38. “精霊のゆりかご”の調査4

「…………あのちっさいテントに、こんな風呂が入ってるんだな……」

「ぴゅ? ぴゅいっ」

「いや、なんでもない……それ、温度大丈夫か?」

「ぴゅいっ!」


 樹々が夜空を覆い隠し、星々の光もまばらな暗夜。浴室の灯は柔らかく室内を照らしている。

 変わったボウルのようなものに入った従魔が湯舟にぷかぷか浮いている。その様子を見て、ネリエとイーリスが「可愛い」としきりに零す。


 見たことのない魔物だが、あの怪魔を圧縮したという魔術にはネリエも感心していた。会話が成り立っていそうなところを見るに、相当付き合いが長いのだろう。

 もしかしたら後天的に魔術を覚えた魔物なのかもしれない――主のために魔術を覚えた従魔の話を、スイルは以前、どこかで聞いた覚えがあった。


「このテント、内装がない代わりにちょっと広めなんだよ。やっぱり広い方がいいじゃん?」

「仲間とはいえ異性ですからね……お互い気を使いますし。私はこの広いお風呂、気に入ってます」

「動かすのに魔石はセットしなきゃだけどねー。その程度なら大した負担じゃないからいいけどさ」

「内装があるテントは、ベッドとかキッチンとか家具とか、そういうのが備え付けなのか?」

「うん。でも、そういうのは高いんだよねえ。結局細かいものは買い足さないとだし。それなら好きに弄れる“内装なし”の方がいいじゃんってなってさ」

「私達の場合は、最低限の調度品でも十分だったので。狩猟者ハンターは何かと必要な物が多いですからね。削れるところは削らないと」


 央人族の女、セレが魔石の嵌った壁を見ながら「なるほど」と相槌を打った。ぱちぱちと瞬く双眼には、未知に対する純粋な好奇心が伺える。


 ――未熟な少女の貌をしたこの女は、その外見に似つかわしくない熟達した雰囲気を纏っていた。

 不思議と違和感を感じないのは、本人曰く「とうの昔に成人してる」からか。歪んだ水面越しに見える体は、小柄ながらも確かに女のそれである。


 とはいえ、水気を帯びてぺたりとした薄紫のくせっ毛にくりくりとした目、細い手足を見ていると、やはりどこかあどけない。この細腕であの重剣を使いこなし、あの怪魔の首を刎ねたのか――あの時、朧気な意識の中、スイルはその瞬間を確かに見た。

 見れば見るほど信じがたい。それに反して、スイルの直感はセレが強者だと伝えてくる――堂々巡りである。狩猟者ハンターとしては日が浅く、そこだけは鉄等級らしい振舞いが、せめぎ合いに拍車をかける。


「スイル、ちゃんと浸からなきゃだめですよ。せっかく薬浴剤を入れたのに」

「そうだぞ~重傷者~」

「……もう治った」

「造血薬を飲んでも、血を失ったことによる疲労は消えませんからね。ほら、肩まで浸かって」

「はぁ……」


 草木の匂いに少し薬の匂いが混じったそれが、そもそもスイルはあまり好きではない。しかし、イーリスが心配しているのはわかるので、おとなしく浴槽の縁から移動する。


 しぶしぶ湯舟に腰を落とすと、肩まで伸びた灰の髪が水面に浸る――そろそろ切り時かもしれない。そう思うたび、髪を伸ばしているネリエとイーリスはですごいとスイルは思う。

 入浴中なので二人とも髪を上げている。平時、乳白色の髪をポニーテールにしているイーリスはさほど印象が変わらないが、普段はその長いカラメル色の髪を低い位置でツインテールにしているネリエは随分と大人びて見える。もっとも、本人の童顔ですぐ打ち消されるのだが。


 そんなことを思っていると、ネリエがぐっと腕を上げて伸びをした。水面がぱしゃりと揺れる。


「はぁ……明日はどうすんだろうね。探索続行するのかな? 拡張ラージバッグって今どれくらいだっけ」

「八割といったところですね。今回は多かったですから」


 【鉄壁アイアンクラッド】には魔術士が二人いるので、これでもかなり圧縮できている方だ。器用な二人のおかげで容量の何倍も持ち帰られている。

 今回は早々に続けて会敵し、一か月弱で魔物と魔獣が数十体、怪魔もそれなり。すでに元は取れているだろう。


拡張ラージバッグは共有なのか?」

「そうだよ。このテントもだけど、怪魔なんかが入るような拡張ラージバッグはお高いからねー。だから皆、パーティー組んでなるべく報酬のいい依頼受けて、お金を出し合うんだよ。ある程度の大きさの拡張ラージバッグがないと、獲物が持ち帰れなくて話になんないし」

「ああ、そういう理由で……」

「価値の落ちにくい物ですから、古い物を売って、新しい物を買って……それで段階的に良い物を手に入れるのがよく聞くパターンですね。可能であればいくつか買って、分散して持ちたいところですが」

「事故って全部おじゃんになったらもう最悪だもんね。……結構狩ったかなとは思ってたけど、もう八割だし、帰りを考えると今回はもう撤退かな」

「そうですね…………気になることもありますし」


 イーリスの顔が曇る。それを見て、ネリエも眉を顰める――思い至り、自分の拳に力が籠ったのを感じる。


「……あの怪魔のことだよね?」

「ええ……」

「……? あの怪魔?」

「あたしを跳ねた怪魔――あんたが首を刎ねた怪魔のこと」


 湯に浸かっているはずなのに、スイルは足元から冷風に撫でられたような感覚に襲われる。

 塞がったはずの腹の穴が、じくりと内から傷んだ気がした。


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