第三章 その⑨ 姫の奥の手

 俺とエニシダさんは円形闘技場コロッセウムを、プリムラ姫がちょうど正面から見える位置に円に沿って走った。

 観客をかき分けて二人、最前列に立った。


「いいのか? アヤト?」


「ええ、盛大にやってください! なるべくド派手に!」


「そうか……では行くぞ!」


 エニシダさんは渾身の力を込めた正拳突きを俺の腹部に放った。

 すると、ゴーンという音が盛大に鳴り響いた。と同時にとてつもない衝撃が俺を襲った。


「オエエェェッ!」


 胃の中にあるものがすべて押し出されるような衝撃に、思わず少し吐いてしまった。

 会場全体が音のする方向――つまり俺を一斉に注目した。

 試合中の二人も当然こちらに気付いた。

 俺はよろめきながら、プリムラ姫とアイコンタクトを取り、大げさに自分の服をめくる。中に忍ばせていた手持ちのドラを、腹鼓のように軽快にポンと叩いた。

 そして、ゲルセミウムの方向を指差し、同時にあごでクイッと合図した。

 ヤツのプレートには何かある。気づいてくれと祈りながら彼女を見つめた。


 するとプリムラ姫は何かを察したらしく、ハッとした表情の後、キッとゲルセミウムを睨みつけた。


 二人は少し口論をしたようだが、やがてプリムラ姫はゆっくりと腰を下ろし、剣を水平に構えた。


「姫様、本気ですね」


 エニシダさんは読唇術で何を聞き取ったのだろうか。

 二人は何を話していたのだろう。

 気にはなるが、今はそれ以上にプリムラ姫が何を繰り出すのか、そちらの方が俺にとっては大事だった。


「ハアアアアアァっ!」


 プリムラ姫は気合の掛け声とともに、ゲルセミウムの懐へと一気に接近し、目にも止まらぬ速さで突きを繰り出した。


 だが、ゲルセミウムはその突きを全て受け止めていた。今までと何も変わらない戦術。

 もしかしてプリムラ姫は俺が伝えたかったことを曲解したか?

 という不安が一瞬よぎったのだが、ただの杞憂であった。


 なぜなら、プリムラ姫の突きは、数分間ずーーっと続いたからだ。


 観客も、最初はプリムラ姫の華麗な突きに声を上げたが、その異様な長さに徐々に声は減っていき、最後は剣の金属音が聞こえるほどに静まり返った。

 ゲルセミウムは、初めこそ余裕のある表情をして、反撃とばかりに剣を打ち下ろそうとした。

 だが、顔色がみるみる悪くなり、顔面蒼白となり、今にも倒れそうなほど足が震えていた。

 そして――プリムラ姫が最後の一撃を放つとレイピアは砕け散り、ゲルセミウムは大の字になり地面へと倒れた。



「……オッ」



「「オオオオッ――」」


 場内はこれ以上ない熱狂に包まれた。耳をつんざくほどの大歓声に俺は耳を塞いだ。

 それにしても、プリムラ姫は何をしたんだ? 

 彼女が繰り出した技は、ただの乱れ突きで(ただの乱れ突きも凄すぎるが)試合中すでに試していた。


「あの王子、早く治療しないと内臓が破裂するぞ」


 エニシダさんはプリムラ姫の勝利を喜ぶよりも、ゲルセミウムの容態を心配していた。

 これも不思議だった。姫様一筋のエニシダさんが狂喜しないなんて。

 俺は訳が分からず「OKエニシダ。敵が倒れた理由を教えて?」と質問した。

 エニシダさんは特にツッコむ様子もなく、淡々と答えた。


「姫は針の穴を通すほどの精度で、寸分の狂いも無く、すべての突きを一点に集中した。ただそれだけだ」


 えっ? 何を言っているんだこの人は? 率直に思った。だってそうだろう?

 エニシダさんの説明は、この上なく簡潔でわかりやすかったし、言っている意味はよくわかる。

 だがそれが出来るか? と言えば話は違う。

 対人戦闘で、ずっと動き続けている相手に――

 視認出来ない速さで――

 コンマ誤差単位で――

 一箇所を何百回も突き続ける――

 だって? ……人間業じゃない。

 俺は、姫の剣技の高度さを誇らしく思うとともに、その突きの衝撃たるやを考えると……。

 やめておこう。


 プリムラ姫は折れた剣を天にかざし、観客と審判に勝利を知らせた。

 救護班がゲルセミウムに駆け寄り、医者が身体をチェックした後、首を左右に振った。

 その動作でさらに観客は沸いた。


「勝者――プリムラ王女!」


 審判がプリムラ姫の勝利を認めた。

 場内はスタンディングオベーションの大喝采。

 試合開始前と同様にプリムラコールが響き渡る。

 貴賓席の二人も椅子から立ち上がり拍手を送っていた。


「姫様勝った。勝ったよ。エニシダさん!」


「あぁ、そうだなアヤト。姫様の完全勝利だ!」


 ようやくエニシダさんが、安堵と喜びの表情を向けた。その顔は心底嬉しそうだった。

 俺達は急いでプリムラ姫のもとへと向かった。


 入場門から続く長い廊下を引き返してきたプリムラ姫。

 彼女を発見すると俺たちは感極まり抱きしめた。


「姫様、おめでとうございます!」


「良かった。本当に良かったぁ。姫さまぁ」


 エニシダさんは姫にすがるように泣きついた。俺もちょっぴり涙が流れた。


「本当に凄かったです。姫様の試合」


 俺は興奮冷めやらぬ少年のように、姫を褒め称えた。

 エニシダさんは「姫様、姫様」と子供のように連呼していた。


「二人ともありがとう。エニシダは少し大げさですわ。あと、アヤトさん」


「あっ、すみません」


 俺は浮かれすぎたと思い、プリムラ姫からさっと離れた。


「わたくしが勝てたのもの、アヤトさんとエニシダのおかげよ。あの体を張ったヒントが無ければ、きっとわたくしが負けていましたわ」


「またまたご謙遜を。あの突き技があれば誰だって倒せるじゃないですか」


「それは無理ですわ。あの突きは普通のプレートだと……」


 そうか。ライナス製の頑丈なプレートだから、ゲルセミウムは死なずに済んだのだ。

 あの技は防具が貧弱だと練習用の剣でも殺人技オーバーキルなのか。

 彼女が試合で人を殺めるなんてことしないだろうし、出来ないだろう。


「ひめざま。おがらだはだいじょうぶでずか?」


 鼻水と涙でぐずぐずの顔になりながらも、プリムラ姫の体調を気遣うエニシダさんだった。


「エニシダこそ、右手が真っ赤じゃない! 大丈夫なの?」


「いいんでず。ごんなのがずりぎずでず」


 エニシダさんは、ドラを全力で正拳突きしたため右手は血だらけになっていた。

 だが彼女はそんなことを気にも留めないほど、プリムラ姫を心配していた。


「アヤトさんもお加減は大丈夫ですの?」

 俺は、正拳突きの衝撃が今も腹の中でずっと残響しているようで、気分は良くない。

 だが、プリムラ姫に比べればこの程度はなんてことは無い。


「このぐらい大丈夫ですよ。姫様に鍛えられましたから!」


「まぁ。それはよろしいで……。すっ……」


 プリムラ姫は突如気を失い、床へと倒れ込んだ。

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