第2話 こんなに近くに敵がいた!




 「いきなり大声出してどうしたんだよ、まり兄」


 海矢が吠えた後、その気迫に怯えて皆早足で家から出ていった。後に残ったのはキョトンとした顔の愛海とポカンとした辰巳、そして呆然としている初対面のイケメンだ。

 普段大声を上げることのない海矢の珍しい姿に、辰巳はたじろいで扉と海矢を交互に見やり恐る恐る海矢に声をかける。気を落ち着けて『ああ・・・』と返事をし愛海に驚かせてしまったことを詫びようとしたところ、愛海が腕に抱きついてくる。その笑顔はまるで花が咲いているかのようで、一瞬その場が花畑かと思われた。


「兄ちゃんっ、やっと――


「すまん愛海。俺はお前がすっっっっごく大事なんだ。あいつら、いやこいつらだってお前にイヤらしいことをしようとして近づいてきている奴らなんだぞ。“お泊まり”なんて、軽率すぎますっ!っというわけで、帰れお前ら」


 絶句している辰巳と初対面の男をキッと睨み、奴らから庇うように愛海を抱き寄せる。素直に抱き寄せられる愛海にも若干の不安を抱きながらも、生徒会長の仮面が外れたガラの悪い顔でシッシッと追い払うように手を振った。

 すると先ほど愛海に腕を回していた男が不意に俯き顔に影が射した。肩が小刻みに揺れていて、左右に遊ばせているミルクティー色の髪がふるふると震えている。


「ッハハハハハ!!!」


 突然、『ぷはっ』という声と共にその薄い唇から笑い声が発せられた。腹を抱えて爆笑し、開けられた口からは八重歯が見える。


「いや~~ギャップがすごいな。あ、オレ見た目よりも紳士なんで大丈夫ですよ『お兄さん』?」


「お前に兄と呼ばれる筋合いはないっ。辰巳!こいつを連れてさっさと帰れ」


「え~そんなー・・・・・・」



 納得いかないというような顔をする辰巳ごとニヤニヤする男の身体を玄関まで押しやり、外に追い出すとすぐに扉を閉めて、鍵も二重に閉めた。

 危なかった・・・と溜息をつき取っ手から手を離す。騒がしさから離れたからか、前世で度々聞かされた妹の話が頭を巡る。だが興奮しながら話していた言葉はほとんどが放送禁止用語で聞こえなかった気がするのであまり参考にはならない。その分、これから先の最愛の弟の行く末に不安しか抱けなくなってしまった。確か表紙には愛海とあの生意気な男、そして辰巳もいた気がする。あと二人くらいいたような気がするが、どんな容貌だったか思い出すことができない。

 思い出しながらリビングに続く扉を後ろ手に閉めると、後ろを向いていた愛海の肩がビクッと揺れた。


 愛海の背は海矢よりも15センチほど低く、目は昔から変わらずちょこんとしておりその目で見つめられたらどんな願いでも叶えてしまうほどの威力を兼ね備えている。反抗期なんてものはなく、今でも家の中で『兄ちゃん!』とピヨピヨついてくるのだ。こんな可愛い愛海にっ・・・よくあんな酷いことができるものだ・・・・・・と前世の小説に憤りを覚えた。


「兄ちゃん・・・・・・。ごめんなさい・・・・・・」


 眉間に寄った皺に海矢が怒っていると勘違いした愛海は、可哀想なほど眉を下げ肩を落とし涙を含んだ声で小さく謝った。


「違うっ!俺は怒ってなんかない。ごめんな、愛海。俺の心が狭いせいで、せっかくの友達との時間を台無しにしてしまって・・・・・・。でもな愛海。あいつらはお前のことを狙っているんだ。愛海がこんっなに可愛いから。いいか、男子校は飢えた獣の住処ってことを覚えておくんだぞ。嫌なことをされたらすぐ俺に言え。わかったな?」


 泣き出しそうになっている愛海を必死に宥め、自分は怒ってないことを伝える。海矢は自分の狭量さに苛ついたのだ。前世の記憶から、せっかく愛海にできた友達を勝手に追い払ってしまった自分に腹が立った。だが同時に『いや、あいつらの目完全に愛海を狙ってたな』と思い直し、愛海の肩を掴んで大事な忠告をした。男は所詮オオカミなのだ。そのことを知っておかないと、愛海の心が傷ついてしまうことになる。それだけは絶対に避けたかった。愛おしい愛海の傷つく姿や苦しむ姿なんて、見たくない。


