第四章 その③ 月夜が照らす二人のワルツ

 二週間後――


「いかがですか? アヤトさん」


「おぉっ。カドが取れている」


 練習の成果か、ぎこちなかった姫のステップが、流線を描き滑らかになっていた。


「それじゃあ、二人で踊ってみましょうか?」


 とプリムラ姫の手を握る。


「ひゃぁ!」


 可愛らしい悲鳴が聞こえた。まだ男性には抵抗があるらしい。


「姫様、俺のことはジャガイモだと思ってください」


とは何でしょう?」


 この国、ジャガイモ無いな……。


「じゃあブドレザン」


「あの、それはどういった意味を持ちますの?」


「いえ、何でもありません……」


 困った。プリムラ姫の警戒を解きたいのだが……。

 だが彼女の心情も理解できる。初の社交界であんなことされれば誰だってトラウマになるさ。

 しかし、これを払拭しないと彼女は社交界に羽ばたいていけない。

 それだけじゃなくて、もっと大切な人と触れ合う喜びも得られない。


「それじゃあダンスの間は、一番信頼できる人を思い浮かべてください。それはあなたのお父上の国王様でも構いませんし、お爺様でもある先王様でも構いません。もしくは話しやすい従者でも誰でも構いません。とにかく目の前に居るのは男性ではなく、その人と踊っていると思い込んでください」


「一番信頼できる方……」


 そう言うと、姫様は俺をじっと見つめる。


「えぇ、わかりましたわ。アヤトさん、踊りましょう!」


 姫様に気合が入った。


「はいはい。リラックスリラックス、肩の力を抜いて」


 姫様は、俺のアドバイスが効いたのか、その後めきめきとダンスが上達した。

 もともと運動神経の良い御方だし、姿勢も綺麗だからダンスへの適性は十分にあった。


 そして、ダンスレッスンを開始してから合計一カ月が過ぎた。


 ――*――


「はい。本日はこれまでです。姫様お待ちください。汗を拭うものを持ってまいります」


 そう言って、エニシダさんがホールを出ていった。

 長かったダンスレッスンも今日で終わり。俺は当て馬としての役割を十二分に果たしたはずだ。


「アヤトさん。少しお外へ出ましょうか?」


「えぇ」


 姫様、いったい何だろう?



 外はすっかり夜。

 月が満ちていて星が輝いていた。

 田舎の夜空は空気が汚れていなくて、とても美しい。


「アヤトさん。一カ月もお付き合いくださり、ありがとうございました。アヤトさんは絵だけでなくて、ダンスにも通じていたのですね」


 そんなことは無いが、物事を極めるプロセスと言うのは大体同じだ。


 先ずは真似る。徹底的に模倣する。


 次に守る。基礎や基本を忠実に守り、その練習を繰り返す。


 そして徐々に個性を出していく。俺の絵にはこれが無いとよく言われていた。


 今回のダンスは、プロセスだけを貫けばいい。

 だから、教えるのにそこまで苦労はしなかった。


 それにしても月が綺麗だ。

 異世界に来て、こんなにゆっくりと月を眺めることは無かった。


「アヤトさんのおかげで何とか踊れるようになりましたの」


 そう言って、クルっとひるがえるプリムラ姫。


「確かに。最初はどうなるかと思いましたよ」


「まぁひどい。でもその通りですの『わたくしには剣しかない』と言ったこと、覚えていらっしゃいますか?」


「えぇ。あの時は謙遜かと思いましたが」


「いいえ。あれは紛れもないこと。幼いころからわたくしは不器用で、何をしても王族の淑女たり得ないと批判されてきましたの」


 姫様の横顔が月光に照らされる。


「だからわたくし、努力しましたの。この言葉遣いも、ダンスも。ダンスの方はアヤトさんのご覧の通りでしたが……」


「そうなんですね……。姫様の話と少し似ていますが、俺の描く絵は『いつも個性が無い』と言われてきました。どれだけ頑張っても、ありきたりな絵になる。そのことを歯がゆく思っていました。俺にも絵しかなかったんです。運動神経も良くないし、勉強も人並み以下で、絵のこと以外は怠惰で自堕落な人間です。それは今もそう……」


 俺とプリムラ姫は沈黙した。


「姫様、少し踊りませんか?」


「でもレッスンは終わりましたよ?」


「俺が踊りたいんです」


「そうですの。それでは」


 姫様は俺にそっと近づき、俺が差し出した手を取った。


 そして俺たちは風の音を頼りに踊った。

 ただ揺られるように。静かに。


「本当にお上手になられましたね」


「ええ、アヤトさんのおかげです」


「今、姫は踊ることに対してどうお思いですか?」


「とても、とても楽しいわ。いつまでもアヤトさんとこうしていたいくらい」


 最初は踊ることが苦手で、トラウマになるほど嫌な思い出しかなかった彼女が、こうやって楽しそうに踊っている姿を見せてくれる。

 俺にはそのことがたまらなく愛おしく感じた。


「ねぇ、アヤトさん」


「俺の名前“さん”付けしなくても良いですよ。姫様は王族なんですから、俺に気遣うことは無いんです」


「でも……」


「言ったでしょう。怠惰で自堕落な人間だから『アヤト』って呼び捨てるぐらいがちょうど良いんです」


「では、わたくしのことも『プリムラ』とお呼びください」


「それは無理でしょう」


「じゃあ、あなたのお願いは聞き入れません」


 子供のようにプイッと、顔を横に向けるプリムラ姫。


「やれやれ。すみませんが、公の場や人前ではお立場があるのでダメですよ。でも二人だけの時なら」


「それで構いません」


「じゃ、じゃあ……。


「はい。


 二人のダンスがふと止まり、静寂の時が流れる。


 静かに揺れる草のざわめき。


 満天の星空。


 月灯りが照らす美しいプリムラ姫の顔。


 俺はそっと姫を抱き寄せ、唇を寄せた。


 彼女も少し驚いた様子だったが、そっと瞳を閉じた。


 そしてーー


「姫様―手ぬぐいを持ってまいりました」


 エニシダさんの唐突な参入。


 俺とプリムラ姫は慌てて身体を離した。


 そんな俺達をいぶかしむように覗くエニシダさん。


「何かございましたか? お二人とも」


「「いえっ、何でも」」


 俺達は耳の裏まで真っ赤な照れ顔をしていた。

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