STELLA - TWILIGHT'S

渡利

第1月 Good burning

 

 いったい、俺は何回ほど死んだのだろう。


 冷えたクソ重い肉袋に挟まれたまま、吹き返した息で、咽せ返る血臭を呑み下した。

 その空気のあまりの気色悪さに咳き込みつつ、瞼をゆっくり開いてみる。

 静寂と闇が覆う視界から抜け出そうと、隙間から覗く光へと右手を伸ばす。

 指が、微風を捉えた。

「この……ッ! ざけんなよ、さっさと動け、ボケカスが‼︎」

 全身を覆い被さる肉袋に自由を奪われながらも、俺は自分に悪態を吐きつつ光の差す方向へなんとか身体を引き摺り進む。

 頭から爪先にかけて圧迫する肉袋からは、体液や脂が漏れ出ている。無様な匍匐前進の応援歌にしてはクソ過ぎる——それらのぬるつく不快な音が、ぐちゅぐちゅと鼓膜を叩いた。

 ……最悪なBGMだよ、全く。

 ちゅるん、と頭から床へ滑り落ちながら、やっと上半身が数時間ぶりに光の当たる所へ出ることができた。

 ……しかし、完全な自由とは程遠い。

 肉と肉の間に挟まったままの左足首が、どうしても抜けない。

 小さく舌打ちをした俺は、とりあえず辺りを見回した。

「……仕方ねえ。使わせて貰うぜ、キョウダイ」

 血溜まりの床に散乱する、ヒトのカタチをしていた者たち。五体バラバラで散らかる、そのうちのひとつ——誰かの片腕が握っていた刀剣を頂戴して、手に握る。

 散々、幾度となく味わったのだ。この際、自分でやっても同じことだろう。

 「せーの」の掛け声と共に、俺は自らの左足首へ刃を振り下ろす。

 刀身の先に、無機質な蛍光灯の光が反射して煌めいた。


 再生した左足の具合を確かめながら、立ち上がって背伸びをする。

 すぐ側に放り出されていた誰かの片脚が見えた。

 ——ちょうどいい。こいつも借りてしまおう。

 拝借した刀剣と編上げ靴を携えて、血に濡れるタイルの床をペタペタと歩く。

 白く、どこまでも白く続く壁と、白い天井。古びた蛍光灯の頼りない灯りでさえも、その白は廊下を明るく反射して路を照らす。

 静まり返ったクソ長い廊下を歩くのにも、そろそろ飽きた頃だ。適当な壁を見つけて、勢いよく蹴り破る。

 轟音と共に穿った壁穴の中を通ると、警報ブザーが鳴り響いた。

 塵埃が舞う先——ブザーの鳴る方角に歩いていくと、橙色の柵網に覆われた停止ボタンが見えた。

 それに近づいた俺は柵網に手を掛けて、片手で簡単にひん曲げてみる。ぐにゃぐにゃと潰れた鉄の網から手を伸ばし、ロックのかかった赤灯のボタンに触れようとしたその時だった。

『——おめでとう。此度の勝者もまた君だったのですね、ソーマ』

 無機質な青年の声が、天井のスピーカーから鳴り響いた。

「エクリプス……」

 俺はスピーカーを睨んだまま、顔も碌に出さない男の名を憎々しげに呟いた。

 いつの間にか、けたたましく鳴っていたブザーの音が鳴り止んでいる。

『これはこれは。どうしましたか、ソーマ。そんなにこわい顔をして』

「うるせえ」

 先ほど拾った刀剣の切っ先をスピーカーへ向けて、苛立ちを訴える。

「こっちは相手の体汁まみれ。早くシャワーを浴びたいんだ。とっとと通せ。ゲートを開けろ。あと腹も減った。以上だ。早くしろボケ」

 畳み掛けた俺の要求を前に、エクリプスは一切の怯みも見せず拍手を贈る。

『素晴らしい。百二十人もの月影フェガロフォット——そのうちの不屈の戦士フォティゾたちを悉く屠ってみせたとは。……ソーマ。やはり君は、選ばれた者なのです』

「どの口でほざいていやがる、クソ野郎が。よくもこの俺に——いや。俺たちに同族討ちをさせやがって」

 憎悪を込めた悪態を意に返さず、エクリプスは俺への賞賛を贈り続ける。

 いつになく穏やかな奴の声が、俺の神経を逆撫でさせていた。

『そんなに怒らないでください、ソーマ。君はその血肉を分けた者たちに勝ち抜いた。情と生存を秤に掛けた上で、殺戮を選択し、選別テストに生き残った。その並々ならぬ頑健な肉体と実力……そして判断力は、金剛石アダマスのように硬く美しい』

