第20話 進む先

 ベッドの上で寝そべる二人は眠りにつくことなく、うつ伏せの状態で起きている。二人がこうして同じベッドで寝られるのは、サマンがルイスのことを探しに来た父親をうまく丸め込んでくれたおかげであった。二人は互いに肩の力を抜き、ベッドの横に置かれたランプの光を頼りに、顔を寄せ合って一冊の本を覗き込んでいた。



 「ルイス、この本ね。貰ったんだけど、難しい言葉が多くて読めないんだ。陸の歴史について書いてあるみたいなんだけど」



 ルイスはペラペラと羊皮紙をつまみ、何枚かめくるって斜め読みをしてみた。



 「うん、そうだね。千年前から現在まで、どんなことがあったか書かれている。でもこれ……もしかしてずいぶん昔に絶版になった本じゃないかな? こんなもの、よく持っていたね」



 感心したというように何度も頷きながら、まじまじと文字の多いその本を読み進めている。



 「ねえ、何て書いてあるの?」



 本に熱中して黙りこくってしまったルイスに、グラーノは口を尖らせながら尋ねた。



 「ああ、ごめんね。えっと要約するとね、千年前にある大きな王国が内戦で滅んで、陸の国はしばらく混乱していたんだ。次の政権を取ろうとあちこちで戦いが起こった。それをおさめるきっかけとなったのが魔王の出現だった。共通の敵ができたことで、戦いあっていた地方の戦士たちは団結し、魔王討伐に向かった」



 ルイスは眉を下げてあやまると、所々に載っている挿絵を指差しながら、一つ一つ説明を始めた。



 「でも、誰も魔王を倒せなかった。魔王はかつての王都に身を潜めていたんだけれど、その周りには魔王の影響を受けて凶暴になったモンスターがたくさんいたんだ。だから魔王の元にたどり着くことすらできなかった」



 チラリとグラーノの方を見ると、興味深そうに本を覗き込んでいた。その様子を見て、ルイスは頬を緩める。



 「それから数年、魔王との戦いは続いたんだけど、突如としてある若者が現れた。その若者は、天使から不死さえ殺す魔法の剣を託され、魔王の討伐に向かった。若者が魔王の鎮座する王都へ向かうと、立ちはだかっていたモンスターたちは皆恐れて道を開けた。そしてついに、魔王はその若者の手によって封印されたんだ」



 挿絵には、剣を掲げる若者が描かれている。それを、グラーノは目を輝かせて見入っていた。



 「そこからは新しく国を作り直して、小さなイザコザを除けば、特に大きな戦争もなく平和に現在まで来たって感じかな」



 ルイスが話し終わって一息つくと、街の鐘がゴーンという低い音をたてた。



 「もう0時か。もう寝よう」



 そういうと、ランプに手をかけて火を消す。グラーノは、ルイスの言葉に頷きはしたものの、本を持ったまま仰向けになっただけであった。まじまじと勇者と魔王の挿絵を眺める姿に苦笑しつつ、ルイスは布団をかけ直した。



 「ねえ、ルイス」



 本を取り上げようと手を伸ばしたところで、ふと尋ねかけられる。



 「なに?」



 「どうして魔王は生まれたの? 魔王ってどんなやつなの?」



 本を取り上げた先に見えた顔は、真剣なものだった。あまり見れない彼の表情に少し驚きながらも、ランプの横に本を置いて布団に入る。



 「さあ、わからないなあ。色んな説があるんだ。戦争で死んだ霊魂の集合体だとか、悪意が具現化した存在だとか。悪魔に魂を売った人間だとかいう人もいる」



 「ふーん。それってさ、倒せるの?」



 「さあ、難しいんじゃないかな? 千年前の勇者も封印することしかできなかったみたいだし」



 「そっか……」



 暗闇の中で、自分の右手をかざして眺める。手の所々にできた硬いタコが、どれだけこの姿で剣を振るってきたかを物語っていた。



 「ねえ、こんなに分厚い本なのに、やっぱり千年よりも前のことは書かれていないね」



 手を下ろして、隣で目を開けたまま天井を見ているルイスに尋ねる。なんとなく、今まではさっぱり興味などなかったことなのだが、気になったのだ。どうして自分がここに存在するのか。



