第2話 慈愛の聖女

「『慈愛の聖女』だぁ……?おい!女ァ!!適当なことを言ってるんじゃないだろうなぁ!?」


 グズマが突然現れた『慈愛の聖女』を名乗る彼女の存在に、疑問の声をあげている。

 

 聖女とは教会の認定を受けた加護持ちの聖職者のことだ。

 『神霊』への信仰と『加護』の力を認められて始めて聖女を名乗ることができる。

 そしてこの女は自分のことを『慈愛の聖女』と名乗った。

 

 冠名付きの聖女とは聖女の中でも特に強力な加護を持つ者のことを指す。冠名付きの聖女は数が少なく、教会の中でも両手の数ほどもいないと聞く——そんな希少な存在がギルドに……?


「聖女の名を疑いますか……どうやったらお認めいただけるのでしょうか……?」

「そりゃあ……じっくりと……語り合えば分かるよなぁ?この後に一緒に宿にでも行こうや!」


 俺の存在はどうでもよくなったらしい。グズマに手を離された俺は事の成り行きを見守る。

 グズマの下碑た好色な視線を受けても聖女——アイビスの顔は眉一つ動かない……氷のような冷たさを感じる無表情のままだ。


「宿ですか……面倒なのでこの場で試すというのはどうでしょうか?」


 美女の挑発的な言動にギルドの中が、にわかに盛り上がる。


 ——おいおい、昼間からストリップかぁ?

 ——なんなんだいあの女?……お高く止まってムカつくね。

 ——いいぞ姉ちゃん!!もっとやれやれ!!!!


 ……まずい……いくら彼女が本物の聖女だったとしても、グズマも『剛力』の加護持ち。どんな加護かは分からないが、あの見るからに華奢な身体ではグズマの力に抗えるはずもない。この近距離……一対一で向かいあってる状態は圧倒的に不利だ。


 グズマが聖女に向かって駆け出す。力づくで抑え込み、あの法衣を剝ごうとでも考えているのだろう。


「そこの女、逃げろ!!!!」


 俺は聖女を名乗る女に向かって叫ぶが!!見た目とは裏腹に、機敏な動きを見せるグズマの手はもうその身体に届きそうだ。

 

 ——遅かった……俺がそう思った次の瞬間!驚きの光景が目に映る。


「——いててててててててててててて!!」


 その華奢な体躯のどこにそんな力があるのだろうか。聖女は顔色一つ変えずにグズマの腕を受け止め、捻りあげている。

 

 ——信じられない。あの、力だけなら金級にも匹敵すると言われているグズマが女に腕力で抑え込まれるなんて……


「愚かな人間ほど相手の実力を見誤るものです……続けますか?」

「許してくれぇ!!ほんの出来心だったんだ!!!!痛ぇ!痛ぇよぉ!!」


 まるで親に躾を受けている幼子のようにグズマが泣き叫ぶ。

 興味を失ったのか、聖女が腕を離すと、ひぃ!と声を漏らしながらグズマが逃げ去っていく。


 グズマが去った後、静まり返るギルドで動く人物が一人。


「初めまして。アイビスと申します……あなたのお名前は……?」


 我関せずと聖女が俺に名前を訪ねてくる。

 俺は、聖女の一連の振る舞いを見て呆気に取られながらも答える。


「……リクだ、探索者をやっている……」

「……リク……リク……リク様、ですか…」


 ——なんだ?聖女が小声で俺の名前を繰り返している。


「それではリク様……」

「なんだ?」

「突然ですが、お付き合いしていただいてもよろしいでしょうか?」



 ◇◆◇◆◇◆



 聖女に連れられて俺は一緒に迷宮を歩いている……

 

 ——この女、迷宮に入ってから一言も喋ろうとしない……どういうつもりなんだ?


「聖女様は——」

「アイビスです。聖女ではなくアイビスとお呼びください」


 質問のために口を開いた俺の言葉を訂正する聖女——いや、アイビスか。


「アイビスはなんのためにこの迷宮都市に……?」

 

 なんの用もなくこんな所まで聖女を名乗る女が来るはずがない……俺は何か裏があると思っている。

 俺の質問に対して足を止めるアイビス。


「リク様に……お会いするためと言ったら……どうされます?」


 そう答えながら、どこか挑発的に微笑むアイビスに……俺は激しく動揺する。

 何故なら今まで全くの無表情だった彼女が見せた微笑む姿は……あまりにも美しく、著名な芸術家が見れば是非とも絵画に残したいと言うに違いない。


 ……ふぅ、落ち着けリク。こんなことで心を乱している場合じゃない。

 どんな時でも冷静さを失ってはいけない——師匠の教えを思い出し心を落ち着ける。


「冗談はよせ——」


 無表情に戻ったアイビスの顔を見ながら俺は考える……

 

