第五章 その⑥ 天国と地獄
リリィさんからの逆プロポーズに、俺は時が止まったような感覚を覚えた。
突然の告白に思考が追い付かない。
彼女の言葉を素直に受け取れば、とても驚いたし、今後のことを考えると緊張する。
だけど、俺なんかのどこに惚れたのか、俺に借りがあるから負い目を感じたのか、またからかっているんじゃないか? などのネガティブな思考も同時に湧いてきた。
最終的に、こんなかわいい人が俺を好いてくれているということが、とてもうれしくて、その感動が一番大きかった。
「答えは、ボクの絵が完成したら教えてほしい」
リリィさんの言葉に、俺は動揺を隠せなかった。
――*――
半ば放心状態で画廊を後にした。
そんな俺を心配したのか、リリィさんは途中まで送ってくれた。
出来れば一人で考えたかったのだが、正直ずっと思考がグルグルグルグルと回り続けており、考えをまとめるどころかどんどん散逸していき、リリィさんが腕を組んでくれなければ、歩くのもままならなかった。
俺が年を取ったら、こんなふうにリリィさんがずっと支えてくれるのかな。という妄想にまで発展してしまい、完全に頭がお花畑の状態だった。
「あっ……」
「アッ!」
こんな時ほど、一番出会ってはいけない人に出会ってしまう。俺は自分の不運さを嘆いた。
「あっ……あら、アヤトさんではありませんか。き、奇遇ですね」
「どっ、どうもプリムラ姫様。このようなところで出会うなんて本当に偶然……」
「えっ、えぇ……。ハボターナの国王と会見をした帰りなのです」
隣にはエニシダさんも居て、俺と連れ添うリリィさんの様子をしげしげと観察していた。
「姫様、そろそろ参りましょう」
エニシダさんは状況を察して、早めに会話を切り上げようとした。
「そちらのお方は……どなたでしょうか? ぜひご紹介いただきたいですわ」
しかし、エニシダさんの声などまったく聞こえていない様子で、声を震わせて、会話を続けるプリムラ姫。
「こっ、こちらは、リリィさんと言いまして、ハボターナで画商を営んでいる方で……」
「お初にお目にかかります、プリムラ姫様。ボクはリリィと申しまして、画商を営んでおります。アヤトにはいろいろとお世話になって、懇意にさせてもらっています」
「そっ、そうですか。アヤトさんはお優しいですものね」
「あのー、もしかして、この前アヤトと一緒に居た旅の方ですか?」
「ギクッ!」とした表情をあらわにするプリムラ姫。
「なななっ、いきなり何のことでしょうか?」
「いえね。歩き方とか体形とかそっくりだから、何となくそうかなーっと」
「そそそっ、そんなこと」
リリィさんの問いかけに激しく動揺するプリムラ姫であった。
エニシダさんが居る手前、あれは自分でしたと言うといろいろと厄介だ。
「それよりも、アヤトさんとリリィさんとは、どういうご関係で?」
「いやー、どういうって程じゃないんですけどー、出来ればアヤトとは、ずーっと一緒に居たいなー。と思いまして」
「それはどういう意味でしょうか? アヤトさん?」
なぜか質問の矛先を俺に向けてきた。
プリムラ姫は笑顔を向けつつも、眉間にしわを寄せており、間違ったことを言えば、即、斬られるような雰囲気だった。
「いやいやいや、リリィさんはちょっと人をからかうのが好きというか、ちょっと大げさに言って俺をからかって楽しんでいるんですよ」
「その割に仲睦まじく歩かれていますね」
「これも、俺が倒れそうだったから、身体を支えてくれているんですよ」
「ふーん。そうなんですの」
プリムラ姫のジトーッとした視線が痛い。
横でリリィさんが、これ見よがしにわざと体をくっつけてくる。
二人の間に何やら見えない火花が散っているような気がする。
「姫様はどうして一介の兵士に過ぎないアヤトにそこまで突っかかるんですか?」
「えっ、それは……」
「ねぇ。平民と王族では決して相容れることが無いのに、そんなにムキになることないじゃんねー? アヤト?」
「いや。まぁ……」
俺もどうして返事したらよいのかわからない。姫は何か物言いたげな表情だし、エニシダさんはあえて、何も言わない体を装って、後ろで静かに佇んでいる。
道行く人たちは美人三名と、うだつの上がらない男性一名の会合を、不思議そうな顔をしながら通り過ぎる。
「アヤトさんは、そちらのお方をどうお思いなのですか?」
