ブラガの聖剣
コータ
ブラガと俺
俺がブラガという男と知り合ってから、もう五年の月日が流れていた。
これまでの日常はあっという間であり、奴の唯一の友と言っても良い俺は、それはもう大変な日々を過ごしていた。
時は戦乱など忘れた平和な時代であり、さして特色のないこの町にあって、ブラガは気味の悪い異物でしかない。
歳は四十を超えており独身。痩せて頬骨の浮き出た顔は、やけに瞳だけがギラついてつり上がっている。俺はとある事がきっかけで友にはなったが、正直ロクでもない性格をしていると思う。
今日もこうして深夜になるまで、酒屋のカウンターに怠そうに座り、隣にいる俺にぶつぶつと話しかけるのだ。
「間違っている。この世の中はきっと、全て間違っているんだ」
俺はため息が出そうになった。何度こういう会話をしたことか。一体何が間違っているんだと質問をしてみると、恨めしそうにこちらを睨みつけてくる。
「俺は二十歳の頃シェフになろうとした。一生懸命に料理を覚えようとしたのに、コックはほんの数日でクビにしやがった。金に困ってドブさらいを始めて、その後はなんとか小金持ち程度にはなった。だから今度こそ勝負してやると思い洋服屋を開いた。
でも上手くいかずに店は潰れた。続いて画家になろうとしたが、俺の絵は全く誰からも評価されなかった。次も、その次も……どんな仕事で成功を夢見て努力しても、いつも失敗しちまうんだ。いつも誰かに邪魔をされてしまう」
しょうがないので、こういう時はただ話を聞いてやる。そうすれば大抵は落ち着くのだが、この日はどうも毛色が違っていたようだ。
「人間にはな。壁がある奴とない奴がいるんだよ」
「壁?」
オウム返しに聞き返すと、奴は首を強く縦に振り、また赤ワインを喉に流し込む。俺も飲みたくなってくるくらい美味そうな色をしている。
「大した苦労をしなくても成功できる人間と、どんなに必死になっても目的のものが手に入らない人間がいるっていうことさ」
「また、随分と後ろ向きな発想だね」
茶化してみたが、奴は不機嫌そうに鼻を鳴らすばかりだ。
「俺は後者だったんだ。どんな仕事でも相手にされず、どんな女にも振り向いてもらえない。だがな! 実力ならある。俺は他の誰よりも——」
やっぱりそういう結論に至ってしまうわけか。酒を飲むと大抵はそんな話ばかりするこいつが、成功などというものを手に入れられるはずがない。目は澱みきり、誰もが近づきたがらない風貌だった。
しかし、俺よりはマシだろうと思う。だってみんな、奴が俺と話をしているとギョッとした顔になるんだ。どこかの店に入る時も、外にいる時も、連中はブラガよりも俺を恐れている。
まあ、そんなことは慣れっこだがね。俺とブラガは詰まるところ、世界から忌み嫌われている存在だってことだ。しかし、だからこそ好きに生きていける。
俺はつまらない話はもうやめようと言い、そろそろ仕事の話を教えろと催促する。
「そう急かすなよ。どうせあれだぞ。奴はまだ起きてる時間だ。今日こそは静かに、安全に終わらせるんだからよ」
ブラガは先ほどまでとは違い、誰にも聞かれないように囁いた。いつしか人を殺して生きるようになった男は、まだ歪んだ持論を証明したいらしい。
「まだ話は終わっちゃいねえ。俺はなぁ、この世は全て正反対なんじゃないかって、最近は思ってる」
「というと?」
「綺麗に見えるものほど実は汚くて、汚いものほど本当は美しいんじゃないかってことさ。だってそうだろ? 表向きピカピカした金持ちとか、絶世の美男美女なんて奴らは、どっかに酷く利己的で汚い本性を隠しているんだ」
「いやいや、それは違うよ。汚い本性を隠している奴は確かにいるだろうが、優しい心の持ち主や、思いやりが——」
「それこそが嘘っぱちだ!」
唐突な怒鳴り声が酒場に響き、俺たちは周囲の連中からちらちらと様子を探られてしまう。静かにしろよと注意をしても、こういう時のブラガは止まらない。空気は悪くなる一方だ。
「人間なんて誰でも大きくなったら、心が汚れて自分のことばかり考えるようになる。奴らはみんな人の幸せが嫌いだ。人の成功が嫌いだから、なんとしても足を引っ張りにかかる。
