吐露と誘い

 部屋に入ると、寝床で青年は体を起こしたまま窓の外を眺めていた。しかしその視線はすぐに俺に注がれ、切れ長の目が動向を見つめた。

 吸い込まれそうなほど紅い瞳に一瞬言葉を失う。元の世界ではこんなに綺麗な目は見たことがなかったからだ。先程までは気が気じゃなかったために気が付かなかった宝石のようなそれに、思わずぼうっと放心した。まるで炎をそのまま閉じ込めた不思議な色。柔らかそうな銀髪がその鮮やかさを引き立てている。左目の下にある泣きぼくろも相俟って、どこかの絵画や彫刻を見ているような気分だった。

 少しの間を置いて我に返った。慌てて口を開く。


「ご飯とか、食べられそうですか? パンとスープくらいしかないですけど」


「……正直、空腹でした。ありがとうございます」


「はは、ならよかった。ゆっくり食べてくださいよ」


 傍の机に置くと、尚もじっとこちらを見ている。ええと、とどうしても気まずさの滲む声を発すると、彼は無表情を崩さずぽつりと呟いた。


「……敬語なのですね」


「え? いやそりゃあまあ、普通じゃないですか?」


「起きたときはそうではなかったので、少し驚きました」


 その指摘に、自分はかなり砕けた言葉をかけていたことを自覚する。切羽詰まっていて敬語を使うことまで頭が回らなかったのだ。負傷した起き抜けに、あんな勢いで迫られては驚いただろう。悪いことをした。


「え、あー……あのときは気が動転してて、つい……すみません」


「いえ……、どうか謝らずに。……むしろ敬語の方が落ち着かないと言いますか。気軽に接してくれると嬉しいです」


「……そう? なら、わかったよ。あなたも、敬語じゃなくて大丈夫だよ」


「……しかし……」


「俺もその方が落ち着くから」


「……わかった。だが、不快だったら教えてくれ」


 俺の反応に、彼が小さく頷く。素はずいぶんさっぱりした口調のようだった。

 ふと剣と荷物のことを思い出し、俺はベッドの近くに置いていた籠を彼に見せた。


「剣は親父さんが手入れするみたい。それで、荷物はここ。中がちゃんと入ってるか確認してもらえるかな」


「手入れも……何から何まで助かる」


「いいんだよ。そうだ、ポーチ洗おうか? 中を見るの申し訳なくて、悩んでさ」


「ん……ありがとう、だが大丈夫だ。服と一緒に買い替える」


「わかった」


 荷物の中を検める彼は、古ぼけた紙を取り出すと安心したようにゆるりと息を吐き出す。涼し気な顔がわずかに緩んだ。ああ、やはり大切なものだったのだ。


「……感謝してもしきれない。一番大切なものが入っているんだ」


「そっか。ごめん、ポーチから落ちてきたから見ちゃったんだけど……それ、誰かの絵だよね。なんとなく、大事な人なんだろうなって思って」


「……ああ。世界で一番大切な、俺の妹だ」



 ――もう、会えはしないが。



 静かな声色で紡がれたその言葉に、俺は目を見開いていた。


「……それは……」


「元々……両親が早くに亡くなって、二人で暮らしていたんだ。俺が街に働きに出て、妹は近所の人に面倒を見てもらって……村は小さいが、長閑で温かい人ばかりだった。妹には寂しい思いをさせているだろうに、いつも笑っていた。健気な、優しい子だった」


 思い出を慈しむような、温かく――どこか寂しげな瞳。その目線は、すぐに彼自身の手元へと落とされる。


「…………だが、仕事をしている間に村が魔物に襲われてな。そのまま……」


 とうに、亡くなっていたのか。語られた事実は、あまりにも悲惨だ。伏せられた視線に何を言うべきなのかわからない。だけど黙りこくるのは、打ち明けてくれた彼にも失礼な気がした。


「……辛かったな。冒険者になったのも、それが理由?」


「ああ。復讐半分、あとは同じような奴を増やさないのが半分。……こんなことをしても妹は喜ばないだろうが」


 自嘲気味に笑う姿に、言葉にし難い痛ましさを覚える。


「どうかな。下手なことは言えないけど……」


 彼が視線を上げて俺を見上げる。迷子になった子どものような、不安の滲む顔。何を言えばいいのかわかりはしないけれど――そんな悲しい顔は見たくなかった。


「自分みたいな人を増やさないために、っていう理由が出てくるのはなんていうか……すごく、優しいと思うよ」


 復讐が彼にとって、そして大切な妹さんにとって良いことか悪いことなのかはわからない。それを判断する権利は俺には無いし、糾弾できる立場ではない。

 だけど、冒険者になった理由は彼の人と成りを表している。「同じような奴を増やさない」という言葉は、純粋に彼が真っ直ぐで思いやりを持つ人物だからこそ出てきたものだと思ったのだ。彼は妹さんが優しい子だと言った。きっと、よく似た兄妹なのだろう。


