39. “精霊のゆりかご”の調査5

「私達は普段、深部の手前から入口、その少し先くらいまでで狩猟をしているんですが……そこで、あのサイズの怪魔には遭遇したことがないんです。そのことがどうしても引っ掛かっていて……」


 ――そう言って、イーリスが眉を顰める。金等級の狩猟者ハンターの勘か、経験則故か。ネリエ、スイルも同様に黙考しているようだ。


「……あの怪魔は、“霧の森”の近くで出るサイズ。余裕があった時に霧の森に近付いて、何度か狩ったことがある」

「霧の森……? 森の中に、森があるのか?」

「ちょっと高低差があるから、見たらすぐわかると思うよ。魔素が濃すぎてね、霧の中に森が沈んでるみたいになってるの。だから霧の森って言われてるんだよ」


 ボレイアス大森林は主に浅部さいぶ、中部、深部と大まかに分類されていて、深部はさらに、明確に境界線によって分かれているらしい。

 場所によっては切り立った崖のようになっている深部の境界、その崖下に広がる鬱然たる森。それを狩猟者ハンター達は“霧の森”と呼んでいるという。

 魔力抵抗が高いか、相応の魔導具がないと魔素中毒になる程の魔素の濃さ――ボレイアス大森林の“魔素溜まり”である。


「油断したことの言い訳みたいになっちゃうけど、あいつ、魔術で……<オル>に加えて、<隠遁ウルカ>系の魔術で隠れてた。あんな器用なやつ、霧の森の手前でも見たことないよ」


 魔術士のネリエが声の調子を落とす。魔獣以上には魔術を使う個体もいる。その精度は強力な個体ほど上がっていくが、それを知能も比例して上がっていくらしい。

 それほどに成長するまで生き延びているのだから当たり前といえば当たり前である。霧の森は、そんな一癖も二癖もある怪魔ばかりだと言われている、と。


 ――首筋を、風に撫ぜられたような感覚が走る。


「…………」

「はぁ、考えてても仕方ないね。今回のは運悪く、霧の森から出てきたのに絡まれたってことで」

「一応、ギルドに報告しておきましょう。明日、ヴァレル達にも相談を――ああ、少し長湯しすぎましたね、早く上がって交代しないと」

「あっ、そうだね。ヴァレルが寝ちゃう前に風呂に突っ込まないと!」

「スイルは今日はもう寝てくださいね。夜警はなしですよ」

「わかってる」

「……そんなに経ってたか。エナ――エナ?」


 どうりで静かな訳である。湯船に浮かぶボウルの中、ぷかぷかと揺れる白い球体――エナは寝落ちしていた。




◇ ◇ ◇ ◇ ◇




「セレ、ほんとに寝なくていいの?」

「ああ。もともと外では食事も睡眠もあまり取らないんだ」

「無理だけはしないでくださいね? ……それにしても、エナちゃんは本当にセレさんが大好きなんですね。わざわざ起きてくるなんて」


 仲間を起こさぬよう声を落とし、イーリスが「可愛いですね」と微笑む。夜半――セレはネリエ、イーリスと共に夜警についていた。

 食事はともかく、睡眠はさすがに無理だった。借りたローベッドの上、四半刻も持たずに目が覚めてしまったのである。


「いいなぁ、可愛い従魔……。でも出会いがないんだよねえ」

「街中では結構見かけたが、そんなにないのか?」

繁殖家ブリーダーが扱うような従魔は、僻地での探索には向きませんからね……」

「そうそう。野猟犬キーン・セントとか迅黒鷹エアル・スプラとかね。平原とか町に近いところならいいんだけどさ」


 小型の動物や魔物を狩るには非常に優秀な従魔パートナーだが、さすがに金等級の活動するような僻地では荷が勝つらしい。怪魔が出てくるような領域ではそれも致し方ないだろう。

 鼻の利く野猟犬キーン・セントは採集専門の狩猟者ハンターがよく連れているのを見かける。迅黒鷹エアル・スプラというのは肩に乗る程度の大きさの鳥だが、双方とも飼い主ハンターに対して非常に従順に従っていた。


 そこに至るまでには当然信頼関係の構築が必要だろうが、やはり魔物というのは普通の動物より頭がいいのだろう。飼い主ハンターにまるで人のようなリアクションを取っているのも見たことがあるので、下手をすれば人並みに知能が高そうだ。


「エナちゃんは小型で連れやすいうえに魔術も使えて、狩猟者ハンターにとっては理想の従魔ですよね。……どこかの繁殖家ブリーダーが取り扱ってくれたらいいのに」

「こいつはたまたま出会っただからな。他にいるかはわからないぞ」

「あ、セレの故郷の魔物ってわけじゃないんだ? 残念~」

「故郷で出会ったのは間違いないが、同じようなのは見たことがないな」


 そもそも魔物ですらないのだが。「いいなぁ、可愛いなぁ」と零すネリエは、魔術の有無などどうでもよく、ただ可愛らしい従魔が欲しいだけなのだろう。

 膝の上、雑に畳んだ上着からはみ出た白い尻に視線を落とす。借りた毛布からフラフラ起き出してきたかと思ったら、もぞもぞと隙間に頭をじ込んでこの有様である。出会ってからというもの、セレの上着はハンガーに掛かった試しがない。


 一方、イーリスはセレの言葉を聞いて一拍――僅かに表情を曇らせた。


「あの、セレさん。その話は……あまり話さない方がいいかもしれません」

「……? 何か変なこと言ったか?」

「いえ……セレさんはこの辺りの出身ではないんですよね? デアナはこの国でも五指に入る規模の大きな町なのですが、その……その分犯罪も多くて」


 人が集まればその分犯罪も増える。それは当たり前の話で、かの世界でも当然そうだった。

 躊躇いがちにエナの方を見つつ、イーリスは言葉を繋いだ。


「気にしすぎかもしれませんが、狩猟者ハンターになったばかりだと伺ったので……最近、従魔の失踪が多いらしくて」

「あー……、確かに。雑事板にもちょこちょこ出てるよね。そんなの絶対誘拐しかないよね」

「はい――……エナちゃんが変異種や希少種だった場合、目を付けられてしまうかも……ただでさえデアナでは見ない魔物ですし。新人であれば尚更狙われるかもしれません」

「なるほど……ありがとう、気を付ける」

「そういえば新人なんだよね! 全然そんな感じしないや」


 お喋りが得意らしいネリエの質問に答えつつ、この世界に落ちた初日を思い返す。そういえば、フローラリアにも似たような忠言をもらったな――呑気に足を出して寝ている腹に、人差し指を埋める。この森の脅威は誰よりも知っているだろうに、よく熟睡できるものだ。

 魔力を隠したとしても、精霊という存在にはどこまでも厄介事が付いて回るらしい。だからこそ、エナは旅の同胞を探していたのだが――ふと、テントの外、この柔い精霊の故郷である森の方に目を向けた。


「…………」


 生命が寝静まる夜。草葉のさざめきを孕みながら、闇はさらに更けてゆく。

 戦野の安息とも言えるこの状況、未だ休息を受け入れぬ身体――穏やかな相槌を交わしながら、セレはその表徴に抗うことなく、天幕で切り取られた暗夜に知覚の網を広げた。


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