善良そうな奴も悪そうな奴も、どちらにも見えない奴も実はみんな一緒だ。クソだ、この世界はクソの溜まり場だ」
このまま奴の歪んだ持論を振りかざすことを止めなければ、多くの客の迷惑になってしまうだろう。俺は仕方なくこれ以上そんな話はするな、落ち着けと宥め続ける。奴はどこかの野良犬みたいに唸っていたが、やがて静かになってまた酒を煽った。
「ふん。今日の相手だって、それはもう汚い男だぞ。なにしろ公爵様だからな」
今宵の俺達の相手は大物だった。多くの街を支配している、正真正銘の大金持ちであり権力者。殺した後もただではすみそうにないが、貰える金は一生遊んでも足りないくらいだ。だからこいつは食いついてしまい、俺もそれに付き合う羽目になったのだが。
「お前もしっかりやってくれよ。俺は野垂れ死ぬのはごめんだからな」
俺は小さく返事をするにとどめた。ブラガはいつも殺しをする前は弱気になる。その癖は知り合った時から変わらない。普段は大口を叩くくせに、その時が間近に迫るとガタガタと震え出す始末だ。どうやら今日も、少しずつ体に震えが来ているようだ。
人を斜めにしか見れない男は、その後も酒を飲み続け、ずっとこちらに話しかけているのか、独り言なのか分からない喋りを続ける。俺もいい加減疲れてきたが、仕事の前に機嫌を損ねてしまうと、もしものことが起こり得る。仕事をしくじってしまうことだけは嫌だった。
「け! まあいい。そろそろ行くとするか。汚い首を聖剣の錆に変えてやる」
やっとか。俺は嫌味の一つでも言ってやりたくなったが、グッと気持ちを抑える。今宵はいつになく楽しい催しが待っている。
◇
ブラガという男は、いつだって仕事の前には酒を飲み、わざと豪胆な素振りをしてみせる。しかしその実は怖くてたまらないのだ。いつも行動を共にしていた俺になら分かる。
こいつは酒を飲むことで、酔っ払って恐怖心を押し込めようとしている。しかし自分が殺されるかもしれないっていう状況を理解した途端、あっという間に酔いは覚めてしまう。こいつはまったく学習しないんだ。
「ここだな。おい、騒ぐんじゃねえぞ。今回は絶対にやり遂げなきゃいけないんだからな。恨みを晴らしてやるんだ」
今回のブラガはいつになくやる気がだった。虚しい底辺を生き続ける男は、何かにつけて復讐欲に駆られる。とはいえ、目前に広がる庭の奥にある屋敷に、奴を知る人間などいない。逆恨みというか、ただ自分を痛めつけてきた人間と照らし合わせているだけだ。
仕事じゃなかったら、あまりにも酷い八つ当たりでしかない。俺は何度となくこいつの悪い性格に文句をつけてやろうと思ったがやめた。ここから先は、ただの会話ですら命取りかもしれない。
夜もふけて静まり返った屋敷の庭を進む。当然警備の連中はいるのだろうが、俺たちなら大丈夫。奴らが動き出すよりも先に、口を抑えて首を切りつけるからだ。
何人も一定間隔で見張りがついていたが、ブラガは隠れながら様子を伺い、わずかな隙をついて屋敷へと入っていく。ちなみにだがこいつは泥棒の心得もあり、大抵の鍵穴は針金をくるくる回すだけで開けられるのだ。
いつもその技術を俺は褒めてやった。お前にも人に負けないものがあるじゃないかと。だが、こいつは決まってこれ以上ないほど顔を真っ赤にして怒る。
「そんなもんで勝ってどうするんだよ。何の意味もねえ。よし、行くぞ」
ブラガが殺した警備員たちは、この広すぎる屋敷の中ではネズミ一匹程度でしかないだろう。まだまだ沢山いるはずだし、見つかったらとんでもないことになる。
しかし、俺はそんな事態になるのも悪くはない気がした。臆病なはずの男は、今度は意気揚々と獲物を探して廊下を進んでいく。公爵の首が欲しくて堪らない。
いつ誰に見つかるか分からない緊張感。廊下を歩いている時も、気が気ではない。続いて階段を登り二階へ。ブラガができる限り音を立てないようにしていることで、逆に気配を強めているような不思議な感覚がする。
「恐らく、奴の寝室はこの先だ」
