猩々編

第21話 森の人

 歩いても歩いても、高い木々と植物が生い茂るだけで周りにはそれ以外に何も見えない。わずかな獣道と、グラーノの勘だけを頼りに進む。今まで通って来たどの森よりも遥かに大きいその場所は、まさにジャングルと呼ばれる場所であった。時々、聞いたこともないような鳥の鳴き声が響き渡る。



 「あっ」



 唐突に、先頭を行くグラーノが素っ頓狂な声をあげて立ち止まる。後ろに続くマーヴィとギルが何事かと前を見ると、グラーノは目の前を指さしていた。



 「少し開けたところがあるよ。今夜休む場所にどう?」



 指さした先には、半径数メートルほどの木が生えていない空間があった。耳を澄ますと、微かにどこからか水の流れる音が聞こえる。



 「うん、そうだね。良いと思う」



 ギルのその言葉に、グラーノは嬉しそうに駆け出した。開けた場所のど真ん中で、手足を大の形にして寝転がる。下に敷いた草木はかすかに濡れていて、一日中歩き続けて火照った体にはその冷たさが心地よかった。



 ギルとマーヴィも、近くに腰かける。水筒の蓋を開け、飲もうとするが二人とも、中はすでに空っぽになっていた。ギルが苦笑いしながら、マーヴィの前に手を差し出す。



 「汲んでくるよ」



 「ああ」



 マーヴィが水筒をギルに差し出した瞬間である。唐突に、グラーノがガバッと飛び起きる。少し遅れてマーヴィも立ち上がり、きょとんとしているギルを自分の後ろに下げる。聞いたこともない鳥と虫の声に囲まれながら、マーヴィとグラーノは四方を睨みつけていた。



 突然、三人の周りにあるすべての草花が盛り上がり、その一つ一つが意志を持ったように三人に襲い掛かった。とっさにマーヴィが右手を上げ、四方から伸びる草花を一つ残らず凍らせる。草花が動きを止めたことによって静まりかえったジャングルで、三人は花氷の檻に閉じ込められた。


 三人は、戦闘の姿勢のまま辺りを警戒する。数十秒だったか、数分だったかはわからないがそうしてしばらく硬直していた。



 周りが物音一つしないことを確認したマーヴィは、氷の混紡を作り出して凍った草花を割り始めた。一箇所を重点的に叩き、人が一人通れそうな隙間を作る。用心深くその隙間から顔を出すと、外の草花は変わった様子もなくただそこに佇んでいるだけであった。



 「なんだってんだ」



 そういいながらマーヴィが二人に振り返ったとき、唐突にマーヴィの体が後方へ吹き飛んだ。飛ばされた体は、後方に立ちはだかる花氷さえ突き抜けて、あっという間にその姿が見えなくなる。



 「「マーヴィ!」」



 二人が叫ぶと同時に、先程マーヴィが開けた隙間から一人の若い男が顔を出した。



 「ここから先へ立ち入ることは許さん。即刻立たされ。さもなければ」



 ヘーゼル色の髪と瞳をした若い男は、穴の縁に右手をかけている。その右手にグッと力を込めたかと思うと、そこの氷を折り取ってしまった。



 「貴様らの首もへし折る」



 ギロリと二人のことを睨みつけ、見せしめのように折り取った氷を目の前で握り潰す。男は手を払いながら、殺気を滲ませて一歩、花氷の檻の中へ踏み出した。



 バキバキ、パキパキ



 二人に近づく男は、檻の外から聞こえる異音に足を止めた。グラーノもはっと何かに気付いた様子で、ギルの腕を力一杯に引っ張る。二人が地面に倒れた瞬間、バキンッといった音とともに花氷の檻が半分ほどに砕け散った。



 自分たちの横スレスレの場所で、粉々に砕け散った氷と草花の残骸を見たギルとグラーノは息を呑んだ。グラーノが気付いてくれなければ、今頃自分たちもこうなっていただろう。


 ヘーゼル色の髪の男も寸でのところで躱したようで、すぐに体勢を立て直して一箇所を睨んだ。



 「ちっ、外したか」



 そこには傷だらけのマーヴィが立っていた。両手にジャングルの大木を持っているのを見るに、それを檻に叩きつけたのだろう。



 「ほう、外の者のくせに今の一撃を耐えたか。これは、骨が折れそうだ」



 「そりゃあどうも。しかし随分な挨拶じゃねえか。ただ休んでただけだってのによ」



 「貴様らは我らの楽園を土足で踏みにじろうとした。攻撃するには充分な理由だと思うが?」



 若い男は腰を落として戦闘の体制を取る。



 「そりゃあ悪かったな。だが、オレ達にもやむをえない事情ってもんがあるんだ。ここを通せ」



 「だめだ。どうしても通るというのなら……私を倒してからにしろ」



 その言葉にマーヴィは微かに笑うと、大木を構えなおした。



 それを合図に、男がマーヴィの懐へ飛び込む。すかさず大木で男の拳を防ぐと、ドゴッという音とともに大木の幹に大きな亀裂が走り、半分に折れてしまった。



 「っ!?」



 それだけでなく、男が木に触れた瞬間に大木の周りに巻きついていた太い蔓が伸びてきた。とっさに大木を手放すが、伸びてきた蔓はマーヴィの体に巻きつき、動きを封じる。それに乗じて、男がもう片方の手で殴りかかった。



