第21話
エピオニア王は、休憩と言っていたが、それから、かれこれ一時間が経つ。そこに一人の使者が来る。風貌からして明らかに召使いだが……。
ノック音の後、ザインは扉を開け、彼女の持っている手紙を受け取る。役目を果たした女性は、すぐにその場を去る。
「夕食まで、ゆるりとされたし。エピオニア王」
手紙にはそう書かれてあった。つまり本日の話し合いは、少なくともそれまで行わないと言うことである。現在は昼を少し回った時間帯なので、そこまでに至るには、随分時間の余る話だ。だが、一睡もしていないジーオンとロンにとっては、丁度良い睡眠時間となりそうだ。
「んじゃ、みんなゆっくりしようぜ」
だが、部屋の中から皆を追い出したのは、ザインだった。もちろんそれぞれには、部屋が与えられている。だからそれぞれに散ることにした。
「はぁ。これからどうすっかなぁ」
ザインは、ベッドの上に大の字になる。
「皆で力をあわせれば、どうにかなる」
アインリッヒは、寝転がっているザインの靴を脱がし、靴下もはがし、進んで彼の胸の中に自分の身を預けた。しかし、それだけではなく、喉元にキッチリとしまっている上着のホックを外し、胸元のボタンは一つ一つ外して行く。それから、自分の衣服を脱ぎ捨て、下着一枚になり、ザインの胸元に顔を埋めた。
「アイン。お前さぁ……、やっぱ、帰った方が良い」
そう言った瞬間に、アインリッヒは身体を硬直させる。しかしすぐにザインは彼女の肩を抱きしめこういう。
「俺の個人的な感情さ……。怪我してほしくねぇ。でも、お前がいなくなると、勝てる戦いも、勝てなくなる気もする。戦闘になるって決まった訳じゃねぇが……」
ザインは目を閉じた。そして大きく深呼吸をする。馬車の中で睡眠を取ったが、所詮は仮眠だ。直に眠くなる。意識的にアインリッヒを抱いていたザインの手が解けるように緩み、ベッドの外へ投げ出されるように、ブラリと垂れ下がる。
アインリッヒは、足下に畳まれている毛布を引き寄せ、自分たちの肩に掛ける。そしてしばしの眠りに着くことにした。
「ふぁぁぁ……」
ザインは目を覚ます。必然的に柱時計に目が行く。もうすぐ夕方六時と言ったところだ。胸の上ではアインリッヒがぐっすりと眠っている。他の者はどうしているだろうか。恐らく自分流に時間を調整しているだろう。
〈今日中には、事はうごかねぇか……〉
事は動かないと言うのは、あくまでも戦闘になると言うことはないと言っただけの意味だ。
「アイン。そろそろ起きとかねぇと、飯が不味くなるぞ」
彼女を、その背から抱くようにその頭に触れ、くしゃくしゃと撫でる。頭を揺さぶられたアインリッヒは、目覚めが悪そうに瞼を重くゆっくりと開く。思考力が働くと、一瞬何事かが起こったのではないかと、目を大きく開き、上半身を持ち上げ、周囲を見渡すが、状況が、自分たちが寝たままと同じである事に気がつくと、再びザインの胸の上に倒れ込む。
「なんだ。脅かすな。吃驚したぞ」
再び瞼を閉じ、眠りに着こうとするアインリッヒだった。彼女にとって彼の胸の中は、非常に心地よい寝床だった。眠ろうと思えば、すぐにでも眠ることの出来る自信があるほどだった。
「もうすぐ飯だ。起きておいた方がいいぜ」
ザインが念を押すと、何故かアインリッヒはもう一度上半身を起こし、ブラジャーを取り、ザインの胸元を乱暴にはだけさせ、胸を張りながら、ザインの胸に倒れ込み、両腕を彼の首に絡める。
「起きて、食事を待つのと、こうして触れあっているのと、お前はどっちが良い?」
彼女は態と自分の感触を彼に押しつけ、性的意識を高めさせた。アインリッヒの考えはシンプルだった。自分を感じてほしいのだ。
「こっち」
ザインの返事は単純だった。
「では、食事になったら教えてくれ」
もう一度目をつぶるアインリッヒ。と、その時、扉のノック音がする。
「ザインバーム様。食事のお招きに上がりました」
家臣らしい、男の声だ。
「解ったすぐ行く」
「残念だ」
ザインが返事をすると、アインリッヒはボソリとそんなことを言う。その気持ちはザインも同じだ。同意の意味でクスリと笑う。二人は服装を整え、扉の外で無表情で直立している正装の男の前に姿を表す。
「こちらでございます」
表情がないと、一言一句がまるで操り人形に思えてしまう。
ザインはこういった形式ばったのは苦手だ。ロン達との食事でも、マナーなど皆無だった。美味い食事は期待できそうだが、楽しい食事は期待できそうにない。
高給で弾力のある少し歩きづらい絨毯の上を、暫く歩いたころ、ザイン達の案内人は足を止め、一つの立派な重みのあるドアの前に立ち、ノックを三度ほどゆっくりとする。
