゃないの」という母親の声など耳に入らず、震える手で受話器を取って新條家に電話を掛けた。三コールで応答した光莉の母親に単刀直入に聞いた。


「あの、光莉さんはご在宅でしょうか?」

「あら? もしかして涼子ちゃん? ごめんねえ。光莉なら、午前中からカエデちゃんの家に遊びに行ってるの。たぶん、もうまもなく帰ってくると思うけど――」


 名乗ることすら失念していた自分に、遅れて気がついた。同時に、光莉がたぶん、母親に嘘をついていることも。もしかしたら、彼女はこの酷い雨のなか、路頭に迷っているんじゃないか?

 でも、本当に?

 体の弱い光莉が、一人で行ったなんてことあると思う?

 自問自答を繰り返した。今さらのように、自分が犯した罪の重さを自覚して、心中に拭いきれない雨雲みたいな影が広がる。

 とてもじゃないが、母親に本当のことを告げる勇気なんてない。


「そうですか。わかりましたすいません」とだけ言い受話器を置いた。


 もう、なにもかもが手につかず、二階の自室に戻ると布団の中に潜り込んで丸くなる。

 そうだよね。

 きっと友だちの家に遊びに行ってるだけなんだよね。

 私のせいで、雨のなか山中を彷徨っている、なんてことはないよね?

 それに、私は嘘ついてないもん。

 光莉に行けって命令したわけじゃないもん。

 だから私は悪くないもん。


 子供じみた言い訳をしながら両手で体をギュっと抱いた。寒くもないのに、歯の根が合わずにガチガチと鳴った。

 瞼の裏が、じわっとした熱と潤いを湛える。目元を拭っているうちに、気がつくと眠ってしまっていた。


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