 マーヴィは巻きついてきた蔓を凍らせ、力尽くで砕いた。殴りかかってくる男の一撃を受け流すと、その腹に裏拳を叩き込む。男の体が後ろへ飛ぶと、地面の草が盛り上がり、クッションのようにしてその体を受け止めた。



 男はすかさず体制を立て直し、地面に両手をつける。すると、地面から木の根が何本か飛び出してマーヴィに襲い掛かった。



 “植物を操る魔法か”



 マーヴィは氷の大鎌を作り出し、襲いかかる木の根を一掃する。その勢いのまま男の元へ突っ込もうとするが、足が動かない。見ると、下に生えた木の根がマーヴィの足を地面に縫い付けていた。



 ドゴッ



 いつの間にか懐に入った男から、渾身の蹴りがはなたれる。とっさに腕でガードするが、男は軸足を変えてもう一度蹴りを入れた。



 これではいいサンドバッグだ。マーヴィは痛みに顔を歪めながらも、自分の足元に手をかざした。地面の木の根が凍りついたかと思うと、そこから氷の柱が現れた。パキパキと音を立てて木の根をちぎりながら、マーヴィの体を上へ上へと押し上げる。それを見た男はさっと後ろに飛び、距離を取った。



 「ちっ、これじゃあ地面に立てねえじゃねえか」



 口の中に溜まった血を吐き出し、氷柱の上から男を見下ろした。男の方も、少し離れた所で地面に手をつけると、草花を足場にして同じ目線のところまで上がってくる。



 「ギル、どうしよう」



 その根本でギルとグラーノの二人は何もできず、ただ戦いを見守っていた。



 「うーん、困ったことになったね。あの人、さっきの感じからして、俺たちの話は聞いてくれなさそうだし……」



 ギルは右手を顎のあたりに持ってきて何かいい案はないかと考えた。



 「止めないの?」



 「いやだよ。あんなの止めに入ったらひき肉になる」



 二人でそうして考えこむ。このまま、どちらかが力尽きるまで見たままの方がいいだろうか? 珍しくマーヴィが押されているが、怪我なら治せる。危ないことに変わりはないが……。



 「失礼、そこの方々」



 唐突に背後から声がした。振り向くと、全身ヘーゼル色の体毛に覆われた人?が立っていた。体毛に覆われて顔はほとんど見えないが、曲がった腰を支えるように杖をついているあたり、老人なのだろう。



 「あなた方は、旅の方かな。どちらから来られた?」



 その毛ダルマは、人にしてはあまりにも長すぎる腕で杖を地面に突き立てながら、動かない右足を引きずって二人に近づいた。



 「え、えーと。王都の方から……」



 「そうじゃったか。たしか今の都は東にずっと行ったところにありましたかなぁ。そして、魔王城からは一番遠い安全な場所だ。それならば、あなた方を攻撃する理由はないのう」



 毛ダルマは、ふむふむと頷きながら立ち尽くす二人の横を通り過ぎて行った。



 「あ、おじいさん。そっちは危ない……」



 ギルが慌てて止めようとするが、その毛ダルマは左の手のひらをこちらに向けて笑った。



 「はっはっは。平気じゃよ。あの血の気の多い若者はわしの話しか聞かんじゃろうて。少し待っておれ」



 間延びした話し方でそれだけのことを言うと、踵を返して、また睨み合う二人の元へと足を引きずりながら歩き出した。



 マーヴィと男は、微動だにせず互いを睨みつけていた。動いた方が負けるとでも確信しているかのように、相手の出方をただ伺っている。



 男が、微かに姿勢を屈めた。そのわずかな動きを見逃さなかったマーヴィは、素早く氷の大剣を作り出して構えた。男が足場の草花を蹴り、飛び出した。右手に無数の蔓を纏わせながら、マーヴィに向かって拳を振り上げた。マーヴィもまた、大剣を振り上げようと、柄の部分を握り直す。飛び込んでくる男に、思い切り剣を叩きつけようとした時であった。