「ザインバーム様、ウェンスウェルヴェン様をお連れいたしました」
「うむ」
落ち着いた国王の返事が帰ってきた後、彼は扉を開き、二人を中に通す。
「うひゃぁ」
ザインは思わず、下品な驚きの声を上げる。
天井から釣り下げられた豪華なシャンデリアだけでも、いったいどれほどの物なのだろうかと、田舎物のように見上げてしまう。
テーブルの上にあるのも銀食器だ。もちろんテーブルの価値を考えるなど愚かなことである。壁に掛かっている肖像画も、風景画も、名のありそうな画家のものばかりだ。
部屋中が何かと煌びやかである。
食堂に入り、こんな反応をしたのはザインだけであった。遠くから、ロンが田舎者を見るような視線をザインに送る。
一見キョロキョロしているザインだったが、その実その場にいる人物全てに目を配っていた。
国王、王妃、姫君、大臣一人、魔導師、必要以上に多い召使い達、そして、ジーオンに、ロンにロカ、ザイン本人に、アインリッヒだ。大臣一人が加わっているのは、九と言う数字にどことなく縁起の悪さがあったためだろう。
長いテーブルの最も遠い両端に、国王とジーオンが向かい合うように、座っている。最も国王よりに座っているのは、ロカでと、王妃である。ジーオン寄りに座っているのは大臣とロンである。王妃の横には当然姫君であるが、その横がアーラッドである。ザインはアーラッドの前に座り、その横は必然的にアインリッヒとなった。
ザインがアーラッドの前に座った理由は、彼が国王と対話していたときに、陰に隠れていた男の気配と同じであることに気づいたからである。
〈ヤロォか、張本人は……〉
と、睨みをきかせたザインの鼻の下を、良い香りが撫でる。テーブルの上には次々と暖かい料理が並べ始められ、それらは上品に、皿の上へと小分けされている。
国王が両手を組む。恵みに対し、祈りを捧げるのだ。
「恵みの神よ。今日も暖かな食事をお与え下さることを、此処に感謝いたします」
この時にワンテンポ、リズムを遅らせていたのはやはりザインだ。祈りが終わると同時に、アインリッヒがクスリと笑う。何となく普段の彼に触れた事が出来たので、嬉しかった。
ザインは誰よりも早く食事に手をつける。一応、ナイフとフォークを使い分けているが、テンポが早い。大臣はムッとするが、姫君は、元気のある彼の食べ方に、クスクスと声をたてる。笑顔から推定すると、彼女は一六くらいだろう。
コレにギョッとしたのはロンとジーオンである。いわば敵の懐で用意された食事を、何の疑いもなくパクパクと食べているのである。
〈この馬鹿!もしもってのを考えろ!〉
ロンが心の中で怒鳴る。しかし、それが毒味になっていることから、彼も安心して口をつけ始める。
「このワインは、七〇〇年もの……、地方は、そうウェストバームだ。西海岸沿いの程良い風が、極上の葡萄を育てる……」
此処でまたザインが、こんな事を言う。
「くすくす。違いますわ。上質には変わりありませんが、そのワインは国産です」
と、大人しそうな姫君が、あまりにもデタラメなザインに、お節介を焼いてしまう。
「あ、あれぇ?そうなんだ!」
赤く色づいたグラスの中身を眺めながら、開いた方の手で、頭を掻いてみる。大恥を掻いているザインは、姫君以外のほぼ全員から無視される。この時、国王の顔が安堵感に満ちた顔に変わる。
恥を掻いたはずのザインは、ニコニコしている。
「ほら、ユリカ。仕方のない奴だ」
一寸した口の汚れだが、アインリッヒが、コレを気にする。
「よ、よせよ……ガキじゃねんだって」
「じっとしていないか……、みっともないぞ」
アインリッヒは、逃げるザインの頭を逃げないように押さえ、ナプキンで彼の口元とを整えようとする。とても、出会った頃のアインリッヒからは、想像もつかない行動だ。今まで塞き止められていた愛情が、たくさんに彼に注がれている。そんな、アインリッヒの視線がザインを捉えると、ザインは抵抗をやめる。元々あったのは照れくささだけだった。
そんな二人の送り合う視線が、姫君にはとても暖かくステキに映ったことだろう。王は、我が娘の楽しそうな顔を、己の判断材料に加えることにした。
ナプキンを押しつけられたザインの顔が、軽く左右に振れる。
口を拭いて貰ったザインは、照れながら、アインリッヒにニコリと無邪気な笑みを見せる。すると、アインリッヒもコクリと頷く。
「へぇへぇ、仲の良いこって……」
ぶすっとしたロンが、ボソリとこんな事を口走る。自分は妻と離ればなれなので、何だかお預けに思えてならない。が、ザインもアインリッヒも、彼に妻がいることなどはまるで知らない。お構いなしだ。
