第55話 魔王の夜

 魔王とは何者であるべきか。


 王たる資格者を失ったその日からずっと、俺たち悪魔はその答えを探し求めている。

 城の庭園から闇の空に輝くふたつの月を見上げて、俺は自問する。


 魔王とは? 強くあるべきか? はかなげであるべきか?

 人格は酷薄であるべきか? それとも機知に富んで魅力的であるべきか?


 その答えを知る者は、少なくとも俺が知る限りでこの魔界には誰もいない。

 この俺、ルユインには夢がある。


 夢を野望と言い換えてもいい。

 それは俺が大魔王となり、暗い夜道に迷えるすべての悪魔に光を示してやることだ。


 闇に生きる悪魔が光、というのは少しおかしく聞こえるかもしれないがな。

 話をしよう。


 悪魔は人間よりもはるかに優れた種族だ。

 長命であり、身体能力に優れ、また国家の文化レベルも平均的な人間のソレをはるかに凌駕している。


 誤解をおそれずに言っていいならば、俺たちは人間の上位互換と呼べる種族だ。

 人間と同じ土俵で競うのがバカバカしいほどに、俺たちの優位は確実と言える。


 しかしながら、俺たち悪魔は神代の戦いに敗れた。

 人間の皮をかぶった“勇者”というバケモノに。


 人間……勇者という連中はそろいもそろって度し難い。 

 健全な種族の繁栄を考えるならば混血実験などはありえない話だがな。


 それも種族の存亡をかけた戦いにおいてはありえない話でもないのだろう。

 短命ゆえに、刹那的であるがゆえに、人間は未来よりも“現在”を重視する。


 その瞬発力、爆発力、悪魔さえおののく真の狂気が、神代のすべてを破滅させた。

 悪魔にしてみればさんざん見下していた相手に足元をすくわれたわけだ。


 いや、足元をすくわれたのみならず、戦いから無様に逃げ出すはめになった。

 だからこそ今、俺たち強い力の悪魔は魔界という異世界にのがれて暮らしている。


 すべては天魔王獣から逃げ延びるために、ひいては人間の狂気からのがれるために。

 それはかつて持ち得た種族の誇りをこなごなに打ち砕かれる結末だった。


 ありていに言って、戦いに敗れた悪魔は自信をなくしてしまったんだ。

 そして1000年の歳月が流れた今もまだ、魔界の悪魔は誇りを取り戻せずにいる。

 

