誘拐

連喜

第1話 50年前

 俺の地元に、子供の頃、誘拐されたことがあるという人がいた。

 ちなみにその人は男性だ。Aさん。50の俺と同世代。

 赤ちゃんの時に誘拐されて、知らない人の家で何年か育てられていたそうだ。

 しかし、そこで何があったか、本人は全く覚えていないそうだ。


 今日は懐かしの昭和の話をしようと思う・・・。

 さて・・・誘拐事件は下記のようなものだった。


 ある若夫婦が大きな公園で乳母車を押しながら、散策をしていたそうだ。夫は25歳、妻は23歳。見合い結婚だった。舞台はどこの市にも必ずあるような、東京ドームいくつ分もあるような広い場所だった。日曜日だから散歩に行こうということになった。その頃はまだ週休二日制じゃなかったんだ。

 初めての子供で、二人は喜びに満ち溢れていた。

 天気もよく、まだ風が涼しい5月だった。

 

 こういうのは、ありふれた日常の光景だったと思う。昔はベビーカーじゃなくて、乳母車と呼んでた。今みたいな便利なものじゃなくて、金属のフレームにビニールがかかっただけの、お年寄りが使うシルバーカーに近い感じのものだった。当時から対面式の物もあったけど、Aさんのは違った。幌を被ったら、後ろからは見えないタイプのものだ。


 2人は赤ちゃんが寝ているのをいいことに、おしゃべりに夢中だった。景色も見ながらだったから、肝心の手元を気にしていなかった。Aさんの乳母車は幌が大きくて、中が良く見えなかった。赤ちゃんが静かだから、両親は子供のことを気にすることはなかった。おなかが空いたり、おしめが濡れたら泣くだろうと思っていた。ちなみに、俺が赤ちゃんの時はまだ紙おむつじゃなかった。布だ。うちの親は手拭いみたいなのを使っていた。だから、おしめが濡れていると赤ちゃんは不機嫌になって泣くものだった。だから、すぐに気が付くらしい。


 奥さんがちょっと離れたトイレに行っている間、旦那はベビーカーを傍らに置いて、本を読んだりしていたそうだ。さらに、10メートルくらい離れてタバコも吸っていた。タバコが子供に悪いというのは、気が付いていたようだ。50年前の男の喫煙率は80%以上で高かった。そんな風に大人はみなタバコを吸うのが普通だったのだ。


 奥さんがトイレから戻って、久々に子供がどうしているか覗いてみた。ずいぶん長時間静かだったから、心配になったんだ。すると、上にかけていた毛布はそのままだったが、いるはずの赤ん坊がいない。


「キャー!!」

 奥さんは叫んだ。

「ちょっと!Aがいないじゃない!あんた、何してたのよ!」

 奥さんは半狂乱になった。旦那も慌てた。そうやって、2人で大騒ぎしていると、周囲の人も子供がいなくなったんだと気が付いて、一緒に公園中を探しくれた。

 しかし、赤ちゃんが自分で歩き回ったわけではなく、連れ去られたのだから見つかるわけがない。ようやく、夫婦は諦めて公衆電話から110番通報した。昔は携帯がなかったから、こんな風に電話を掛けるまでに1時間以上かかってしまった。


 当時、ニュースにもなったが、その時は見つからなかったそうだ。目撃者もなかった。『公園で神隠し』かと話題になったそうだ。俺の所は田舎だったから、こういうニュースは珍しくて、今も語り草になっている。


 夫婦は、自分たちの過失を反省することはなかったが、毎日仏壇に手を合わせて、Aが戻ってきますようにとお祈りをしていた。ベビーベッドも服もそのままにしてあったが、もし、新たに子供を作ったら、息子が帰って来なくなる気がして、二人は子作りを諦めて待ち続けた。

 両親はもっと子供に気を配るべきだったが、誘拐なんて起きたこともないようなところだったから、油断してしまったんだろう。


 息子がいなくなって3年経った。


 ある日突然、夫婦のもとに警察から電話がかかって来た。

 件の公園に3歳くらいの子が置き去りにされていたということだった。その子は、ブルーのコーデュロイのかわいい服を着せられていて、ご機嫌でお菓子を食べていたそうだ。傍らには、バッグがあって、中には黄ばんだ赤ちゃんの服、おしめ、食べ物、手紙が入っていた。


 残された手紙によると「この子は3年前に、この公園で誘拐された子供です。家庭の事情で育てられなくてなってしまったので、どなたかお子さんが好きな方にお譲りしたいと思います。名前は瑞樹ですが、変えてもいいと思います。嫌いな食べ物は、ピーマンです。ワクチンは一切打っていません。病気ありません」等と書いてあったそうだ。


 その子は見つけた人が、捨て子として、警察に引き渡した。

 そして、行方不明になった当時の様子などから、3年前に誘拐された子だと判断された。警察でDNA鑑定が初めて行われたのは1989年だが、それより前の1970年頃の話だから、ちゃんとした検査方法が確立されていなかったんだ。

 

 両親は警察から連絡をもらって、すぐに飛んできた。

 そして、一目見て自分の子だと確信した。

「A!」

 バッグに入っていた、赤ちゃんの服も自分が着せたものだとお母さんは言った。

 白のありふれた肌着で、当時はみんながそういうものを着ていたのだが・・・。


 両親は息子が見つかったからと、安堵して抱き合っていた。警察の人も一緒に喜んだ。その事件をみんな知っていたからだ。そして、その子は三年ぶりに、実の両親のもとに戻され、三人はまた幸せに暮らし始めた。

 

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