最終章 魔王編

第41話 浸食

 街を覆う赤色と、人魚の背後に見える青い海の色が混ざり合って、目がチカチカとする。両腕のない人魚は、血の海に倒れている俺のそばにずっと付き添ってくれていた。



 「友人を救いたいならば、あなたの友人が望む通りにしなさい。あなたの友人は、この魔法の本当の使い方をよくわかっているようです。私たちの魔法は……ただ傷を治すだけの魔法ではありません。天使様が、この世に唯一残してくださった形見ですから」



 俺は横たわったまま、どういうことかと声を発しようとするが、口からは血が吐き出されるだけで到底声にはならなかった。



 「あなたの中にある傷は、私には癒せません。でも、その傷はいずれ癒えます。何百年、何千年かかるかわかりません。それでもきっと……」



 そこまで言うと、人魚は言葉を飲み込んだ。そして愛おしそうに俺に笑いかけ、その薄い唇から優しい声を発した。



 「あなたならきっと、その魔法を正しく使うことができるようになるはずです。だってあなた自身も、あなたのご友人に負けないくらいの正義と優しさを持っていますもの。そうでなければ、……私のことを助けたりしないでしょう」



 ああ、そう言われればどうして俺はこの人魚を助けたのだったろうか。きっと、助けたりせずにあの強欲な王にでも献上してしまえばたくさん褒められただろう。あの世間体の大好きな父親も、俺のことを一人前として認めてくれたかもしれない。そうすれば、周りの大人たちも俺の話をもっとちゃんと聞いてくれたかもしれない。そうすればきっと……こんな孤独感に苦しめられることもなかったかもしれないのに。



 人魚の、海の色と同じ色の長い髪が、顔にかかる。自分の額に柔らかいものが触れた。それが妙に暖かく心地よかった。



 「そろそろ、ですね」



 呟く人魚の身体から、優しい青い光が漏れだす。その光は徐々に人魚の身体を包み込んでいく。



 「ありがとうございました……。どうか、お元気で」



 全身を光に包まれた人魚は、最期に頭を深く下げこういった。人魚の身体は、泡となって弾けて消えてゆく。



 ああ、彼女は死んでしまったのだ。それを理解したと同時に、目から熱いものが流れ出る。



 物心ついた時から泣いたことなどほとんどなかった。というよりも、自分の感情を表に出すことができなかった。俺の白い翼を見て、天使みたいだとよく知りもしない大人がたくさん近寄って来た。時の王まで、縁起がいいからと俺のことをそばに置きたがった。俺が王のそばに行ったら、それに比例するように父親はどんどん偉くなっていった。上辺だけで近づいてくる大人も、比較にならないほど増えていった。ずっとずっと、寂しかった。俺には、白い見た目しか必要なかった。俺という存在が、どんな能力を持っていようと、どんな性格をしていようと彼らからすればどうでもよかったのだ。心のつながりを持てなかったからこそ、俺はいつか簡単に見捨てられるような気がしていた。だから俺は、たくさん周りの大人にサービスをしたのだ。自分の感情を押し殺して優等生のいい子を演じることが、俺の処世術だったはずだ。



 それなのに……そうだったはずなのに、目からあふれるものが止まらない。体の半分を食いちぎられ、もうとっくに痛みなどわからなくなっていたはずなのに、胸のあたりがひどく苦しい。



 俺は生き残ってしまった。



 右手がない、右肩がない、肝臓もない、右肺もない。そんな状態で、生かされたのだ。



 あの心優しい人魚と、唯一の友人を犠牲にして、俺は生き残ってしまう。



 残った臓器に、空気を目いっぱい吸い込んでみる。



 ああ、俺は一体、何人を不幸にしただろうか。



 どうすれば、この罪を償えるだろうか。



 そんなことを考えれば考えるほど、悲しみは徐々に肥大化していく。繰り返し何度も考えたが、やがてそれは一つの疑問に行きついた。



 ……どうして俺なんかのために命を懸けるのか。



 俺はこんな思いをするくらいならここで死んだって構わなかった。どうして……こんなに俺のことを助けてくれるのか。



 もう、考えるのも疲れた。体は相変わらず動かない。遠くで何かが爆発するような音と、ガラガラと建物が崩れる音が聞こえた。目を閉じ、それらの音を振り払うように静かな海の音に耳を傾けた。



 しばらくしたころに、ひどい顔をした友人が戻って来た。彼は血まみれの肉塊を抱えている。彼は泣きはらした目のままで、その肉塊を俺の右側に置いた。ただの肉塊に見えるそれは、ほんの数時間前まで俺の右半身だったものだ。人魚に教えてもらった魔法が、失った俺の右半身を徐々に修復していく。友人は、本当にこれで全部なのかといったような心配そうな顔でこちらを覗き込んでいた。その体には黒い靄のようなものが纏わりついている。



 彼の後ろにつき従う悪魔は、少し不機嫌そうにクラバットを結びなおしていた。





 周りの氷は徐々に薄くなり、足元を見ると黒い石畳のようなものが顔をのぞかせていた。その石畳は、勇者たち三人を導くかのように遠くの城まで続いている。その城は、全体に黒い靄のようなものがかかっており、この位置からも重々しい空気が感じられた。見上げると、城の建物の真ん中に鎮座する塔は、そのあまりの高さから曇天を貫いているようにさえ見える。あと数百メートルも歩けば、城の門にたどり着くだろう。三人はそこで一度呼吸を整えてから、互いに顔を見合わせて頷き合った。