 「うん、その滅んだ王国がどうやってできたのかもわかっていない。不思議だよね。あの遺跡が数万年前の地層から出てきたってことは、昼も言った通りずっと技術の発展がなかったということだ。でも、何か発展を阻害する出来事がない限り、それは考えられない」



 きっと、ルイスもそれが知りたいのだろう。今の自分を見つめたいのならば、過去は切っても切り離せないものだ。



 「それからね、数万年前の地層からは化石がよく発見されるみたいなんだ。化石ができるのは奇跡的な確率のはずなんだけど、その確率では考えられないほどたくさん出てくる。……その時代には死体が多かったのかもね」



 ルイスは天井を見たまま、微動だにしない。しばらくなにも話し出さないのを見て、目を閉じる。すぐに睡魔が襲ってきた。明日からはまた、砂漠を歩かなければならない。しっかりここで休まなければ。



 「これは……大した根拠もないぼくの仮説なんだけれど……」



 うつらうつらとまどろむグラーノに、未だ目を開けたままのルイスが小さく声をかける。



 「この世界の文明ってさ……一回、リセットしてるのかな」



 眠りに落ちるグラーノの耳に、この言葉は届いただろうか。少し気恥ずかしくなって、横を見る。グラーノはすやすやと、眠っていた。それを見て少し安堵すると、ルイスもまた同じように目を閉じた。





 朝日が登るとともに、普段は静まり返っているサマンサの屋敷は慌ただしく動き出した。早起き自体は苦手ではないのだが、限られた時間で五人分の朝食を用意するのは老体にとって容易なものでなかった。それでもサマンサは、嫌な顔一つせず快活に鼻歌さえ歌っていた。



 「随分と楽しそうだな。人の世話なんて面倒なだけだろうに」



 共に早く起きてきたマーヴィが、皿を出しながら訝しげに話しかけた。



 「ええ、でも楽しいんです。こうして料理をするのも久々で。昔に戻ったみたい」



 フライパンの上にのるベーコンを裏返して楽しそうに笑う。


 なるほど。これほどの大きな屋敷に、ずっと彼女一人だったわけがない。この殺風景な家にも、今のように賑やかな時代があったのだろうか。ふと、目についたリビングの肖像画を見てそんなことを思った。