 開門の合図とともに、前方に立ちはだかっていた重いゲートが左右に開く。

『さあ、お行きなさい。次の最終テストが待っています』

「……まず、シャワーが浴びてえって言ったよな」

『構いませんよ。しかし、浴びる時間が君にあれば……の話ではありますが』

 エクリプスが言い終わるがすぐに、突如として背後より轟音が襲う。

「なんだ……ッ⁉︎」

『ああ、気にしなくとも結構ですよ。ただ焼却処理の際に廃棄物が爆発しただけです』

 ——焼却処理。廃棄物の爆発。

 スピーカーから発せられた淡々と語る男の言葉に、俺は嫌な予感を抱きながら来た道を戻って駆け出した。


 足を踏み入れた戦闘部屋リングには、既に赤黒い粉塵が立ち込めて視界を遮っていた。

 脂の焦げた、タンパク質が焼ける臭いで思わず口元を覆う。鼻が曲がる汚臭のする方へ目をやった俺は、醜悪な現実と向き合った。

 先程まで俺が埋まっていた肉袋——肉の積み重なった屍の山が、火を噴いて燃え上がる。

 そこに聳え立つのは、何十人もの少女の姿——俺が殺し、俺に殺された自分と全く同じ顔を持つ者たち。それらが折り重なった、夥しい数の敗者の残骸だった。

 ……その中に一人、まだ息がある者がいたらしい。焼ける己が肉体の痛みに、悲鳴を叫んでのたうち回る。

「……十四番」

 俺は乾いた声を振り絞って、その個体識別登録番号を呼ぶ。

 名前も持たない俺たちソーマに充てられた、唯一の名前に等しい個人を示す数字。

『何をしているのです、ソーマ・一番騎。さあ、すぐゲートまで戻りなさい。ここにいては君も焼け落ちてしまう』

 ——そういえば。ここにもあったっけな、スピーカー。天井から降り注ぐエクリプスの野郎の声が、俺に向かって退避を促してくる。

 その淡々とした声には、俺の命の心配の気持ちなんて一つも込もってはいないことは明伯だ。

 あのクソ野郎が俺個人に心配を向けるとすれば、ただ単に資源の損失を恐れているだけに過ぎない。今ここで俺という損失が発生してしまえば、奴が言うその“次の最終テスト”とやらに支障が出るためだ。

 あんなに白かった戦闘部屋リングは、既にぶち撒けられた血の池と燃え盛る炎によって、赤く赤く染まっていた。

「クソが。ヒトの命を消費するだけの外道野郎が、俺へ勝手に指図してんじゃねえよ」

 思わず吐いた悪態が、自分の胸にも突き刺さる。

 喘ぎ苦しむ十四番の元へ歩み寄った俺は、携えた刀剣でその首を刎ねる。

 落ちた首は、ゴロゴロと血と煤の半円を床に描いて転がった。

 苦悶に満ちた火傷だらけの、その死顔。

 美しかった長く黒い髪は焼け落ちて、黒い双眸が死の底に湛えた空虚を歌う。

 ……寝食を共にした彼女たちとの思い出は、燃え滓となって胸の内より霧散していった。

 結局は、同族の殺戮を犯したこの俺自身もクソであり、このスピーカーの向こうにいるクソ野郎エクリプスと何も変わらない。その事実が、この惨状を招いている。その逡巡を噛み締めた唇が、血の痕を刻む。

『介錯ですか。君は優しいのですね、ソーマ』

「黙れ。クソ野郎の慰めなんぞ、腹の足しにもなりゃしねえ」

『何も嘆くことはありませんよ、ソーマ。君は生産段階の初期時点から、どのクローン個体よりも強靭で回復能力もずば抜けていた。それは、かのオリジナルに最も近い——まさに、不死の域と言えるでしょう』

「黙れって言ったろ」

 燃え盛るキョウダイたちに、俺は別れを告げぬまま背を向ける。

 ……死際の語らいなど、とうの昔に済ませている。

 今更、俺たちの間に何かを話すことなどもうない。


 だが——。


「とっとと行くぞクソ野郎。次もどうせ生き残るんだ。早く案内するんだな。——その最終テストってやつによ」

 握りしめた刀剣の柄が、軋みを挙げる。

 俺は敗者キョウダイたちの血と怨嗟の泥を浴びたまま、赤く焦げた戦闘部屋リングを後にした。

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