第三章 その⑦ ゲルセミウムの罠

 闘技場の両端にある頑丈な鉄格子で出来たゲートが同時に開く。

 二人はそれぞれのゲートから闘技場の中央へと進む。

 二人は一定の距離に近づくと足を止め、貴賓席に向き、膝をついた。


「本試合は、わが都市ブルースターズのファセリア王子が介添人を務める。ファセリア王子、お言葉を賜りたく存じます!」

 

 司会が進行を進める。


 ファセリア王子が席を立ち、一歩前に出ると、女性たちの黄色い歓声が会場を埋め尽くした。


「今回の御前試合は、二人の若き王族が火花を散らす試合だ。王族同士の試合などなかなか目にすることが出来ないため、皆もしっかりその目に焼き付けて語り継いでほしい。本日は全員承知の通り、真王のご息女スカーレッタ王女がお成り遊ばせている。そこで、スカーレッタ王女に一言賜りたく存じます」


 ファセリア王子は一歩後退し、スカーレッタ王女に挨拶を促す。

 スカーレッタ姫は席を立つと、ドレスを軽く持ち上げて会釈をした後、大衆の前に立ち皆の様子をぐるりと見回した。


「皆様ご機嫌よう。先ほどファセリア王子よりご紹介いただきましたスカーレッタ=マイローズです。今回は中央国家ブルースターズにお招き下さりこのような催しを開催下さったこと、父に代わり感謝いたしますわ。此度は闘技場に立つ二名の若き王族が、己の誇りと名誉をかけ死闘を演じます。皆様、彼らの勇姿を余すことなくご覧になってくださいまし」


 スカーレッタ姫の挨拶が終わると会場はまた大いに沸いた。

 だが、俺は少々腹が立った。

 二人にとって今回の決闘は余興程度としか捉えていないようにも見えたからだ。


 命までは奪われないが、それでも一歩間違えれば大けがを負う真剣勝負。

 プリムラ姫が、どうか無事に戻ってきてくれることを神に祈った。

 この世界の神とはどういうものなのか全く知らないけど。


「ルールの再確認を行う。決闘はそれぞれ一対一。武器はこちら側で用意したものを使用する。顔面への攻撃は禁止。勝敗はどちらかの降参の合図もしくはどちらかが気を失うかまたは審判の判断でこれ以上の戦闘継続は不可能と判断するか。のいずれかによって行う」


「それでは各々方、準備はよろしいか?」


「ちょっと待った!」


 もうすぐ試合開始だというのに、出鼻をくじいたのは誰あろうゲルセミウム王子本人であった。


「何か?」


 あいつ、何考えているんだ? プリムラ姫の集中力を削ぐ気か?


「いやね? こうやってブルースターズからたくさんの民衆が詰め掛けて、スカーレッタ姫にもご台覧いただけるような試合で、勝者への褒賞が名誉のみというのは何とも興が冷めるのではないかと危惧(きぐ)しまして。だから、会場をさらに盛り上げるため、勝者には何か一つ望みを叶えていただけないかと思いましてね?」


 ゲルセミウム王子が不敵な笑みを浮かべている。


「ゲルセミウム王子。名誉のどこが不服か? それはスカーレッタ様に対して不敬とも取れる発言だぞ!」


 ファセリア王子が強く言い放った。

 だが、ゲルセミウム王子はひるむことなく言葉を続けた。


「俺は貴公ではなくスカーレッタ姫様に懇願しているのだ。スカーレッタ姫様、わが願い聞き入れていただけないでしょうか?」


「そうね。褒賞の中身にもよるわ。王族としての誇りを逸脱するような、あまりにもバカバカしい内容であれば……。わかっているわね?」


 スカーレッタ姫は足を組んで頬杖を突きながら、少し気だるそうに答えた。

 さすがは真王の娘だけあって、その姿はさながらプリンセスと言うよりクイーンのような威厳を放っていた。

 挨拶の時は表向きの顔で、こちらが彼女の本質か。

 

 スカーレッタ姫のオーラにさすがのゲルセミウム王子も「ひっ!」と少し怯んだ様子であった。

 しかしすぐに持ち直し、スカーレッタ姫に進言した。


「願いと言うのは他でもありません。我が勝利の暁には、プリムラ姫を我が妃として迎え入れたいと思います!」


 観客全員が一時静まり返った。

 スカーレッタ王女の言ったとおり、その申し出があまりにもバカバカしい内容だったのか、はたまた皆の予想の斜め上を行く願いだったせいなのか皆呆れたのだろうと俺は思った。


