第9話 今だけは、『兄さん』って呼んでもいいぞ・・・・・・
投票が終わり、海矢たち現生徒会メンバーは生徒会室で各々の仕事をしていた。投票結果はその日にわかるようになっており、結果が決まり次第放送委員が発表することになっているのだ。今年度前期の生徒会役員を決めるのは今日の演説会と投票会なのだが、他の委員会は来週決めることになっており、それまでは自分たちが今の仕事をこなすのだ。
海矢は時々熱い茶を飲みつつ、他の委員会から提出された書類に目を通していた。書記や会計は見るからに緊張した様子でちらちらと時計を見ており、反対に大空は鼻歌を歌いながら書類の選別を進めていた。
するとマイクの線が入ったような音がし、放送委員の声が聞こえてきた。その声は震えることなく、淡々と当選した役員の名前と役職を述べていく。まず一番初めに海矢の名前と生徒会長という言葉が聞こえた。そしてそれに続いて大空の名前、書記、会計と今部屋にいる者たちの名前が挙げられていく。緊張に手を強ばらせていた書記と会計は『やった!』と歓声をあげ、二人でハイタッチをしている。
「あー、よかった。じゃ、仕事終わったんで俺帰りまーす。お疲れ様ー」
放送が終わり、『あーっ』と背伸びをしながら間の抜けた声を発した大空は手に持っていた書類の束を処理済みの箱に入れ、鞄を手に持って部屋から出ていった。帰り際に肩に手を置き、『これからもよろしく、生徒会長』と茶化して去って行く。他の面々もお互いによかったよかったと喜んでいた。海矢も、今手に持っているものに目を通したら今日はもう帰ろうと思っていたので書類を引き出しにしまい鞄にものをつめる。
「じゃあ、お疲れ様。先に帰らせてもうわ」
「「「「お疲れ様です。これからもよろしくお願いします!!」」」」
彼らに戸締まりを頼み、鞄を担いで廊下を歩く。愛海はもう帰ってしまっただろうかと窓の外を見ると、明るい夕焼けに周りはオレンジ色に染まっていた。体育館を横目に歩きながら日が落ちてくると体育館裏は暗くなり危ないな・・・などと考えていると、つい先ほど海矢に中指を立てていた竜が俯いて歩いて行くのを見た。
いつもと異なる様子に心配になり、海矢は下駄箱で靴を履き替えると急いで竜が歩いて行った方へ向かった。今さっき暗くて危ないと考えていた場所へたどり着くと、影を作り薄暗くなっている場所に顔をあちらへ向けて立っていた。近づくと踏んだ土がジャリッと音を立て、その音に竜は肩を撥ねさせる。
「竜・・・・・・」
「こっち来んな!!俺を笑いに来たのかよ・・・・・・」
こちらを見ないまま手を振って拒絶されたが、その声はいつもの自信に満たされたものではなく非常に弱々しいものだった。愛海に迫ったり、上から目線で馬鹿にしたように『お兄さん』と呼んできて、いつも腹の立つ偉そうな態度を取ってくる奴だが、海矢は落ち込んでいるように見える竜をどうしてか、慰めてやりたいと思った。
足を進めて竜の後ろまで迫り、肩に手が触れる直前で勢いよく振り返られ、ドンと胸を押される。
「来んなっていっただろ!?てか、見んな!!」
押された際に顔を見ると目尻に涙が滲んでおり、頬にも複数の涙が通ったであろう線が残っていた。悔しそうに眉を潜め唇を噛んでいたのだろう、手で自身の顔を覆う前に見た唇は真っ赤に充血していた。
「見るなぁ・・・・・・っ!?」
手で顔を隠しながら再び手を振り上げようとしたのを、手首を掴んで止める。すると息を飲んで一瞬怯えた目を向けられる。
海矢は掴んだ腕をそのまま引っ張ると、竜は体勢を崩し海矢の胸の中に倒れ込んだ。