 「グラーノ、一つお願いがあるんだけど……」



 再び歩き始めてすぐにギルが声を発した。



 「なに?」



 重々しい雰囲気に、自然と声も低くなる。



 「そのブレスレッド、貸してくれない?」



 すこし身構えていたグラーノにかけられたのは意外な言葉だった。そう、それはグラーノがモーリーとの別れ際にもらったもの。魔力を閉じ込めるための〝魔石〟がはめ込まれたブレスレッドだ。



 「どうして?」



 思わずギルの方を見上げる。するとギルは立ち止まり、真剣な顔でこちらに向き直った。



 「俺の変身魔法の魔力を入れたいんだ」



 そういうと、ギルはそれまでポケットに突っ込んでいた右手を出して見せる。白い羽毛は、手首を超えてさらに肘の方へ浸食し始めていた。



 「え、どうして?」



 「…………俺の変身魔法、もう使えなくなるかもしれないから」



 自分の手を見せながら真っすぐ二人の方を見るギルに、マーヴィとグラーノは意味が分からないというように詰め寄った。



 「どういうことか説明しろ」



 その言葉をしっかりと受け止めて、ギルは一度目を瞑った。



 「これは俺の仮説なんだけど……。魔王の粉塵は元は、生き物の怒りとか悲しみといった負のエネルギーでしょ。そして、同じこの負のエネルギーで作られたのが今魔法生物たちが使っている魔法で……。この二つは同じ材料で作られているから、互いにひかれあうし、簡単に混ざってさらに強大になる……それでモンスターになるんじゃないかって」



 「それが今回の話とどう関係がある」



 要領を得ないギルの言葉に、マーヴィは少し腹立たし気に声をあげた。



 「真偽は分からない。でも何となく、少し前から俺のなかにある変身魔法が人魚の回復魔法に浸食されているような感じがする。……負のエネルギーを多く取り込んで魔力が暴走するなら、その反対もあり得るんじゃないかなと思ったんだ」



 「えっと……つまりどういうこと?」


 


 今度はグラーノが声をあげた。ギルは自らの右腕に映えた羽毛を毛づくろいでもするかのように撫でながら、言葉を続ける。



 「俺は旅を続ける中でいろんな人に出会った。その中で彼らの持つ正のエネルギーが、もしかしたらずっと人魚の魔法の中に取り込まれていたのかもしれない」



 そこまで言うとギルは一度言葉を切り、二人のことを見やった。マーヴィとグラーノは、ようやくどういうことなのかを理解したようで目を見開いている。



 「もちろんいいことばっかりじゃなかった。つらいことも悲しいことも旅の中ではあった。でも段々と正のエネルギーの方を取り込むことが多くなって、俺の中の正と負のバランスが徐々に崩壊していった」



 「それが顕著に表れたのがこの手なのかなって」



 そう言って自嘲気味に笑うギル。しばらく三人の間に沈黙が流れた。


 


 「さっきの話だと、オレたち魔法生物は怒りの感情に触れるたびに暴走に一歩近づくわけだが……粉塵を吸ったならともかく、日常生活を送る中で負のエネルギーに接する機会なんていくらでもあるだろう。それも溜まりにたまったら暴走するってことかよ」



 沈黙を破ったのはマーヴィだった。旅の中で、誰もがうっすらと抱いていた疑問だった。



 「もしかしたらね。でも、普通に生活する分にはほとんど問題ないんだと思う。でも時代が不安定で世の中が落ち込んでいるときなんかは、負のエネルギーがそこら中に満ちているから、魔王の粉塵がなくても必要以上に取り込んでしまって……それで大きな戦争とかそういったことになるのかもしれない」



 確かに、ギルの言うことには一理ある。世の中が不安定になるからこそ負のエネルギーが増大し、そのエネルギーをもとにさらに大きな争いが起こる。その争いは、場合によっては争いに参加したものを殺しつくすまで止まらないだろう。それを止めたければ―



 「俺は、この旅でできるだけたくさんの人にこの回復魔法を使った。治された本人だけじゃなく、その家族や恋人、時には街の人全員が喜んでくれたよ……。もしかしたら人魚が残したこの魔法は、怒りの魔法よりもさらに貪欲に喜びのエネルギーを集めようとしているのかもしれない」



  魔王の行動に少し共感を覚えたマーヴィの思考を遮るかのように、ギルは話を続ける。



 「だからきっと、俺はもう変身魔法を使えなくなっちゃうんじゃないかなって思ったんだ」



 ギルの行動の意味をようやく理解したグラーノは、少し何かを考えるような仕草をする。しかしすぐに何かを思い立ったようにブレスレッドを彼に差し出した。ギルはブレスレットを大事そうに両手で包み込む。魔石はわずかに光を発したあと、すぐにただの黒い石に戻った。



 「グラーノ、また地上に戻るかもしれないんでしょ。ルイスと、約束したもんね」



 「うん……。ありがとう。でもギル……腕が……」



 ブレスレットを返してもらい、グラーノは大事そうにそれを抱える。だがその表情はあまり喜んでいるとはいえず、不安そうにギルの右腕を見つめていた。


 ギルの羽毛は、右上半身をほとんど浸食していた。右腕も、もはや手というよりは翼と言った方がいい形になっている。半人半鳥のような風貌になったギルは、また苦々しく笑った。



 「俺も、念のために爪とか羽根とか作ってたらよかったな。……二人はまだ、二日くらいは大丈夫だよ。魔力がそんなに弱ってないときに一度補充しといたからね。……そのネックレスとイヤーカフ、もう壊さないでね」



 真剣な顔のギルに、マーヴィとグラーノは深く頷く。



 そして三人は黙りこくったまま、すでに目前まで迫っている城を見上げるように天を仰いだ。



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