その夜。身体を使っていないせいか、あまり寝る気のしないロンの部屋の前に、エピオニアの兵士姿の数人の男が、周囲の気配を気にしながらやってくる。周囲の明かりは既に消されており、明かりを持ち歩かないと、壁に頭をぶつけてしまいそうな程暗い。その内の一人がノックをする。
「起きているぞ。入れ」
ロンは相手を確認せず、簡単に言う。
「ロン様」
一人の男が部屋に入ると、室内の明かりが、彼の顔を照らす。それは、自分たちの装備品をこの国に持ち込んだ、あの兵士だ。城内に侵入してきたのだ。兵士の服装を何処で手に入れたかなどどうでも良い、何故彼が此処にいるかが、問題である。
「どうやって?まあいい、用件は?」
「城内にあなた様方の装備品を持ち込むことに成功いたしました。王への貢ぎ物と言う形でしたので、可成りの苦労を強いられましたが……」
「ああ、ご苦労、しかし、手元にないことには……」
「心配は御無用」
残りの数人が、ロンの部屋に、布にくるまれた剣や、木箱に納められた鎧を持ち込む。鎧の方は殆どがアインリッヒの装備品だ。それに彼女のグレートソードもある。持ち込むのにさぞ苦労したことだろう。
「あまり城の内外を行き来しますと、素性がばれますので、私がお会いできるのは、コレが最後でございます。以後城内では、このものにご命令を」
紹介された男が頷くが、あまり代わり映えしない極平凡な顔立ちだ。印象も薄い。
「解った」
もちろん大っぴらに会うわけには行かないが、味方がいると言うことは、心強いことだ。
そのころ、となりの部屋では、ジーオンがロカの部屋に居座っていた。そして、壁に耳を宛い一言呟く。
「ええのぉ、若いもんは、儂だって若い頃はブイブイいわしとったもんじゃが……」
「盗み聞きは良くないですよ」
ロカの部屋のすぐ横は、ザインの部屋だった。アインリッヒの部屋は、あっても意味が無かったようだ。そして、その肝心な二人だが。
「やばいなぁ、こりゃ、……一月後には……、間違いなく出来ち……まってるな……」
アインリッヒに夢中になっているザインが、呼吸の合間に、ぼそっと一言漏らす。
「それは、まずい……。でも!止めないで……くれ……」
そんな会話を、ジーオンが聞き耳を立て、聞き入っている。そして暫くすると、すたこらと部屋を出て行こうとする。
それは丁度、アインリッヒがザインの胸の中に身を沈めた瞬間だった。満足げなアインリッヒが、ザインの首に腕を絡め、彼の頬にキスをしたときだった。
「盗み聞きは良く無いな。入れよ」
ザインが、扉の外に誰かの気配を感じ、その人物に、命令口調で部屋に招き入れる。そして、部屋に入ってきたのは、エピオニア王だった。それにあわせて、ザインが宝物をしまうかのように、自分に抱きついているアインリッヒの肩口まで、シーツを掛ける。
「あんたか……。一寸意外な展開って感じ……だ」
巫山戯た言葉を使って、彼の登場を茶化す。エピオニア王は、二人の情景に戸惑ったが、彼の部屋から出て行くわけには行かなかった。
「良いかな?」
「ああ、良いぜ」
エピオニア王は、ザインの了承を得ると、椅子に腰を掛ける。
「儂はアーラッドを信頼しとる。だが、おまえさんに賭けてみようと思った。娘が食事中に、あれほどの笑みを見せたことなど、もう随分無かった」
「そんなんで簡単に、俺を信用していいのか?」
半疑問。エピオニア王の考えが理解できない。最も警戒しなければならない、五大勇に対し、護衛もつけず、一人で交渉に入ろうとしているのである。
「五大勇を敵に回し、何千という兵の命を無駄にすることなど出来ぬ……」
勝敗などという言葉はなかった。彼にはその結果以前の問題なのだ。もっとも、中央を敵に回せば、それだけで結果は見えている。
「で、俺に何をしろって?」
信用という感情ではなかったが、前向きなクルセイド王の話は、聞くに値すると感じたザインは、アインリッヒを抱いたまま、不真面目な視線で、エピオニア王の瞳の奥を見る。
「儂とクルセイド王の仲介役になって欲しい」
その会話は、再びロカの部屋に舞い戻ったジーオンと、ロカ自身が、聞き耳を立て聞いていた。この様子で、エピオニア王が黒幕でないことは、完全に解り得た。
「良いぜ〈やっぱり、あのアーラッドって魔導師が、クロだな〉」
全ての事態がほぼ把握できたと思ったその時だった。
「それは困りますね」
アーラッドが、勝手に部屋に入ってくる。ザインとしては非常にまずい状況だ。丸腰である。今夜中に展開はないと、踏んでいただけに、この展開は予想もしていなかった。
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