 マーヴィと男の間に、ヘーゼル色の何かが立ちはだかる。その何かによって、男の拳とマーヴィの剣は受け止められてしまった。



 「っ!?」



 「……! 長老!!」



 男はその毛ダルマを見た瞬間に、その左手に受け止められた拳を、慌てて引っ込めた。長老と呼ばれた毛ダルマは、男と同じように草花を足場にして立っていた。かざした毛むくじゃらの右手の先には、大量の植物が巻きつくマーヴィの氷の大剣があった。



 「アンドリュー、この者たちは魔王城から来たわけではない。粉塵の被害は、心配いらんじゃろう」



 「っ! でも、どこかから移されてきてるかもしれないでしょう」



 「それならば、先にこの御仁がおかしくなっているはずであろう。少なくとも、一定量以上の粉塵の気配はせん。安心せえ」



 長老は、それだけのことを言うとマーヴィの方へ向き直り、右手をかすかに動かして彼の大剣に絡めていた草花を解く。



 「うちの若いのがよく聞きもせずすまんかった。詫びと言っては何だが、私共の村で少し休んで行ってくれ」



 「お、おう」



 あの男と自分の一撃を片手で止めた毛ダルマに内心驚きながらも、申し訳なさそうに頭を下げるその様子を見て、持っていた大剣を下に落とす。



 ヘーゼル色の髪の男は未だに何か言いたげな表情であったが、毛むくじゃらが足場の草花を解いて地面に戻ったのを見ると、それに従って地面へ降り立った。



 「では、行くかのう」



 毛ダルマは愉快そうに笑いながら、また杖をついて歩き出す。一部始終を見ていたギルとグラーノも、顔を見合わせながらそれについて歩き出した。男は、後ろについてくる三人を睨みながらも、長老の後に続いた。





 毛ダルマの長老が案内したのは、ジャングルの中にある小さな集落であった。高い木々を切り倒して作った簡素な高床式の建物が密集して並んでいる。それだけならば外界から隔離された場所で自分たちの生活を営む、単なる部族の村だと思えるのだが、一つ異様なことがあった。村にいるすべての人が、同じ目の色と髪色をしていたのだ。皆が長老と呼ばれた毛ダルマや、マーヴィと死闘を繰り広げたアンドリューのようなヘーゼル色の髪と目をしている。そして皆一様に、外からやって来た三人のことを注意深げに睨みつけていた。



 「はっはっは。そんなに皆が同じ見た目なのが珍しいか」



 違和感を感じてキョロキョロとあたりを見渡す三人に、長老はまったく気にしていない様子で笑った。



 「この村にいる村人はな、皆猩々族の子孫じゃ。とはいっても、そのほとんどが人間との混血だがなあ」



 そんな話をしながら、村で最も大きな高床の建物に三人を案内する。階段を上がり、簾をあげるとそこは大きな広間が一つあるだけの簡素な部屋であった。四方に張り巡らされた大きな窓のおかげで、かなり開放感がある。



 「三人はそこに腰かけて。アンドリュー、水を汲んできなさい」



 毛ダルマの言うように、床に敷かれた茣蓙の上に三人はおとなしく座る。アンドリューの方は何か言いたげに毛ダルマに近づくが、“はよ行け”と追い返されてしまい、渋々外へ出ていった。



 「猩々族って何?」



 グラーノが道中の長老の言葉を思い出したように質問を投げかけた。



 「ああ、外の者なら知らんくても無理はないか。人間が魔法を使えんのは知っているだろう。周りの生物が強力な魔法に目覚めながらも、人間だけはなぜかいつまでたっても魔法が使えんかった。そんな中でも何とかその頭脳と技術を駆使して生き残っていたが、彼らのその技術を求めて手を貸す知的な魔法生物が現れた。その生物のうちの一つが我々猩々族だ」



 外から、不服そうな顔をしたアンドリューが大きな椀一杯に入った水を持って入って来る。



 「へえ、そんなことが陸ではあったんだ」



 長老は、椀に入った水を四つの小さなコップに注ぐと、うち三つを三人の前に差し出した。



 「そうじゃ。他にも手を貸した種族はおったが、我々猩々族はその中でも特別じゃった」



 長老はコップを少し傾け、中に入った水を音を立てながら啜る。



 「我々は種族的に人間ととても近かった。だから、人間と簡単に子を為せたんじゃ。とはいっても、千年前に滅びた王国の技術がなければできなかったことだがな」



 「どういうことだ?」



 マーヴィが方眉をあげて尋ねかける。長老は、少し考える素振りを見せてから、ゆっくりと話し出した。



 「人間たちは何としても魔法の力が欲しかったんじゃ。だから、生物の遺伝子を弄りまわして魔法生物との交配を試みていた。遥か、何万年も前に存在した古代の技術を使ってな」

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