 それは神代の戦いで人間に敗れたからか。

 それは悲しみに満ちた竜の逆鱗に触れて主君である魔王を殺されてしまったからか。


 あるいは、天魔王獣という究極の資格者を前にして怯え震えてしまったからか。


 なんにせよ、夢破れた悪魔は暗い夜道に迷うている。

 まるで母親からはぐれてしまった幼子のようにな。それだけは事実だ。


 魔界の悪魔は強い力を持っているが、しょせんは虚栄にすぎないと誰もが知っている。

 上には上がいるとは人間の言葉だが、よくぞ言ったものだ。


 単純な力など見飽きている。

 地平線を焼き払う低俗な炎などに興味はない。


 他を見下すためだけのちっぽけな自尊心にも興味はない。

 誇りだ。すべてはみずからの魂に由来する、たったひとつの誇りなのだ。


 そうだ。俺たち悪魔は誇りを取り戻さなければならない。

 それは人間や勇者に打ち勝つことで手に入るものではない。


 まして竜への復讐や、天魔王獣の資格者を殺して得られるものでは絶対にない。

 すべては自分自身が納得して前へと進んでゆくために。


 悪魔は暗い心の闇ではない、真実と未来の光を手にしなければならないのだ。

 それを俺が見せてやる。新たな時代の大魔王にならば、それができる。


 そう信じて、俺は魔王への道を志した。

 今、この魔界で覇を唱える魔王候補はそれぞれがみずからの胸に理想を持っている。


 俺にとって、大魔王とは単なる権力の座椅子ではなく、悪魔の未来を示す記号なのだ。

 俺にとって、大魔王とは、悪魔が目指すべき未来の光そのものだ。


 その光にこそ、俺はなるのだと決めたのだ。

 もっとも現実は厳しく、他の魔王候補を倒す算段もつかないのが実情ではある。


 まあ、それはそれとして、こんな与太話を独り言でつぶやくのもつまらない。

 せっかくだ。ここは観客に感想をたずねてみようじゃないか。


 そうだ。こんなふうにな。


「おまえはどう思う? プリンセスメイリー?」


 暗闇に緑が揺れる月明かりの下で、庭園には俺以外の客人がいた。


 頼んでもいないのに城の警備が下がっているのは、気を利かせてくれたからだろう。

 いらぬ世話だと叱ってやりたいところだが、そこはふところ広く許すとしよう。


 ともかく客人は優美な装いをしていた。


 真っすぐ長い黄金の頭髪に、青紫の瞳。

 アンティークドールのよう黒いゴシックドレスに身を包んだ、小柄な少女。


 青白い肌の色は、青い血が流れる【魔王の覚者】にはよくある特徴だ。

 お人形、と呼ぶにふさわしいお嬢さんは、俺をじっと見つめていた。


 やがてニンマリと口元を歪めて、口を開く。


 開口一番に放たれた言葉は侮蔑のあざけり笑いだった。


「やーねー、ルユイン。あんたがロマンチストなのは知ってるけどさー、キザ語りもたいがいにしておかないと、周りに呆れられるんじゃないの?」


 思わず自然な笑いがこぼれた。


 客人の前でカラカラと笑ってしまったのは非礼だったかな。

 まあいい、なんにせよ招かれざる客人だ。


 まともに対応する方が間違っているという話だろう。


 俺はいたずらっぽい青紫の瞳を見返して、自分の感想を伝えた。


「そういうおまえも、黙っていれば貞淑なお人形だろうに。よくも言えるな」


「はー、これだからキザ野郎は。レディに向かって? 言うに事欠いて? 貞淑なお人形ですって? 時代じゃないのよ、古いのよ、価値観が古い! あはははは!」


 ケラケラと笑い転げるお人形のような……ああ、こいつは性悪女だ。


 どこからともなく扇子センスを取り出して、偉そうに自分をあおいでいる。

 なるほど、俺の価値観は古いか。


 魔族の未来と光を望む俺にとって、その言葉は挑戦状にひとしい。

 ならばたずねなくてはなるまい。


 俺が古いならば、最先端はどこにあるのか、とな。


「自信過剰だなプリンセス。そういうおまえには新たな未来への展望があるか?」


「あるわよ。あるに決まってんでしょ~? あんたなんかよりも、よっぽど現実的で魔族の繁栄に寄与する腹案がね」


「お聞かせ願えるのか?」


「やーよー、外交の話なら外交の席ですればいいじゃない。こんなにも月が綺麗なんだから、他の話がいいわ。あんたもそう思うでしょう? ルユイン?」


「そうだな……」


 気分屋の性悪女に雑談を求めた俺がバカだったか。


 まあいい。もともとは俺の独り言から始まった話だ。

 ならば俺の話題で話を広げるのが筋というものだろう。


 そこで俺はプリンセスメイリーに、大魔王への展望を問うことにした。


「ならば問おう。おまえは俺と同じ魔王候補だが、大魔王になってなにがしたい?」


「魔王とは何者であるべきか、って?」


「そうだ」


「……つくづく芸の無い質問だけど、それもあんたらしいわね。許してあげるわ」


 あきれた様子のプリンセスメイリーがこれみよがしに鼻で笑う。


 プリンセスメイリーは小さな背丈で俺を見下すみたいに、ふんぞりかえった。


 そして彼女は偉そうに言った。


「いいこと? よろしくて? 私はすべての悪魔を魔界から人間世界に移住させたいのよ。あっちのほうが広いし。資源もあるし、空気もうまいしさ?」


「ほお」


「その実現のためにこそ、大魔王の権威が必要なの。偉い奴にはみんなが言うことを聞いて従うでしょ~?」


「すばらしい。だが、それは王ではなく政治屋の宣伝文句だな」


「ああん? 何が悪いっての? 古き良き時代の王様気取りなんて、七星の国のセプテムだけで十分でしょ。1000年の倦怠を経てもまだ、あの野郎だけはカビの生えた神代の気分でいやがるしさあ。私、ほんとにあいつが嫌いだわ」


 口を開けば他人の悪口が出てくるのはまさに性悪女の面目躍如だな。


 そんなふうに俺が呆れていると、プリンセスメイリーは自分が呆れられていることにも気づかない素振りで、二の句を継いだ。


「ていうかあんた。政治屋が嫌なら、扇動家がお好きなわけ?」


「というと?」


「獄炎の国のカルマみたいに、いにしえの大魔王と同じ『力ある悪魔だけが真の悪魔である』……なんて過激思想で延々バトルロイヤルしてる熱血バカども。頭に脳みそじゃなくてメロンパンが詰まってそうな連中よ」


