341 扉を開けて①

 それは夢に見た記憶の中で、恋人ダグが何度も口にしていた“私”の呼び名だ。そして“私”も手の甲のアザにキスを落として、戯れにこう呼んでいた。


「私の、王陛下……」


 カボチャ男は少し身を離し、ジェーンに手のひらを差し向けた。自分よりずっと大きくて厚くて、少しマメのできたその手に目が吸い寄せられる。あともう一度だけ、ダグラスを信じてみたいと心がうずく。

 けれど不安も消えなくて、ジェーンはカボチャのなにもない眼窩がんかをじっと見つめた。


「扉を開けて。俺になにを言われても」

「でも私、本当のことを知るのが怖いです……」

「だいじょうぶ。なにがあっても俺はきみを愛してる」


 カボチャ男の手に視線を落とし、ジェーンは深く息を吸った。


「あなたがそう言うのなら――」


 ウソでも信じる。

 ジェーンはカボチャ男の手にそっと手を重ねた。力強く握り締められたとたん、視界が大きくぶれて意識が沈む。閉園の音楽も話し声も足音も遠のいて、夜空と大地が混ざり合う。

 目前に迫った芝生が赤く染まったと思った次の瞬間、大地はやわらかな白いシーツに変わっていた。


「おっと。だいじょうぶ? 眠くなった?」


 やさしい声に誘われて顔を上げると、薄闇の中ダグラスが微笑んでいた。ベッドに座り込むジェーンを抱きとめている。

 あたりは暗かった。けれど塞がれた窓からわずかに差し込む光で、こじんまりとした部屋の様子がなんとなくわかる。

 ここはいつも夢に見る恋人との部屋だ。玄関扉は板で厳重に封じられ、輪郭だけがぼんやりと浮かび上がっている。


「外に出たいの? ダメだって言っただろ。危ないんだ」


 ダグはジェーンのあごに手を添え、向き直らせた。声と同じように、恋人の顔からは感情が消えている。

 ジェーンはなおも視線だけを扉に向けた。


「外には辛くて苦しくて、怖いことがたくさんある?」

「そうだ。だから知らなくていい。俺とずっとここにいればいいんだ」


 もっと隙間なく引き寄せようとしたダグの胸板を押し返し、ジェーンは拒む。


「でしたら私は扉を開けて、外に出ます」

「待って……!」


 冷たい床に裸足を下ろし、ベッドから立ち上がったところで手首を掴まれた。その手は夢とは思えないほどあたたかい。

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