夕霞たなびく街の噺屋さん

秋丸よう

プロローグ

 ある人は言う。

 “言葉”とは何なのかと。


 ある人は言う。

 “言葉”とは力なのだと。“言葉”は万物をも創造する力を持っている。あらゆるものを作り出す。そう、どんなものでも、それが神だとしても、大勢の人々の“言葉”を使えば、創り出すことが可能であると。


 ある人は言う。

 信仰心も同じようなものであると。大勢で神の存在を肯定することで、神という存在を創り出す。もちろん頭の中だけで、だが。


 ある人は言う。

 …………過去に人の手によって神を創り出そうとする実験が行われたという話を聞いたことがあると。

 それは頭の中の“想像の神”というものではない。本当に神を現世に顕現させるのだ。

 多くの人々が実験体として消えたと聞いた。結局、多くをを生贄に使ったが、神とは到底言えない化け物が生まれたそうな。その後その化け物は消えることができず、今でも現世を彷徨っているとか。


 ある人は言う。

 何を怖気付いているのかと。我々は選ばれし使徒。

 そんじゃそこらの好奇心だけの研究者と一緒にされては困ると。それに我々にはあのお方がついておられる。



 選ばれし使徒は皆頷き、そしてニヤリと笑ってこう言った。



「始めよう。あのお方のために」







***



 夜の帳が降りた頃、霞会商店街は飲み会帰りの人や会社帰りの人達で賑わっていた。

 夜の闇が濃くなるにつれて一人、また一人と皆家へと帰ってゆく。

 そんな中終電を逃した一組の男女が細い路地へと入っていった。

 その道は近道だ。住宅街のごく普通の道だ。



 この男女は慇懃いんぎんを通じている。



 妻と子供と女が可哀想でならない。なぜなら女は男が妻子持ちだとは知らないからだ。

 男はこの後、妻と子供が帰りを待っているのも忘れて、女とよろしくやるわけである。

 男は気になっていた女を手に入れることが出来て、悦に入っていた。




 この道を抜けると奥にホテルがある。男女はそこに向かっていた。


 もう着いてもいい時間なのに、一向にホテルに着かない。気づけば女もいなくなっている。

 男は思った。さっきまで一緒だったのに。

 怖気付いて帰ってしまったのだろうか、それもそのはず、この道にはこんな噂話があることを思い出した。




「先輩、知ってますか? 霞会商店街の入口付近の大通りが前にある細い路地あるじゃないですか? 真夜中になるとそこが異界になって、足が変な方向に曲がってる女の子に捕まるまで追いかけ回されるって話なんですけど……社内でめっちゃ噂になってるんですよ! 怖くないですか? 怖いですよね! なんでか分からないけど最後には車にひかれるんですよ!」



 ブルブルっと身震いして話していた。バカバカしい。


 男は女に逃げられてしまった今、家に帰る他道はない。



――ズリ、


 家に帰ろうと後ろを向くと、地べたを這いずる"何か"がいた。

 全体的に血まみれで、両足があらぬ方向に曲がっている。


 逃げなくては、本能がそう言っている。



 男は走るのが得意な方だった。だが、走っても走っても元の場所に戻ってきてしまう。

 ああちゃんと聞いておけばよかった。不倫なんてしなければ良かった。男の脳裏に後悔がよぎる。


 そんな時だった。


「ギュッ」


 とうとう男は捕まってしまったのだ。

 何かの長く鋭い爪が足に刺さり、血が出る。



「ア……ダイ、アシ……チョウダイ。キレイナアシ……アシチョウダイ?」



 殴っても殴っても当たらない。いや、触れていないのだ。



 男は必死だった。必死で振り払おうとする。振り払おうとすればするほど深く爪が刺さってくる。


「チガウ……コノアシ……チガウ……」


 力が弱まった。男は負傷した足を引きずりながら、全力で走った。

 道を出た時、男の目の前が白く光った。



ププッーー!

バァンッーーーー!



 男は車に轢かれた。これは男の因果なのだろうか……それとも……






えにしは運命という糸で固く結ばれ、決してほどかれることは無い。罪は人を蝕み、新たな罪を犯す。運命は糸そのものである。罪を犯せば犯すほどその者の糸が、運命がよからぬほうに染まってゆく。罪に染まりきった糸は必ず断たれるだろう。それは神が決めたことなのだ。逆らうことは許されない。罪を犯した者には必ず天罰が下るのだ。そのものの運命が決まるのだ。  海渡鬼一郎うみわたり きいちろう(運命とは) 』





***



 古びた古書店の中にはたおやかで清楚で、鳩羽色のような薄い紫の長い髪、黄色、より鮮明に言うなれば藤黄の色をした綺麗な目の女性と、容姿端麗で白い髪、若草色の目が美しい少年がいた。



 橙色のアンティーク調の灯りに照らされ、沢山の本棚に置かれている色とりどりの様々な本が、私はここだ、見つけてくれと言うかのように、個々それぞれが主張して、光に反応する中、この美しくも、どこか儚く感じる2人は何か話し合っていた。




「最近、ある噂話がここいらで流行っているみたいですね」


 女性は小説を捲りながら話していた。


「あぁ、あの噂話ですか。俺も最近小耳に挟みました。早急に確かめる必要がありますね」

「私たちは噂話になるくらい被害が大きくならないと手出しができないですからね。あまり被害が出ていなければいいのですが……」

「それと、“あれ”の核となるものの素性を調べないと」

「簡単に成仏するのは難しいかもしれませんね」



「ねぇ〜お姉さん! お話まだ〜?」


 古めかしいながらも色褪せず、橙色の灯りに反応している古書が所狭しと並んでいる奥の部屋には子供たちが何やらワクワクした様子でこの2人を待っていた。


「あららっごめんなさい」


 女性はせっせと奥の部屋まで行くと改まってこう言った。


「今日はどんなお話にしましょうか?」

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