「うん・・・!わかった」


 鼻を啜りながら胸に顔を埋め背中に腕を回してきた弟に、怖がらせてしまって悪かったなという気持ちを込め、力を入れて抱き返し触り心地の良い髪の毛をかき回す。


「本当に、お前は俺の大事な大事な弟なんだからな・・・・・・」


「兄ちゃん・・・・・・!!」


 海矢と愛海は、湯が噴き出すまでしばらくの間抱き合っていた。





 *********


「お~い、今度は何に唸ってるんだ~?」


 呑気に何かを咀嚼しながら尋ねてくる大空を空気とし、海矢の頭の中では『あの男は却下として、辰巳はどうか』などと考えていた。とにかくあの髪がミルクティー色の奴はだめだな、と海矢は心で決めていた。何が『意外と紳士です』だ。前世見た表紙に描かれていた顔も、至極偉そうな様子だったのを思い出す。あの男はビジュアル的に、オレ様な王子キャラだろうと予想された。オレ様というよりはヤンキータイプかと奴を表す上手い言葉を探すが、なかなか見つからない。しかし、予想からして面倒くさそうな相手だということはわかった。


 辰巳は愛海と同い年で海矢よりも一つ年下だが、身長は海矢と同じくらいで武道を嗜んでいるからか体格も良い。それに素直な性格であることも好感が持てる。小さい頃など愛海のように『まり兄!』と言って海矢の後ろをついて回り、海矢のすることを愛海と同じように目を輝かせながら見ていた。身体は成長したものの、今でもその本質は変わっていないのだが。家が近所であることから親同士仲が良く、頻繁にお互いの家を行き来しては共に遊んでいた。

 辰巳の親が留守の際などは海野家で夕飯などを共にすることもあったし、誕生日会などイベント事があると家族ぐるみで楽しんだこともある。だから海矢にとって辰巳は家族のような気持ちでいた。しかし先日愛海を狙う男たちと共に家に来たときの様子と前世の記憶により、なんとなく裏切られたような気持ちになってしまいショックを受けたのだ。今まで弟のような存在だと思って接してきた相手が、よりにもよって海矢の最愛の弟に情欲を含んだ恋心を抱いているなど・・・・・・。

 だが、あの無礼な男よりは辰巳に任せた方が安心できるという確信はある。もしそうであったとしても、海矢は許さないが。


「空気扱いやめて~さみしーからー。ねぇ~ってばー!」


 机に突っ伏し頭を抱え込んで唸っていると、扱いが気にくわなかったのか大空が肩を揺さぶってきた。それでも取り合わず考え込んでいると、揺さぶりが止まり『ああ!』と合点がいったような声を出した。


「わかった!弟ちゃんのことでしょ。かわいいもんなぁ~・・・愛海ちゃん、だっけ?男子校だから心配だよねぇ・・・・・・俺も狙っちゃおうかなー」


「おめーにだけはやらねーよ!!つ、つかっ、お前・・・・・・!!!」


 核心を突かれたことに驚いたが、その後の言葉に心が冷えた。まさかこんなところにも弟を狙う獣がいたとは。瞬発的に宣言をするが、大空の顔を真正面から見た時、ふと前世の記憶の中の本の表紙が頭に浮かんだ。

 目の前の男の顔が、間違いなく表紙の中に描かれていたのだ。日光に当たると太陽を感じさせるライトブラウンの繊細な髪に、人を簡単に魅了する目尻の下がった優しそうな目。男らしく大きな手に大きく突き出た喉仏。手足は長くモデル体型で頭も良くて文句なしのモテ男。それが海矢の友人、新妻大空である。

 こんなところに最大の敵が・・・と震えていると、大空は『あははっ、いらねーし』と笑い手に持っていた袋から菓子を取り出し口の中に放り投げた。


「俺もう好きな子いるもん」


 指についた菓子の粉をペロッと舐め、こちらを見て口の端を上げた。そうか、そうだよな・・・と海矢は肩の力を抜く。大空自身は女によくモテる。一年のときに初めて会ったのだが、毎日学校が終わると校門には可愛らしい女の子が待っていた。それも一人ではなく数人。そんな女好きな大空が間違っても男を選ぶはずがないのだ。


「ふっ・・・そうだよな。お前、女が好きだもんな」


「ふふっ、あコレ食べる?今朝可愛い子チャンからもらったんだけど。ほらあ~ん」


「いやいらん。お前今指舐めてたろ」


「あっ、バレた~?」


 白い歯を見せながら摘まんだ菓子を差し出してくる毒のない笑顔に、海矢は心の底からほっとした。


















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