精霊の福音

30. 異世界ミステリー

「この辺りは初めて来たな……」

「そうなの? 南の方はねえ、学術ギルドとか学園とかあるよ。あとは本屋さんが多いかな」

「へえ、本屋か」

「魔導具店も多いよ。北よりも専門的っていうか、大きめのが多いかな――あ、あと南からの海鮮! お酒に合う海鮮料理のお店が多くてねぇ、ふふっ」

「……そうか」

『こいつどうしようもねえな』


 リィンに連れられて南西エリアの街路を進む。

 北西エリアの建物は民家が多く、間隙に農園が点在する安穏で長閑な雰囲気だった。ここ南西エリアの建物は背が高く個性的な建物が多い印象を受ける。どこかちぐはぐで、それでいて調和しているような、独特な雰囲気である。


 専門的な魔導具店が多いらしいが、確かに魔導具店の店頭にはよくわからないものばかりが並んでいた――大通りに近い街路には大型の生活魔導具などを扱う魔導具店があったが、奥まった場所に行くほど怪しさを感じるのはなぜだろう。


「あそこだよ。お世話になってる先生がいるの」

「……なんか想像してた感じと違うな」

「確かに、ちょっと変わってるよね。でも、先生は学術ギルドの金等級でね、学園の教授もしてる人なんだよ」

「金等級ってことは、すごい人なんだな」

「その分野では結構有名らしいよ。私も詳しくは知らないけど、学術ギルドは研究成果で評価されるみたいだから」


 路地を抜け、角を曲がった先に見えた一軒家。

 やはり縦に長い建物は門からして個性的だった。やけに石造り――もとい、岩の目立つアプローチ。隙間隙間に植物の植わったさまは、まるで人の手を離れた古城のような趣きだ。申し訳程度に隅に植えられた木が寂しげである。

 そして、セレの背丈の倍どころではない両開きの扉。この世界の建物は基本的に天井も入口もかなり高いが、ここはそれらの比ではない。というより、南西エリアの建物は全体的に扉が大きい気がする。

 総括すると、街中にあるにしてはどこか浮世離れした印象を受ける建物だ。人が住んでいるのは確かだが、どんな人物が住んでいるかの想像がまるでつかない。



 この世界にはギルドが数多く存在する。細々を数え出せばキリがないが、代表的な大きなギルドは七つあり、主要七ギルドと呼ばれている。


 狩猟者ハンターギルド――“狩猟者ハンター”が所属し、対魔物戦力として町の防衛を担う。

 商業ギルド――業種を問わず“商い”を営む人々が所属し、兼業も多い。

 農業ギルド――作物や家畜など、人々の生活に欠かせない資材の調整を担う。

 医療ギルド――人々の健全な生活のため、流行病や医療技術の情報共有を担う。

 学術ギルド――学園運営、魔術を含めたあらゆる学問の研究・普及を担う。

 建築ギルド――インフラを含めた、人々の“住”に関わる全てを担う。

 運送ギルド――町から町、国から国へ、人・物の運搬や管理などを担う。


 これらのギルドで発行される証章バッジは公的な身分証たり得るという。そして、ギルドによって評価基準は違うが、金等級以上であれば一目置かれる立場だと言っていいらしい。

 金等級だというこの家の住人は立派な教授様らしいが、はたして学のない自分と会話が成り立つのだろうか――ドアベルを鳴らすリィンの後ろ、どこか他人事のように思うセレであった。




◇ ◇ ◇ ◇ ◇




「リィンさん、今日はどうされたんです?」

「ふふっ、先生にいいもの持ってきたの」

「いいものですか?」

「うん。大喜びしちゃうかも」

「えっ、何でしょう、先生がとても喜ぶもの……」


 リィンと案内役の会話を聞きながら、外観に反して広くて長い廊下を歩く。

 出迎えてくれたのは亜人族、角巨人オーガの男性。こちらが名乗ると、彼はとても丁寧な物腰でリュッグと名乗り返した。厳つい外見に反して理知的な雰囲気で、助手をしているというのも納得である。

 つんとした耳に角、そして何より、全人種最大の背格好。この角巨人オーガという人種は男女問わずとにかく大きい。

 小さくとも2メートル弱、目の前の彼は2メートル半ばはあるだろうか。町ですれ違った中には3メートルはありそうな角巨人オーガもいた。実に首に優しくない人種である。


 リィンは“先生”によく素材を納品するらしい。また、通常よりかなり色をつけた価格で素材を買い取ってもらえるそうで、その先生もギルドや商店を介せずに入手できるから、と両者にとって都合がいい関係だという。

 通常はギルドを介することになるが、狩猟者ハンター本人の了承があれば、依頼主と素材の直接の売買が可能だそうだ。適正価格さえ把握できていればそちらの方が金銭的な利益が出るらしい。ギルドを介して納品すれば評価と点数を得られるが、直接納品するのに比べれば報酬金は劣る。要は依頼に付随する評価を取るか実利を取るかである。



「先生、リィンさんがいらっしゃいましたよ」

「せんせー、来たよー」

「ヌッ」「ヌフ」「ヌ?」「ヌヌ」「ヌン」

『なんか変な臭いしねえ?』

(んー、本の臭い、か? かび臭いような……?)