「お兄さんがそういう人なの、少なくとも妹さんにとって誇らしいことなんじゃないかな。俺が言うのもおかしいかもだけど」


「……そうか。そうだと、いいな……」


 彼の白く精悍な手はぎゅ、とシーツを固く握りしめている。剣を握り慣れているだろうその手は俺よりもがっしりしていたが、不思議と頼りなさげに見えた。


「悪い、いきなりこんな話をしてしまって。久しぶりに深手を負ったから、少し弱っているのかもしれない」


「いいよ。話したいなら俺は聞くし、そうした方がすっきりすることもあるだろうしさ」


 正当化でも気休めでも、彼が落ち着くならば良い。復讐は間違いなのだということがもし正論なのだとしても、それで今この青年を責め立てるのは決して正しくはない。


「なんにせよ、あまり思い詰めない方が妹さんも嬉しいって。それと、早くご飯食べて元気になるのも喜ぶと思うよ」


「……はは、ああ。そうだな」


 青年がゆるりと頬を綻ばせる。初めて見る笑顔だった。彼の語調に確かにあった不安の色が解れたことに、自分も安堵が広がって、思わず小さく息を吐いた。知らずの内にかなりの緊張状態にあったらしい。

 彼が椀に手を伸ばしたのを見届けてから、ゆっくり立ち上がる。


「それじゃ、なにかあったら遠慮しないで呼んでね。とにかく今日は安静にしてて」


「待ってくれ」


 踵を返すと同時に腕を掴まれる。振り向けば、真っ直ぐな双眸が俺を見上げていた。


「ん、どうかした? なにか欲しいものある?」


「……いや。名を、教えてくれないだろうか」


「俺の?」


 ぱちくりと、瞬きをして。口を開く。


「俺は菅原悠斗。……そうだな、悠斗とか、好きに呼んでよ」


「そうか、ユウト……うん、良い名前だな。俺はロイだ。ロイ・ゲハイム・ギルバートという。よろしく頼む」


「ああ、よろしく、ロイ!」


 交わした握手は気恥ずかしくて、つい笑ってしまった。



 それから、数日が経った頃。ロイの容態は、目に見えて回復している。こちらも一安心だ。


「ロイ、おはよう。傷は痛まない?」


「ああ。もう動けるくらいにはなった、ユウトたちのおかげだ」


「はは、俺は大したことしてないけどね、でもありがとう」


 食器を片付けながら、くるりと彼へ向き直る。


「そうだ、今日は少し外に出てみる? もちろん無理のない範囲でだけどさ、ずっと寝てるの、退屈じゃない?」


「そうだな……うん、そうしてみるか。ユウトもついてきてくれるか?」


「もちろん!」


***


 んん、と背を伸ばす。今日も長閑でいい天気だ。村の人は物珍しそうに声をかけてくるが、ロイの人好きのする笑みに警戒心をすぐ解いたようだった。


 陽の光が彼の銀髪に流れる。僅かに光を反射する絹糸のようなそれは目を奪われるほどに綺麗だ。


「いいところだな」


「俺もそう思うよ。辺鄙だけど、優しい人ばっかりだしさ」


 村を一望できる少し小高い丘に着いた俺たちは、聳える一本木の根元に腰を下ろす。娯楽は無いから彼が退屈してしまうかと思ったが、ロイは穏やかな表情を浮かべて村を見下ろしていた。


「ロイは冒険者なんだよね?」


「ああ」


「やっぱり、魔法とかバンバン使って魔物倒したりするの!?」


「そうだな……剣があっただろう。俺は火の魔法が得意だから、炎を纏わせて攻撃することが多い」


 半ば興奮気味に食いついてしまった俺へ、さらりと答えられる内容に胸が震える。なんだ、なんなんだそれ。そんなの、あまりにも。


「……カッコよすぎるだろ、それ。うわあいいな、火の魔法か……!」


「ああ。ユウトはどの属性の魔法が使えるんだ?」


 その質問に、思考が一瞬止まった。


 火、水、木、土、光、闇――この世界の人々は必ずひとつの属性の魔法を使える。稀にいくつも使える人もいるようだが、魔力が皆無な俺は当然どれも使えないのだ。もし使えるなら闇がよかった。闇って格好良いから。全部格好良いけど。