小声で話しかけられ、俺もまた小声で軽く返事をした。標的はどこにいるのか。シャンデリアやランプや壺、絵画に絨毯。どれもこれもが庶民には買えそうもない高級品。ブラガはたまにそれらに視線をやり、明かりが消えた屋敷内よりも暗い顔になっていた。
「ここだ。ここに違いない」
扉の前に立ち、ブラガはゆっくりと鍵穴に針を差し入れ、できる限り音がしないように動かしていく。すると廊下の向こうから、何か物音がした。俺は咄嗟にそれを知らせるべきか迷ったが、奴の作業の邪魔になるかもしれないから黙っていた。
数秒が数分にも感じられる。どうやら誰かが階段を登ってきているようだ。すぐ側にいる中年男の息使いが荒くなり、心が動揺しているのが伝わってくる。ここで見つかるか? 遠目ではあったが、明らかに誰かの影が見えたと同じタイミングでようやくブラガは扉を開いた。
しかし、この扉を開くという行為も一気にするわけにはいかなかった。なにしろ室内にいる人間が眠っているとは限らないのだから。だが、この時は運よく、ベッドの上で横になっている姿が見えた。
既に酔いが覚めきっていた男は、唇まで震えているようだった。生きた心地など全くないだろう。だが、ここで公爵をやってしまえば人生の大逆転が待っているんだと、目を血走らせながら静かに確実にベッドへと近づいていく。
ブラガは決意を固めて、ショーツに埋もれた顔を覗いた。緊迫の一瞬が迫っている。
だが、奴はしまったと言わんばかりの顔で固まる。表情さえ見ればもう分かるのだ。ここで眠っている奴は、公爵ではなかった。一番豪華そうな部屋だったのに?
よく見れば、シーツ越しでも分かるくらい線が細い。花のような香りが一面に漂っている。
「こいつは娘だ……きっと公爵の娘なんだ」
俺もその推測には同意した。長い金髪はこの薄暗い室内でも際立っている。顔はまるで彫刻のように彫りが深く、それでいて柔らかそうだ。
「確かに娘のようだな。で、どうするんだ。このまま部屋を出るか」
この時、相棒はなにか様子がおかしかった。奴は静かに寝息を立てる美女を目の前にして、神妙な顔でじっとしている。いつ警備の連中が気づき、室内中を駆け回るかも分からぬ状況なのにだ。
俺は一夜限りの関係でも持ちたくなったのかと囁く。すると奴は普段なら顔を真っ赤にして怒るのだが、今回ばかりは返答に困っているようだった。
「俺はこれまで真面目に生きてきたんだ。なのに不真面目に生きる堕落した連中よりずっと損をしてきた。こうやって知り合ったのは、きっと神様が俺のこれまでを——」
ぶつぶつと陰気な顔で呟き始めるものだから、俺は吹き出しそうになる。またろくでもない行動に走るに違いないと一旦は静観していると、唐突に右手を振り上げた。
次の瞬間、シーツが綺麗に裂けると同時に、女の体から勢いよく血が吹き出した。その時の絶叫たるや、まあ説明するまでもないと思う。
女が発した叫びは、屋敷全体に響いたのかもしれない。少ししてから、慌ただしい足音が聞こえてくる。つまりここに向かってきているのだ。
どうしたのだブラガ? とそんな質問をしている暇すらなく、奴は勢いよく扉を開いて廊下に出る。おおよそ考える最悪な愚行であり、完全な自殺行為でもあった。
酒場では静かに安全に終わらせると言った癖に、なんて真似をするのか。
しかし、幸いにもブラガには味方がいる。俺さえいれば殺されることはない。安心していいぜと、隣で囁いてやった。
◇
その後の光景は見事としか表現できなかった。槍や剣で武装した警備の連中が狭い通路に押し寄せてくるが、ブラガは黙々と同じ行為を繰り返す。
天井、シャンデリア、壁、絵画、壺、絨毯に至るまで無数の返り血が飛び交い、切られた肉片が飛び散って死体の山が築かれていく。
「はあ、はああ! 俺は、俺は剣の腕と殺しなら誰にも負けない! これだけが俺の才能なんだぁー!」
痩せぎすのような男は目を真っ赤に充血させ、息も絶え絶えになりながら、あろうことか正面から警備兵達との殺し合いを続けた。このまま力づくで押し通り、本来の目的であった伯爵を討ち取ろうとでもいうのだろうか。
