第五章 その④ リリィさんのラフスケッチ?
話は今に戻る――
あの頃のやさぐれていたリリィさんはなりを潜め、今は場面に合わせて仮面を使い分けるやり手の画商に成長した。いや、こっちの方が本来なのかも。
「最初の頃は大変でしたね。俺もたくさん新作を卸して、路上で似顔絵販売もして、お金に余裕が出てきたら内装を修繕したり、インテリアを購入したり、結構二人で試行錯誤しましたよね」
「あぁ、でも楽しかったよ。どんどんお得意さんが増えていく実感があったし、絵に興味を持ってくれる人も増えた」
リリィさんは目を細め、手を握り続ける。
「そうそう。それで購入客は十中八九、俺をオーナーだと絶対勘違いするんですよね。リリィさん子供のように見えるから。中身は七十のばば……」
リリィさんの手刀が脳天に直撃した。
「アヤトってば本当に失礼だよね。初対面の女性にいきなり年齢を聞くんだからさ」
リリィさんは子供が拗ねたように頬を膨らませた。
その後、彼女をなだめつつ雑談に花を咲かせた。
「さぁ。次は何を描こうかなー」
「もしかしてスランプかい?」
リリィさんの声色が少し不安そうだった。
「まさか。ただ、ちょっと刺激のある絵を描きたいなー。と思ってたんです。風景画や人物画ばかりだから、最近飽食気味なんで」
「じゃ、じゃあ……さ」
リリィさんは急におとなしくなった。
「ボクの、ラフ姿なんて……どうかな?」
「あぁ、リリィさんのラフスケッチ? それもいいですね。リリィさんの小悪魔のような笑顔も描いてみたいとは思っていたんで」
「バカッ……。そうじゃなくて裸婦。ボクの裸……描かないか? デッサンの勉強にもなるし……。体の構造を深く知ることが出来るし……。多分、刺激にもなると思うし」
「えっ! あっ! んっ⁉」
あまりの提案に俺は驚愕し、しばし言葉を失った。
「ごめん……。やっぱり、ボクの汚い身体なんて描きたく無いよね……」
「違います! そうじゃない!」
彼女の自虐的な問いを俺は強く否定した。
「裸婦画ってリリィさんね、上も下も全部脱ぐんですよ? 全身スッポンポンになって俺の前にさらけ出すんですよ?」
「ウン。知ってる……」
「そんなのいくら芸術のためだからって。そもそもなんで俺にそこまで」
「何言ってるんだアヤト! キミが僕にくれたものに比べたら、これでも全然っ」
リリィさんは大声を出した後、ハッとして顔を赤らめ、黙りこんでしまった。
困った……。
もうほとんど残っていないとはいえ、借金時代に刻まれた体の傷跡はリリィさんにとっても辛い記憶のはず。
それを恩返しのために俺には余すところなく見せても良いと言っている。
きっと彼女は俺へのお礼と同時に、裸婦画のモデルとなることで、トラウマを乗り越えたいんだ。
そんな切実な願いを、気心の知れた俺がそれを拒むというのは、彼女の顔に泥を塗り、また傷つけてしまうことになる。
なんか、つい最近
ふとプリムラ姫の顔が浮かんだ。
俺は大いに悩んだ末に出した答えはこうだった。
「わかりました。あなたの裸婦画、全力で描かせてもらいます。ただし、下着は付けてください」
「なっ、なんでだい? 裸婦画は裸のボディラインこそ一番大事な要素で、それが無ければ絵としての価値も下がるし、君の練習にもならないんだよ? 下着一枚だけでも作品に影響を与えることぐらいアヤトなら分かるだろ?」
俺の出した条件に少し動揺するリリィさんだったが、こっちにも理由があった。
「あなたが男達にどう思われているのか、どういう影響を与えているのかを察してください。俺も男なんですよ?」
「ダメだ。画商として認めない」
この人、絵のことになると一切妥協しないな。その考えは俺も共感が持てるけど、今回は俺も譲れない。
「リリィさんは誰が見てもかわいいことは認めますから。この条件で勘弁して。お願い!」
俺は必死に頭を下げた。
「なんだよ。意気地なし……」
リリィさんは怒っているようなニヤついているような表情で俺を睨む。
だが、俺も人並みに理性ぐらいは備えていて、越えてはならない一線もわきまえていた。
いくら絵に対して真剣な俺でも彼女の裸姿に打ち勝つ自信はない。
しかもリリィさんが裸で妖艶に迫ってきたのならば、なおさら危ない。
ダークエルフ特有のエキゾチシズム溢れる褐色の肌と美貌は、俺の理性など軽く吹き飛ばすだけのポテンシャルを秘めている。美の暴力だ。
人間的にはお婆さんのような年齢だとしても、この人の見た目は
なんて
「そっ、それじゃ画廊に戻りましょうか……」
「うん……。そうだね」
何だか落ち着かなかった。
俺達は画廊に戻るまで一言も話さなかった。
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