何か話すと角が立つこの状況で、俺が出せる答えは沈黙一択しかない。
だが、何も話さないで居ると、今度はリリィさんが肘打ちを仕掛けてくる。
「姫様、そろそろお帰りにならないと」
エニシダさんが俺の状況を察して、助け舟を出してくれた。
「えぇ……。そうですね」
エニシダさんに手を引っ張られて、姫は俺から離れていった。
名残惜しそうに、俺の顔をチラチラ見ながら帰っていく姿は、俺の罪悪感をどんどん蓄積させていった。
二人が立ち去った後、気まずい空気が二人に流れた。
「アヤトってさ、あのお姫様に恋しているの?」
リリィさんが俺を上目越しに見る。その顔は何か、すがるような表情だった。
「……」
「そっか……」
リリィさんは、絡めた腕をゆっくりと解き、そのまま俺の手を両手で握った。
「アヤト! 次も、待ってるからね!」
彼女は俺の手を何度もぶんぶんと上下させた後、画廊へと帰っていった。
――*――
その後、ハボターナへは何度か出向き、リリィさんの絵を描き続けた。
その甲斐あってリリィさんの絵もあと一、二回出向けば完成へと達しつつあった。
時を同じくして真都では、ある大会が催されると一報が入った。
「武術大会ですか?」
「そうだ。王族限定だがな。五日後に開催だから、明日には出発する」
武術大会は全二日。トーナメント形式で、決勝には真王も謁見に来られるとのことだった。
親書を見せながら、エニシダさんは俺に説明した。
「ブルースターズでの決闘以降、王族内の武術への関心が高まってな。これからの時代、知識や教養だけでなく、武術や身体能力も身に付けなくてはいけないと、真王様も仰っている」
「真王様が?」
「大方、スカーレッタ姫の入れ知恵だろう。なぜそんなことをするのかはわからんが、あの王女も血気盛んな方だからな。もしかするとプリムラ姫の決闘を見て、血が騒いだのかもしれん」
「それで俺に用とは?」
エニシダさんが俺を真顔で見据える。これは、いつものパターンだ。
「ハイハイ分かりました、プリムラ姫のお付きとして……」
「お前には、今後一切、プリムラ姫との接見を禁じる」
「へっ?」
エニシダさんの話では、どうやらハボターナでの一件以降、姫様の様子がおかしくなったとのことだった。
毎日毎夜ため息をつき物憂げな表情を浮かべ、王族同士の会合にも会議にも、うわの空の状態らしい。
そして接見を禁じるということは、兵士である限り否応なく、姫様と顔を合わす王城での務めは、実質的に解雇もしくは左遷という意味であった。
「姫は、お前にご執心のようだからな。以前も忠告しただろうが、『もう少し本物の姫様も見てほしい』と」
「ずっと考えていたんですが、それ、意味がわからないです。俺はプリムラ姫の本当の姿をよく見ていたと思います。高貴で、高潔で、不器用で、努力家で、剣のことが好きで――」
「ただの恋する少女で、お前に恋焦がれている……」
エニシダさんはプリムラ姫の気持ちを代弁した。
ダンスレッスンの時から何となく察していた。彼女は俺に好意を持ってくれていると。
「姫はこの感情に戸惑いつつも、浮かれておられる。だが、お前と姫とでは身分に隔たりがあり過ぎるのだ。この先、愛を貫くには立ちはだかる試練が多い。あまりにも多すぎる……。私は姫様にそんな重荷を背負わせたくはない」
「だから接見を禁じる。と……」
「そうだ」
「おとなしく身を引け。と……」
「……そうだ」
エニシダさんの一方的な要求に、怒りが込み上げると同時に、絶望感が圧し掛かる。
プリムラ姫の絵を完成させることだけが、この世界での生きがいだった。
それが叶わずに、終わりを迎えようとしている。
俺は泣きだしそうになる気持ちをぐっと堪えた。
「すまないアヤト。これも姫様のためなのだ。姫様の幸せを望むなら、わかってくれ」
エニシダさんは苦渋の顔で俺に告げる。その顔を見ると、俺は何も言えなくなった。
彼女も苦悩したのだろう。
だけど、エニシダさんは誰よりも、姫様の幸せを望む人だ。
彼女が決断した答えが、そうであるならば間違いは無いのだろう。
「わかりました……」
承諾するしかなかった。
「最後に、姫様とお話しする機会をいただけないでしょうか?」
「あぁ。わかった」
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