当初の計画を一方的に破り、最も愚劣な行為に走ったのはなぜか。きっとさっき見た女に違いない。奴の記憶に巣食っていた惨めな何かに触れたのだ。そして、今たった一つだけある長所を確かめるように殺し続ける。向かってくる勇敢な者達は、肉の塊へと変わっていくだけだった。
血と肉の海と化してしまった廊下を、奴は悠々と歩いていく。そして一つずつ扉を開けては、そこにいる者を切り殺していった。完全なる無差別殺人でしかない行為に、奴は心から興奮しているようだ。
惨殺を続けるうちに、とうとう俺たちは公爵を見つける。奴ときたら慌てふためいて、庭を走りながら馬車へと向かおうとしている。
ブラガは二階の窓から勢いよく飛んだ。芝生に着地するなり、猛然と逃げる標的を追いかける。
「俺は誰にも負けない。殺しの腕は本物だ。そして俺には聖剣がある。お前がいれば絶対に勝てるのだ」
そうだ。お前には俺がいる。
五年前、ある崖の上で退屈に過ごしていた俺を、引き抜いて持ち去ったのはブラガだった。
白き聖剣と呼ばれ、誰もが手に取ることすらおこがましく感じるというこの俺。しかし、お前は分かっていない。俺という存在が相棒になったことで、幸せになった者などいない。
庭はあまりにも長く、馬車までは途方もない距離があった。公爵は普段の運動不足のせいか、足取りが鈍くすぐにブラガに追いつかれてしまう。右手に握りしめられている俺は、持ち主の全てを理解していた。興奮がピークに達しようとしている。
「ま、待て! 一体、なぜこのようなことをする? まず話し合おう! お前は」
「話し合いだと? そんなもんは糞食らえだ! お前らは俺の頼みを聞いてくれなかっただろうが!」
叫び声とともに一閃。公爵の首は近くにあった噴水に飛び込んで、胴体は人形のように力なく倒れる。
「やった! やったぞ! 聖剣よ、俺はとうとう目的を達成したぞ。世間のクソ野郎の代表をぶっ殺してやった」
歓喜に震えるブラガは、全身が返り血で染まっている。俺もまた返り血だらけだったが、これこそが堪らないのだ。さっきからずっと啜っている。
しかし、奴はあまりにも考えがなさ過ぎた。正門から沢山の兵士がやってきて、恍惚としていた顔が一気に青ざめる。その数にして、三十人ほどはいるだろう。
「け! この俺が、俺が負けるわけねえんだよ!」
劣等感の塊だったはずの男、ブラガは今や自信を持ち始めていた。真っ先にやってきた兵士の一人を、まず切り落としにかかる。
しかし、ここでブラガの動きは鈍り始めた。先ほどまでの華麗な剣技はどこへやら、無駄な動きばかりの散漫な剣技により、兵士一人にすら苦戦する始末。焦るその姿はなかなか面白い。
「な、なんだ!? どうしたんだ?」
狼狽しながらも必死で俺を振るう。しかし、囲まれてくると若干だが冴えを取り戻し、致命的な攻撃を食らったり捕まったりするということはない。
「ぎゃあ! ち、畜生がああ!」
ブラガは兵士達の槍や剣が、自らの体に掠めるようになっていくことに気づき、恐怖心が膨らんでいた。
「ブラガよ。お前に伝えていなかったことがあるんだ」
俺はできる限り落ち着いた声で、持ち主であり友に語りかける。必死に逃げながら、奴は聞いている。
「お前はほぼ全てにおいて、正しくお前自身を理解している。しかしながら、たった一つ誤解しているものがある。何か分かるか?」
「ば、馬鹿野郎! 今は喋ってる場合じゃねえんだよ! ああ!」
槍の先端が太腿を軽く刺した。しかし、そのくらいならまだ動ける。
「お前は剣と殺しの才能ならば、誰にも負けないと言っていたな。だがあれこそが間違いなんだ。お前には剣の才能も殺しの才能もない。何故なら——」
ブラガは酸欠になりそうなほど疲弊している。だがまだ動ける。いや、動かせる。
「お前が振っているように見えた剣は俺自身の動きであり、その体もまた俺が動かしていたからだ」
「な、なに言ってんだよ! 分からねえよ!」
「俺は持ち主の体を支配して、自由に動かせるんだよ。つまり、今までお前が華麗にこなしていた殺しの数々は、ただ俺がやっていたに過ぎない。お前は、自分がやったと思い込んでいただけだ」