 出来上がった料理を皿に移したところで、バタバタと奥の部屋が慌ただしい音を立てだした。


 その音の主達は、まず風呂場へ向かったようで水音が聞こえてきた。そして水音が止まったかと思うとまた、バタバタと騒々しいままでリビングまで迫ってきた。



 「おはよう!」



 「おはようございます」



 二人の少年が明るい声を出した。グラーノは、両手に大きな分厚い本を抱えている。たしかそれはあの魔女から貰ったものだ。



 「なんでそんなもの持ってきやがる。飯食うのには邪魔だろ」



 そう言ってマーヴィが、椅子に座るグラーノから取り上げようとする。グラーノは、口を尖らせて本をさらに抱え込んだ。



 「大事なものなの!」



 そう叫ぶと、本を膝の上に乗せたままでフォークを掴んだ。その様子に、ポットを持ったサマンサが苦笑いしながら歩み寄った。



 「「いただきます」」



 「はい、どうぞ」



 ぴったりと声を合わせて食べ始める二人の少年を見て、マーヴィとサマンサも椅子に腰掛ける。



 「ところでお前、ちゃんと顔は洗ったのか」



 「うわった」



 「顔に涎の後が残ってるぞ」



 「グラーノ、頬張りながら喋るなよ」



 隣に座っていたルイスが笑いながら、テーブルナプキンでグラーノの口を拭った。



 「おはよう」



 賑やかに朝食を食べる四人に、どんよりとした暗い挨拶が投げかけられた。見ると、ギルが目を擦りながら立っている。どこか疲れている様子だ。



 「おはよう、ギル。帰ってきてたんだね」



 「うん、昨日の夜中にね。サマンサさん、昨晩はすみませんでした」



 「いいのよ。ちょうど寝ようと思っていたところに帰ってきてくれたから」



 そう言ってサマンサは新しいカップに茶を注ぎ始めた。“帰って来た時に入れないと困るだろうから”昨晩、サマンサはこう言ってずっと起きていたのだが、きっとそれは言わない方がいいのだろう。マーヴィには理解し難いことだったが、なんとなくその方がいいような気がした。



 ギルも頭を下げ、差し出されたカップを受け取って席につく。



 「昨日はどうだったの?」



 「ああ、負けたよ。大負けした。どうやら俺には博打うちの才能はなかったみたい」



 はにかみながら、ナイフとフォークを器用に使ってベーコンを食べる。




 そうして賑やかに食事を続け、食べ終わった後もしばらくのんびりと茶を飲みながら談笑していた。



 「ルイス、もうそろそろ行かないとまずんんじゃない?」



 「あ、本当だ! 急がないと」



 サマンサとルイスが、時計を見て声をあげる。ルイスはバタバタと外に出る支度を始めた。



 「俺たちもそろそろ行こうか。買い物とかしないといけないし」



 「ああ、そうだな。まずは水だ。樽で五つくらい買っていこう」



 「だめだよ、持ち歩くには重すぎる」



 「オレが持てば問題ねえだろ」



 「ああ、そうだったね」



 マーヴィは立ち上がると、サマンサの方に襟を正して向き直った。



 「サマンサのばあさん、いろいろとありがとうな」



 「いえ、こちらこそ。あなたも大変ですね」



 「まあな」



 そんな会話を交わす二人を見て、ギルが怪訝そうな顔でグラーノに耳打ちをした。 



 「どうしてあんなに仲良くなってるの?」



 「知らない」





 「ルイスは一旦帰るの?」



 サマンサの家の前に五人は立っていた。



 「うん、勉強道具だけとりに帰ってそのまま学校に行くよ。おばあさん、いや先生。今日からよろしくお願いします」



 ぺこりとサマンサに頭を下げる。



 「はい、よろしくね」



 サマンサも同じように頭を下げる。



 「グラーノ、本当にありがとう。君に会わなければぼくはきっと諦めていた。どこまでできるかわからないけれど、がんばるよ」



 「うん、楽しみにしてるね。ルイスが偉い学者になったら、必ずお祝いしにここに戻ってくるから。だから、その時まで、さようなら」



 「うん、ありがとう。さようなら」



 振り返ってルイスは歩き出した。



 「俺たちも、行こうか」



 「ああ、世話になったな」



 「いいえ、こちらこそ。長い旅になるようですが、どうぞご無事で」



 サマンサの見送りを背に受けて、三人も歩き出す。そこでグラーノは、抱え込んでいた本の存在を思い出して、慌てて反対方向に走り出した。



 「待ってルイス!」



 振り返る彼に、陸の歴史の本を押し付ける。



 「これ、持ってて!」



 ルイスは受け取った本を見て目を丸くした。



 「いいの? 貴重な本なのに?」



 「うん、今のボクにはいらない。でも、今のルイスには必要なものでしょ」



 そう言って明るく笑った。



 「ルイスが偉い学者になったときに、表紙にサインして返してくれたらいいから」



 その言葉に、ルイスは大事そうに本を抱え込んだ。



 「うん、必ず返すよ。ありがとう」



 笑い合う二人の声は、少し震えていた。また会うその日まで、ほんの少しの別れである。互いに違う方向へ歩き出した二人は、時々後ろを振り返って手を振り合った。互いの姿が見えなくなるまで何度もそれを繰り返し、やがて二人の少年は前だけを見て進み出した。

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