 ——この女……どこまで本気なんだ?俺が元勇者ってことは知らないはず……

 もしも、知っているのであれば真っ先に言いだすに違いない。


 俺が考え込んでいると、どこから気配が近づいてくる——聖女も気づいたようだ。


「どうやら、魔獣のようですね……ひとまず相手をしてからにしましょう」

「あぁ…」




 現れたのは『小鬼こおに』と呼ばれる低級魔獣が二匹。

 身体も小さく、新人でも簡単に倒せてしまう程だが、力の殆どを失い、腕と目が片方ない俺にとっては一人でも苦戦する相手だ。

 一人で迷宮に潜っている時なら三十六計逃げるに如かず……

 

 しかし、今回はアイビスがいる。

 後衛の援護を貰えるのであれば、俺にも違った戦いようがあるはずだ。


「アイビス、後ろを任せる……」

「……よろしいので?」

「いい、その分援護を頼む!!」


 声をかけると共に俺は、腰の剣を抜き『小鬼』に向かっていく——すると後ろからアイビスの声が聞こえてくる。


「『力の息吹き』」


 ——来た、アイビスの使う『錬魔』の効果だ。身体に力が漲ってくる。

 

 『錬魔』とは正の魔素を扱うことで様々な事象を引き起こす技。その特徴によって三つに分類されている。

 魔素を炎や雷等別の物に変えて、敵を攻撃する——『攻魔』。

 魔素を人間の身体や武器に集め、強化したり回復に使う——『活性魔』。

 上気に当てはまらないものを——『特魔』と呼んでいる。


 アイビスの活性魔の効果で、今の俺の力は増幅されている。


「うおおおおおおおおおおおおおお!!!!」


 声をあげながら小鬼に向かって剣を一閃。小鬼はそれを汚い剣で受けようとする。

 すると、驚くことに構えた剣ごと小鬼の身体を断ち切ることができた。勢い余った俺は思わずたたらを踏んでしまう。残った小鬼も驚いてこちらを見ている。

 

 お互いに隙を晒すことになったが、俺の方が我に帰るのが早かった。

 返す刀で敵に向かう。闇雲に剣をこちらに振り回してくるもう一匹だが、錬魔で強化されている俺に当たるはずもなく、隙をついた俺の剣が小鬼の命を絶つ。

 

 思ったよりも簡単に魔獣を倒せたのはアイビスの力によるものが大きい。

 

 ——今の俺の身体がこうまで動くとは……流石、冠名付きの聖女と言ったところか……ギルドで見せた腕力も活性魔で強化したものに違いない……


「すごい『錬磨』だ助かったよ……アイビ……ス?」


 アイビスへのお礼の言葉が思わず止まってしまう。

 彼女が顔を赤らめ呆けた表情でこちらを見ているからだ。

 

 一体どうした……?


「……はっ!!……いえ……なんでもありません……」


 声をかけると我に帰ったアイビスだった。表情も元に戻っている。

 目ざとく俺が怪我をしていることに気が付くと『錬魔』を使う。


「怪我を!……今治療します。『癒しの息吹き』」


 どうやら、小鬼の振り回した剣が身体に当たっていたようだ。剣を握っていた右腕に血が滲んでいる。

 アイビスの『錬磨』の力は流石だった、小さいとはいえ傷が跡形もなく消えていく。


「私の力なら、その腕と目も治すことができると思いますが……」


 アイビスの視線が、普通の人間ならあるはずの左腕と右目に向いている。


「いや……これは治らないからいいんだ」

「……どうしてですか?」


 アイビスが俺にできない理由を聞いてくる。

 

 ——理由を話すべきかどうか……いや、こんなことを話しても信じては貰えないだろう。


「少し、事情があってね……薬も錬魔も色々試したが無駄なんだ」


 ……俺たちの間に微妙な空気が流れる。

 どうしょうかと考える俺に、アイビスが口を開く。


「先程……私の目的をお聞きになりましたね?」

「あぁ……」


 ——教会の聖女がわざわざこんな所まで一人でやってくるんだ……

よほどの理由があるに違いない……気になった俺はアイビスの答えを促す。


「リク様は五年も探索者をやっているとお聞きしたので……何かご存じありませんか?…………七年前に、『魔王』を倒した『勇者』様の行方を……」


 



 ——俺のこと勇者を探しているだって……?

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