 一番奥まった場所の部屋――いかにも“研究室”と言った部屋だが、なんとなく違和感があるのはなぜだろう。

 部屋を囲むのはハードカバーの本や巻物のようなものが天井まで敷かれた大きな本棚。本棚と本棚の間には――研究資材だろうか? よくわからない道具や素材らしきものが並んだガラス戸の棚。


 窓際にはとても大きなデスク。おそらくリュッグのものなのだろうが、椅子がちょっとしたミニベッドのような大きさである。窓からは緑が見える。中庭があるらしい。

 部屋の中央にはローテーブルにソファー。壁に掛けられたコルクボードや移動式の黒板には資料やメモ、走り書きが――ああ、違和感の正体はこれかもしれない。この部屋の物は、大きさの差がのだ。


 セレの手のひら半ばはあろうかという文字の綴られた、リュッグが書いたと思わしき大きなメモ。その横には目を細めてもなお見づらい大きさの文字が綴られた、紙の切れ端のような小さなメモ。窓際の中央、それらの貼られた背の高い自立式コルクボードの隣――テーブル付きのキッズチェアのようなものがあった。

 キッズチェアの座席の部分は“仕事部屋”のように見えた。背もたれに当たる部分は小さな何かが詰まった棚がみっちり敷き詰められている。


 テーブル部分――“デスク”の上には小ぶりのお菓子に小さなカップ、ブックエンドには紙束に小さな本が数冊。魔導具らしきものも見受けられる。上着らしき服が無造作に引っ掛けられたデスクチェアも相まって、やけに生活感の感じられるドールハウスの展示のようだ。

 座板から下、キッズチェアの脚部に当たる部分は、ミニチュアの図書館と言うのが相応しい気がする。小さな本がぎっしり詰まった本棚の。ここから本を取り出すのは苦労しそうだ。そもそも指が引っ掛からないかもしれない。


 この一角以外にも部屋の至るところに小さな生活感が垣間見える。ウォールシェルフにはやはり小さいハンガーラック、着せ替え人形サイズのコートらしきものがいくつか引っ掛かっている。扉近くの壁にはリュッグのものらしき大きな帽子の隣に、親指ほどの帽子が壁に掛かっていた。

 リュッグが大きいので余計に目を引くのかもしれない。小人の家を巨人の巣に放り込んだらこんな感じなのだろうか――。



「――ごめんごめーん! ちょっとダーリンの回収してたー!」



「あ、日光浴中だったんだねー」

「今日は天気がいいからねー!」

「ああ、思わずうとうとしてしもうたよ。さっきまで朝じゃったのに、もう昼か」

「もうっ、ダーリンったらのんびり屋さん!」


 中庭を覗く高窓から聞こえる女の声と、しわがれた男の声。

 なぜ高窓? エナと揃って見上げると、開いた丸窓から入ってくる黒い影――。


「…………岩?」

『岩……なのか?』


 ゆっくりと高窓から降下してくる岩――いや、魔力を感じるので生物なのか?

 よくよく見れば岩の背には小さな人影が見える。子供の遊ぶ着せ替え人形くらいの大きさ。つんとした耳、背には小さな羽が生え、まるで絵に描いた“妖精”のような姿。


「あら、見ない顔ね。リィンのお仲間? 私はチェルシー! 先生でも教授でもチェルシーでも好きに呼んで!」

「央人族のお嬢さんかな? わしの名はジムンナ――その様子だと賢岩人ベルグリシは見たことがないかな?」

「私のダーリンよ!」



「プ」「プル」「ププ」「プン」「プッ」



『――ウッオワァッ! 増えたァァァァァッ!!』

「彼女はセレ。宿が一緒でね、新人狩猟者ハンターだよ」

「よっ……よろしく……?」

「ヌッ」「ヌフ」「ヌ?」「ヌヌ」「ヌン」

「プ」「プル」「ププ」「プン」「プッ」

『アーッ!』


 岩、妖精、石ころ(×5)、巨人リュッグ

 教授は妖魔族の小妖人ピクシーだと思われるが、賢岩人ベルグリシ――確か鉱魔族のはずだが、カップルは成立するのか。どう見ても岩にしか見えないが、ダーリンとはそういうことなのか。こちらの世界では普通なのだろうか。


 というか妖魔族と鉱魔族は数が少ないらしいが、意外とそうでもないのか――フローラリアに世話になることが多いからそう思うのか? 街では確かに見ないが、小土人ノッカーに限ればエンカウント率は決して低くはない。むしろエナに寄ってくるので今のところ二日に一度は見る。

 そして背後がうるさい。ドコドコドンと小土人ノッカー達が踊る音がする。エナの叫び声が聞こえる――囲まれてしまったようだ。二色の石ころが入り混じってさらに喧しい。


 リィンはチェルシーに事情を説明している――何やら盛り上がっているようだが、いろいろと喧しくて会話の内容がまるで頭に入ってこない。

 ふぅ、と息を吐く――学はないし、難しく考えるのは苦手である。だが、そういうものだと順応するのは割合得意な方だと自負している。


「――先生は彗恵樹すいけいじゅの実が欲しいんだよな。どこに出せばいい?」


 何も気にしないに限る。それなりに長く生きていると、時たま馬鹿になって流す寛容さも大切なのだ――人はそれを現実逃避という。


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