「なっ!?なんだよ!何すンだ――
「お前はよく頑張ったよ」
「!!?」
抱きしめたまま頭をくしゃくしゃと撫でた。パサついてそうだと思っていた髪は意外にもしっとしとしており、肌触りが良い。海矢よりもやや身長が低いため、ちょうど撫でやすかった。だがそんなことを言ったらきっと腹を立てて中指を立てるのだろう。
「なっ、ちょ、離せよ!はなせよぉ・・・・・・」
必死に抵抗してきたが、それに答えず強く抱きしめているとだんだんと声が涙に侵食され歪んでいく。抱きしめる腕を掴む手も震えており、次第に喉に押し込むような泣き声も聞こえてくる。
海矢は黙ったまま、静かに背中をさすり頭を撫で続けた。
「今だけは、その・・・・・・『兄さん』って呼んでもいいぞ・・・・・・」
海矢は恥を忍んでそう言うと、胸の中から鼻を啜る音に混じって『グフッ』という濁った声がした。手で胸を押され身体を離されたが、今度は素直に腕の力を抜いて拘束を解いた。もう涙は止まったようで安心する。
「ふふっ、兄さんて・・・・・・何ソレ」
手で口元を隠し、耐えられないという風にもう一方の手で腹を抱えて笑い出す。恥を忍んで発した言葉に込めた海矢の思いやりの心が、一瞬で打ち砕かれたような気がした。
「おっ前なぁ、いつも呼ぶなって言ってんのに呼ぶくせに!」
やっぱりこいつは嫌いだ!と思いながらも、笑顔になってよかったと心をなで下ろす。沈んだ顔よりも今のように笑顔の方が良いし、生意気な方が安心するのだ。通常通りという感じがして。ツボにハマってしまったようでしばらく声を殺して笑っていたがようやく止まり、笑いで出た涙を指で掬って普段に近い顔になる。『じゃあ帰るわ』と言い、海矢の横を通り過ぎて行った。
「その、ありがとな・・・・・・兄貴・・・・・・」
影から出た辺りで足を止めてそう言った竜は、そのまま早足でその場から去ってしまった。海矢は耳を疑ったが、最後の方は小さかったものの確かに『兄』と呼ばれたのだ。なんだ、あいつも可愛いところがあるのだなと心の底がじんわりと温かくなるのを感じた。
それに、『兄貴』と口にした時真っ赤になっていた耳は、あれは夕日が染めたものだったのだろうか。
********
翌日の昼休み、海矢はまた一年五組の教室に来ていた。目の前には愛海と向かい合わせに座り食事を共にしている竜。
「何ですか。愛海のことはちゃんと諦めましたよ俺。約束は守るんで」
少し寂しそうに答えた竜に、愛海も眉を下げる。だが反論はせずに海矢が作った卵焼きを口に運んでいた。
「違う。今日来たのは、これから生徒会役員の一員としてよろしくと伝えようと思って」
「・・・・・・は?」
本来の理由を話すと竜は箸からおかずを落とし、開けていた口をそのままに呆けた声を出した。
「え、いや俺、落ちましたけど・・・・・・」
「お前選挙の仕組み、知らないのか?落ちても定員が空いてるならば役員にはなれるんだ。やる気があると見なされるからな。しかも演説で言ってたお前の提案、あれ良い案だと思ったから具体的に進めてくぞ。ってことで、お前は会計だから」
「マジか・・・・・・」
「よかったね、竜くん。生徒会に入れて」
「愛海、そんな可愛い笑顔は竜にはもったいないぞ」
「おい失礼なこと言ってんじゃねぇぞ!」
「竜、口悪いぞ」
「そうだよ竜くん。お口が悪い!」
「なんだよこの兄弟・・・・・・」
こうして愛海を狙う敵の一人だった宇佐美竜は、海矢や大空のいる生徒会の一員になったのだった。
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