第10話 私はママではない

 洞窟中は真っ暗だ。


 こんな時こそ初心者セットの出番である。

 鞄の中には簡易ランタンが入っていた。


(わぁ、小さくて可愛いランタン。小学校の時のアルコールランプを思い出すわ)


 オージンは太い手を不器用に動かし、ランタンの芯に火をつけようとした。鞄に入っていた火打ち石を打ち合わせるが、力が強すぎたようで砕けてしまう。


「うわっ、やっちまった」

「何やってるんですか、おじさん」

「すまん。お前の炎魔法で点けてくれねぇか」


 そもそも火を扱う魔法使いがいるのだから、ランタンなどなくとも、火球でも出してもらえば済むことだ。


 だが、フィアットは暗がりの中で気まずそうに顔を背けた。


「僕の魔法を火打ち石扱いしないでください」

「すまんすまん。だが、真っ暗だと奥に進めないだろ? ここの先っぽに、ちょーっと火を点けるだけでいいから。ほら、先っぽだけ、先っちょだけ」

「……」


 言い方が気に食わないのか、フィアットは火を出してくれなかった。

 まさかもう魔力が尽きたなんて言わないだろうなと、オージンは懐疑の眼差しを向ける。


「ランタンなら、自前のものがありますから」


 フィアットはローブの中からランタンを取り出した。そして小さく何か呪文のようなものを唱えると、ボッと火が灯る。


「おお~、やっぱり炎魔法は便利だな!」

「……行きましょう」


 使えないランタンはその場に捨てて、オージンはフィアットから離れないよう急いだ。

 そしてランタンを奪うようにして取り上げ、前に立つ。


「ダンジョンの中では俺が先行する。いいか、俺の前に出るんじゃないぞ」

「レベル1なのに、偉そうなことを言わないでください」

「レベル5も1もそんなに変わらないだろ。いいから、ここは人生の先輩である俺の言うことを――」


 その時、オージンが踏み出した右足は、何もない空間を踏み抜いた。いきなりの落とし穴トラップである。


 真っ暗な穴はそこまで深くはないが、年月を経て腐った泥水が底に溜まり、ヘドロになっていた。


(ぎゃぁぁ~うそうそ、落とし穴なんて聞いてないっ! 泥水なんてやだ~これなんて罰ゲームよ!)


 オージンは素早さが低いため、瞬時に反応することはできずにそのまま無様に落下しそうになった。


「うわあぁぁ」

「危ないっ、ママっ!」


(は? ママ?)


 その時、巨体がまるで後ろから引っ張られるようにしてふわりと元の位置に戻ったのである。


「うおっと」

「あ、危ないじゃないですか。び、びっくりした……」


(俺も驚いたけど……てか、ママって言ったか?)


 いろんな意味で衝撃を受けたオージンは、突っ込むべきか迷って振り返ったところ、暗がりにもわかるほどはっきりフィアットの耳の先が赤くなっていた。

 どうやら思わず名前を間違えたようで、本人も羞恥の自覚があるようだ。


(学校の先生に向かって、お母さんって言っちゃう現象ね! 可愛いけど、ここは気付かないふりをしてあげるのが大人ってものよ)


 オージンはこの件について記憶から抹消することにした。


「魔法を使ったのか?」

「まぁ――僕は魔法使いなので」

「おお、すごいな! 一体、どんな魔法だ? 炎と治癒魔法以外にも使えるのか?」

「……ただの炎魔法ですよ」


 明らかに嘘だとわかったが、フィアットはそれ以上の追及を許さない態度で先に進み始めたため、オージンも落とし穴を飛び越えて後に続く。


「なぁ、フィアットはなんで冒険者になろうと思ったんだ?」

「冒険者になると、色々と都合がいいので」

「都合がいい?」

「ギルド提携の宿を安く使えたり、旅のサポートを受けられたり。何より関所を越える時、冒険者証があれば審査が簡単ですから」


(なるほど、パスポート的な役割も果たすのね)


 オージンは様式美として冒険者ギルドを訪ねたが、話を聞く限りこの世界を旅するには必須アイテムのようだ。

 真っ先に取りに行ったのは正解だった。


「どこか行きたい場所でもあるのか?」

「帝都シェルゼバート」


 面倒くさそうにだが、フィアットは答えてくれた。


 その時、オージンの頭の中に新たな知識が流れ込んでくる。


 先覚の覇者『シェルツェルヌ帝国』は、五大国家の一つだ。オージンたちがいるこの地も帝国領であり、複数の島によって構成されている。

 中央にある一番大きな島に、英帝の眠りし都・シェルゼバートは位置している。ここから向かうには陸路と航路を経なければならない。


 五大国家の中で最も発展した文化を誇り、魔術師団と騎士団の両方を備える。華やかな帝都には最高学府があり、魔術師と騎士を目指す若者たちの憧れだ。


 なにより帝都のグルメは世界から注目されており、高級スイーツは貴族たちの御用達でもある。


(スイーツ! 帝都かぁ、いいわね。私の旅の目的地もそこにしようかな)


 だが、一緒に行こうとは言い出せなかった。


(こんな美青年に付きまとうようなことをすれば、いかにゴリマッチョとはいえ変態扱いされかねないわ。『曙の印』を手に入れたら早々に別れた方がいい)


 冒険者登録さえできれば日銭を稼ぐことができるため、ゆっくりとレベル上げや仲間探しができる。


 フィアットとはここを出たらお別れだ。

 本人もオージンのことを足手まといのように思っているようなので、早めに別れた方がいいに決まっている。


 とはいえ、いくらすぐにバイバイする相手とはいっても、無言でダンジョンを進むのは息苦しくて、オージンはついつい話しかけてしまう。


「俺は山から下りてきたばかりの木こりだから、世間に疎いんだ。もっと帝都について教えてくれるか?」


(さっき適当に木こりって言っちゃったけど、とりあえずこの設定のままでいこっと)


「帝都には魔術師と騎士を育成する学校があります。僕はそこの魔法学校に入学したくて。その試験が一ヶ月後にあるので、なんとしてもそれまでに帝都に行かなくちゃいけないんです」

「ああ、なるほどな。それで急いでいるのか」


 事情はわかったが、ここから帝都まではかなり遠く、一ヶ月はかなりギリギリのラインだ。

 途中には海や山が行く手を阻んでおり、帝都周辺の魔物のレベルも高くて迂闊に進むことはできない。フィアットの旅は無謀に思えた。


「じゃあ急いで進むとするか。だが、無茶だけはしないでくれよ」


 ここで多少急いだところでどれほどの旅の短縮になるかわからないが、フィアットに協力しようと足を早めた。



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