「そ……それ……は」
絶句してしまった男は、しばらくただ無表情になっていた。しかし、そのままではつまらないので、兵士達の剣が肩に切り込まれるように動きを抑えてやる。
「あおお! ち、畜生! お前、お前のせいでこうなってるのかぁあ!?」
俺はとうとう笑いだしてしまう。兵士どもはきっと、こいつは何をたった一人で喋っているのかと不気味がっているに違いない。俺の声は、奴の耳にしか届かないのだ。
「はははは! そうだよ。お前と組んでいた五年間は、確かに面白かった。しかし、今宵お前は確かに満たされたようだ。このまま安息な毎日なんて過ごされてはかなわん。人生最後の祭りといこうじゃないか」
「ふ——ふざけるなぁ!」
死に物狂いで動き続けるブラガは、その後も小さな傷を負いつつも兵士達を殺し続けた。しかし悲しいことに、その功績は全て俺がいるからできていることだ。そして、こうやって小さな傷を負っているのも、考えあってのことだ。
「あ……はあ、はあ、はあ! はああ」
やがて誰もいなくなり、ブラガは庭の中央にある石畳に俺を突き立てると、そのまま倒れ込んでしまった。
「どうした? 俺をこんな所に刺して」
「うる、せえ……お前なんか、死ね」
どうにか声は出せるらしいが、至るところから出血を起こしてしまい、満足に歩くこともできないようだ。しかし、このまま這っていけばあるいは助かるかもしれない。
そういう、頑張ればなんとかなるという状況で放置してみたのだが、これが本当に面白い。
「釣れないぞブラガ。俺とお前の仲じゃないか」
「黙れ。黙れ……お前はクズだ。俺の知るなかで、一番のクズだ」
こいつは本当に愚かな奴だ。だからこそ楽しい五年間だったのだが、もう幕引きでいいだろう。
だが最後に、とびっきりのお楽しみが待っているのだがね。
地獄のような絶叫騒ぎはおさまり、周囲は嘘のように静けさを取り戻した。あるのはブラガの息遣いと、地面をナメクジのように擦りながら進む音だけ。
そこにもう一つの音が加わる。屋敷の扉が開き、誰かがこちらへとやってきた。白い寝巻きは血で染まっていたが、致命傷には至らなかった。裸足でかけてくるなり、うつ伏せに倒れる公爵の胴体にすがりついている。
「あああああ! お父様、お父様! お父様!」
ブラガは青白い顔で振り向いた。殺した筈だった女が生きていることに驚いたのか、俺の裏切りを発見して憤りを感じたのか、どちらであるかは分からない。
あの時、ブラガが女を切ろうと腕を上げた事だけは予想外だった。だが、この時ほど面白い悪戯が思いついた瞬間もなかったのだ。あえて傷が浅くなるようにしてやった。
やがて公爵の娘もまた、俺の存在に気がついたらしい。そして、亀のように逃げるブラガも。
「許さない、許さない!」
復讐に支配されたその顔は、俺が求めてやまないものだ。女は俺の側までくると、細い両手でグリップを握りしめ、静かに引き抜いた。
この時の俺は、もう先ほどまでの返り血を全て飲み干していた。さあ行こう、新しい相棒。
彼女はゆっくりと、怯えるブラガ目掛けて進む。
「や、やめろ! 俺は、俺は悪くない。悪いのは世間だ。俺は頼まれて殺しただけだ。頼んだ奴が一番悪い」
ブラガは仰向けになり、上半身を起こして必死に説得を試みている。しかし、人間というのものは土壇場になると、言うことが無茶苦茶になるのは誰も一緒だ。
「やめてくれ。こんな所で死ぬのは嫌だ。俺は何も悪いことなんてしてないんだ。話せば分かる! お願いだ、お願——」
女はきっと、自分の意思で剣を振り上げたと思ったのだろう。刃はしっかりと確実に、ブラガを真っ二つに引き裂いた。
断末魔が町中に響き渡る。最高の喜びとともに、一つ気がついたことがあった。ブラガという男は、死に際の醜さと叫び声だけは、世界中の誰にも負けていない。
ブラガの聖剣 コータ @asadakota
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