スキルも魔力も無いけど異世界転移しました

書鈴 夏(ショベルカー)

異世界と紅の剣士との出会い

異世界と絶望

 入社四日目の朝。俺は会社などではなく、見知らぬ草原に立っていた。


「え……? なに……なにここ……?」


 こんがらがりそうな頭を抱えて記憶を辿る。そうだ、確か、俺は……家を出て、まさに会社へ向かおうと徒歩で通勤していたところだったのだ。拭いきれない緊張混じりに横断歩道を渡っていると、ふと耳慣れない音がした。黒板を爪で引っ掻いたような、不愉快な音。そちらを向き視界の真ん中に映ったのは、俺目掛けて突っ込んで来る居眠り運転の乗用車。迫る車体に終わった、と運命を察したそのとき、強く体が引っ張られる感覚がし――次の瞬間、目の前には草原が広がっていた。


 そして、冒頭に戻る。


「……うっそだろ」


 整理しても頭は余計にとっちらかるばかりだ。悪い夢でも見ているのではないかと考えもしたが、頬を抓っても夢から覚めることはない。まさか、本当に。


 これが俗に言う、異世界転生……いや、転移? どちらが正しいのかはわからないが、そういったものだろうか。


 ……ドッキリ、じゃないのこれ。


 だって新卒で? 入ったばかりの会社に慣れもしていない内に? 追い込まれに追い込まれた俺にようやく内定を出してくれた、恐らくホワイトな会社だったのに? 上司も同僚も優しい人ばっかりで喜んでいたのに? せめて就活でメンタルが終わっていた頃に転移だか転生でも良かったんじゃないかな。

 いいや、それどころではない。両親にももう会えない。友人もきっと一目見ることすら叶わないだろう。


 気づけば溢れる無力感で膝を着いていた。一陣の風が吹き抜けて草がざわめく。どこまでも広がる地平線に、なんとも言えぬ喪失感がまた生まれる。涙は出なかった。戻れないことはどこかで悟っているのに、どこか現実味が無いからだろうか。

 いつまでそうしていただろう。はああ、と肺の中の空気を全て出すように、長く息を吐く。両手で顔を挟み頬を叩いた。


「……ここに居たってどうしようもないんだ。とにかく、動くしかない」


 良いように考えろ、菅原悠斗。活を入れる。

 希望を持て。ほら、よくあるだろう。SNSの広告でやたらと流れてきた漫画。ここが異世界だとしたら、いつの間にか与えられたチートスキルで無双したりして。容姿もパッとしないし飛び抜けた才能もないけど、冴えない俺がギルド最強、いやそれどころか世界最強の名を轟かせ、なんだか良い感じの人生が送れるのだ!! ──なんて、自分に言い聞かせる。……なによりもしかしたら、元に戻れる方法もあるかもしれないし。そうだよ、きっとそうだ。

 もう戻れないとうっすら漂う不安感は無視して、立ち上がる。



 これから始まる新たな冒険譚と帰還への希望を思い描きながら、俺は草原を歩んで行った。



 そうして、数ヶ月。俺は────異世界ギルドの英雄などではなく、村人のひとりとして暮らしていた。


 辿り着いた小さな村で、俺は出会った村人へ赤裸々に身の上話をすると村中の人が集まることとなった。といってもそれほど人が多い訳ではない。訝しげな視線を向けられる居心地は余り良いとは言えなかったが、怪しい余所者が来たのだ、当然の反応だろう。

 そうして、促されるままスキルや魔力の鑑定をしてもらった。『鑑定』スキルとやらの持ち主は人の固有スキルや体力、魔力を見ることができるらしい。それ自体はありふれたものらしく、そこの村にも一人使い手がいたため見てもらったのだ。



 結果は、スキルも魔力も全く無し。



 本来は優劣あれど必ずどちらも有するものらしい。これが異世界から転移した弊害なのだろうかと、当初はそれなりに凹んだ。それに尚更村の人たちからの視線はより不信感を増していくばかり。いい歳した成人男性がみっともなく涙ぐみそうになったことは、今からでも記憶から消したい。

 しかし、肌を刺す不穏な空気の中、ひとりの村人──鍛冶屋の店主が「行く宛てが無いのなら俺のところに来ればいい」と何の気なしに言い放ったのだ。救世主が現れたとまた泣きそうになったのは仕方ないことだろう。


 結果として、俺はそのままお世話になった。鍛冶屋を手伝いながら日を過ごすうちに、他の村人とも次第に打ち解けることができたように思う。仕事は少しだけ慣れてきた。といっても、俺は簡単な手伝いくらいしか出来ないとはいえ。

 昔気質の職人といった気風の親父さんはやはり厳しいところもあるが、それでも優しい。一見とっつきにくいように見えて人情深い人で、俺を弟子どころか本当の息子のように扱ってくれている。俺があくどい人間で嘘をついていたらどうするのだろうか、なんてちょっと心配になってしまう。


 ドラマティックな事件も冒険もなにも無い。ここがマンガなどの世界なら、俺は目も書かれていないようなモブであるはずだ。

 だけどただのんびりと日々を過ごしている。それもまた、ひとつの幸せだろう。


 始めのうちは元の世界に帰る希望が胸の中で燻っていたものの、ゆっくりと薄れていく感覚がある。それは特別な力も何も無い、自分の無力さ故だった。

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