「あー……実はさ、魔法使えないんだ」


「魔法が使えない? ……それは、不得意ということか?」


「いや、全く使えないの。魔力ゼロだしさ……スキルも無いんだよね」


「…………スキル、も……?」


 ロイの紅い瞳が丸くなる。信じられないといったその顔に、俺は笑いを漏らしていた。笑い声で我に返ったのか、彼は申し訳なさそうに謝罪を口にした。


「……すまない。魔法もスキルも使えないというのは、今まで聞いたことが無かったものでつい……悪い」


「ああいや、謝らなくていいよ。やっぱりそうだよなぁ」


 悪いことを聞いてしまったといった顔をしているが、どう答えようか思考が止まっただけで特に傷ついてはいない。悪い意味で常識破りの存在な、魔力ゼロスキル無しの相手を前にしているのだ。当然の反応だろう。


「俺も少しくらい魔力があれば、ロイをちょっとは助けられたのかもしれないけど」


 笑って自虐すれば、「何を言うんだ」と返って来たのは真剣な声色だった。


「俺を見つけて介抱してくれたじゃないか。それに、ヤコブさん……といったか。あの人から聞いたが、傷だらけになってまで助けを呼んでくれたのだろう? ――感謝してもしきれない」


 ユウトは命の恩人だ。


 ふわりと微笑んだ彼に照れくささが込み上げてくる。同性から見ても綺麗な笑みで、つい見惚れそうになったのをまた笑って誤魔化した。


「はは……聞いてたんだ。うん、助けになれてたなら良かった」


 魔狼に襲われても、反撃すらできなかった腰抜けだけれど。彼の言葉は素直に嬉しかったのだ。


「そういえばさ、なんでこの辺りに来てたの? やっぱり依頼関連?」


「ああ……ひとつ遠くの山があるだろう。あそこで討伐依頼があった。ギルドから支給されていた魔石を使って転移したんだ」


 遠く指さした先を見る。ここからかなりの距離がある山で、魔石や馬車無しでは誰も行こうとはしない場所だった。


「そのまま依頼を終わらせたのはいいんだが、依頼書よりも強い魔物の群れまで出てきた。何とか倒したものの満身創痍、帰りの分の魔石も壊される始末で参った」


「……あれでここまで歩いて来たのか!? あんな遠くの山から、血だらけで!?」


 衝撃的な言葉へ前のめりになって問えば、事も無げにロイは「ああ」と肯定する。あまりにもあっさりとした態度に、なんだか脱力してしまう。


「…………本当に、生きててよかった……」


 運が悪ければ失血死だってありえたはずだ。火事場の馬鹿力というやつだろうか。ポーションを何度も補給したヤコブさんですら治しきれないほどの傷を抱えながら、よくもまあ歩き切ったものだ。


「……あ、そっか。じゃあ治ったらギルドに報告しに戻らなきゃいけないかな」


「、ああ……そうだな」


「ギルドって、ええと……確か街の方にあるんだったよな。ここからわりと距離あるけど、大丈夫か?」


「なに、大した距離じゃない。魔石を使わずとも半日ほどで行ける」


「そっか……。ギルドかぁ……」


 発した声にはどうしても憧れが滲む。


 漫画のようなフィクションの世界にしかないと思っていた。どんな場所なのだろう。冒険者が集まるというのだから賑やかだろうか。労働者の組合のようなものだったり? 冒険する上では危険もあるからそのための保険の加入とかもあったり――いや、そんなことはないのかな。詳しいことは知れなくてもいいから、その場の雰囲気だけは味わってみたいような気もする。


「……ユウトも来てみないか? 街は騒がしいが、退屈はしない……はずだ」


「えっ?」


 妄想に没頭していると、ロイがおずおずと聞いてきた。あからさまに「行ってみたいです」なんて空気を出してしまったため、気を遣わせてしまったらしい。

 俺の返事を窺うようなその表情に申し訳なさを感じて、慌てて口を開いた。


「あ、いやごめん、気を遣わせちゃったかな。俺、勝手とかわからなくてさ……ずっと着いていくことになるだろうし、迷惑になるから。気にしないで」


「迷惑じゃない。ユウトが楽しんでくれればと思ったのだが……駄目だろうか」


 困り眉で問われれば、断る言葉なんて、俺はもちあわせていなかった。

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