「アレは王の器ではない。当のカルマ自身も、おそらくはそう思っているだろう。ただ暴力で敵を焼くだけの獣に、誰が未来を託そうと思うものか」


 獄炎の国のむちゃくちゃな内情は、今や魔界中の笑い話だ。


 好き勝手に暴れて戦いを求める狂った魔王候補に異を唱える悪魔は大勢いる。

 その彼らがレジスタンスを結成して王であるカルマに戦いを挑んだのだ。


 かくして血を血で洗う内乱が始まった。すべてはカルマの望み通りに。

 すなわち、獄炎の国は王がみずから望んで内乱状態に突入したわけだ。


 これほどの茶番劇は長命の悪魔でも見たことがないともっぱらの評判だ。


「レジスタンスには同情するよ。心からな」


「レジスタンスぅ? テロリストっていうのよ、あいつらは。同じ穴のムジナでしょうが」


 しかしそのテロリスト集団を裏で支援しているのは氷の国だという。


 魔界では子どもでも知っている公然の事実ではあるが。

 そこは触れるのは野暮というものだろう。


 なるほど、それはそれとしてプリンセスメイリーの言い分にも一理ある。

 七星の国のセプテムは古い時代の悪魔だ。獄炎の国のカルマは単純がすぎる。


 ならば必然、大魔王の座にふさわしい魔王候補はおのずと限られる。


 そして頂点資格者は、いつの時代もたったひとりだ。


「やはり俺かおまえか、という話だな」


「はっ、私一択でしょ? 雌雄を決するのはここの出来よ、ここの!」


「しかし弱く臆病な支配者などは、この世の誰も求めてはいない」


 俺はふところから青く輝く獣石を取り出した。


 プリンセスメイリーがいぶかしむように眉をひそめたが、構いはしない。

 頂点資格者は常にひとり、ならば邪魔者には逃げ出してもらおうじゃないか


 俺はゆかいな期待を込めて、性悪女のプリンセスメイリーに問うた。


「遊んで行けよ。城の警備が退屈している。彼らにも目に見える刺激と娯楽が必要だ」


「へえ……そういうの、アリなわけ?」


「逃げるならそれもいい。だが、もし、おまえが俺の退屈をまぎらわせてくれるなら」


 俺は心からゆかいに笑った。


 そして、性悪女に功労の報酬を伝えてやった。


「このたび、氷の国の代表みずからによる我が国の主権領域の侵犯、および侮辱的な発言の数々。そのすべてを不問にして、宣戦布告だとはみなさないでおいてやる」


「…………」


「どうする? 氷の国のプリンセスメイリー。それとも尻尾をまいて逃げ帰るか? 戦争の準備がしたいなら、そうすればいい」


 その時、プリンセスメイリーがまぶたを閉じて一笑する。


 こんな子どものような挑発に乗るほど、プリンセスメイリーもヒマではない。


 俺はそう思っていたのだが……


「っていうことはさ」


 プリンセスメイリーは何もない虚空から青紫の獣石を取り出した。


 言うにおよばず負けん気の証明を受け取って、俺は少しだけ面食らう。


 彼女は青紫の輝きを集めて、唇をまがまがしくつりあげた。


「この遊びで“不幸な事故”があっても、私は無罪放免で許されるって話よね?」


「ああ、もちろんだとも」


 それ以上、俺たちの間に言葉は不要だった。


 青紫の輝きがプリンセスメイリーを包み込む。

 そしてまた、俺も青色の輝きに身体を溶かした。


 黄金に近い毛並みを持つ、巨大な“シロクマ”。

 それがプリンセスメイリーの本当のすがた。


 そしてまた、青一色の毛並みを持つ巨大な“虎”。

 それが悪魔としての俺の本当のすがただ。


 その巨躯で庭園を破壊して、城の一部を倒壊させながら俺たちは互いに向かい合う。

 なにぶん巨大だ。俺たちのすがたはサボっていた警備の目にもよく見えたことだろう。


 お祭り好きの連中が頼んでもいないのにギャラリーとして集まってくる。


「おお、青き虎! ルユイン様だ!」


「おいっ、シロクマのプリンセスメイリーもいるぞ! 見ものだな!」


 魔王とは何者であるべきか。


 その答えを知る者は、少なくとも俺が知る限りでこの魔界には誰もいない。

 しかしだからこそ、確かに言えることがひとつある。


 すなわち、新たな時代を創るのは今を勝ち抜いた者だという事実だ。

 わかるか? プリンセスメイリー? 


 理由だとか、過程だとか、はたまた不幸な事故だとか。

 そんなものはすべて後付けでいい。


 勝ったものが正義であるならば、それもまるで構わない話だ。

 俺たち悪魔の誇りはそんな場所にありはしない。


 俺たちが互いに懸けて争うのはみずからの魂に宿す力そのもの。

 それは誰にも言い訳が利かない魂の本質。


 決して誰にも言い訳することのできない魂の是非。

 その是非こそが王の資格。


 ――“信念”の優劣だ。

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