 だが――


「「うおおおおおおっ!」」


 その静寂を破ったのも観客であった。闘技場を支配するほどの大きな歓声が上がった。


 しかし大衆の熱気とは裏腹に、プリムラ姫当人はもとより、俺とエニシダさん、そしてファセリア王子までもが、唖然とした表情をしていた。

 だが一人だけ全く別の反応であった。


「まっ……」


 スカーレッタ姫はわなわな震えていた。


「まぁまぁ! なんて夢のある願いなの! これから死力を尽くす相手に対して『自分が勝てば妃に迎えたい』だなんて、とてもドラマティックだわ! わかりました。その願い聞き入れましょう」


 試合のいきさつを知らないスカーレッタ姫は、ゲルセミウム王子の申し出を100%好意的に解釈した。

 スカーレッタ姫は、ゲルセミウム王子のことを(不器用だが恥を恐れず、皆の前で姫への愛を公言し、そして正々堂々と戦いに勝ち、姫を手に入れようとする漢気のある王子)と映ったのだろう。

 だが、あの男が純粋な気持ちで、そのような望みを言うわけがない。


「スカーレッタ王女、プリムラ姫本人の意思も確認していないのに、さすがにそれは……」


 ファセリア王子も裏があると思い、慌ててスカーレッタ王女に謹言した。


「あらっ? ファセリア王子は反対かしら? 大衆の前であのように情熱的なお願いをされるなんて憧れますわ。わたくしも蒼き王子からあのように皆の前で宣言されたいですわ」


 しかし、スカーレッタ姫は王子の言葉を軽く受け流し、逆にファセリア王子に妖しく目配せをした。


「いや、それでは彼女が……」


「ワタクシに文句があるのですか? アナタ、もしかしてあの王女にご執心なんてこと…」


「いや。あの……あははっ……」

 

 いつもの堂々とした彼らしくもなく、ただ愛想笑いをするファセリア王子であった。


「プリムラ姫っ! もしゲルセミウム王子が勝利の際には、彼の切なる願いを聞き入れるか!」


 スカーレッタ王女が声高らかに問いかけた。すると会場中がプリムラコールを始めた。

 場の空気は圧倒的にプリムラ姫が追い込まれる状況となった。

 ここで申し出を断れば会場中は盛り下がり、スカーレッタ姫の粋な計らいを反故にした王女の烙印を押される。


「このままじゃ……」


 彼女の性格を考えると、これからの行動は簡単に読める。それだけは止めなくては。


「「プーリムラ! プーリムラ!」」


 観客のコールが段々と大きくなり、皆の期待はどんどん高まってきているようだった。


 俺はプリムラ姫に何とか気づいてもらおうと必死だった。大声で呼びかけたり、手で大きくバッテンをしたり大きく振ったが気づいてもらえない。

 

 そして――プリムラ姫は剣を天に掲げ、宣言した。


「わが剣と誇りに誓い、このプリムラ、もし敗北することあらば、潔くその要求を飲み、ゲルセミウム王子の妃となりましょう!」

 

 遅かった……。

 

 場内はプリムラ姫の宣言により、最高潮の盛り上がりを見せた。

 彼女は自分の剣に絶対の自信と誇りを持っている。

 そして、双肩にはいつもプリムスの民たちの期待を背負っている。

 彼女の行動によってプリムスとその国民がバカにされるようなことは死んでもあってはならない。

 だから、この話を無碍に断るわけにはいかない。

 彼女の行動原理ぐらい、わかっていたのに止められなかった。

「いけません姫様! そのような要求を飲んでは!」

 エニシダさんはプリムラ姫を諫めようと大声を張り上げた。

 それでも会場の声にかき消されてしまい、姫の耳に届かなかった。


 プリムラ姫と対峙するゲルセミウムは彼女の宣言を邪悪に笑いながら聞いていた。

 ゲルセミウムは――アイツは事態がこう動くように計算していたんだ。

 

 アイツは自分に恥をかかせたプリムラ王女に対して、大衆の前で屈辱を与え、自分の所有物にして心まで屈服させる。というねじ曲がった欲望を叶える布石を打てたことへの屈折した喜び。

 それと同時に、社交パーティの時、自分の弱点を突いて、一触即発だった空気を上手くまとめて周囲に好印象を与えたファセリア王子に対する意趣返しを果たすことに成功したことを密かにほくそ笑んでいるに違いない。


「よくぞおっしゃられました! それではプリムラ姫! あなたの勝利後の褒賞も聞きましょう!」


「それでは恐れながら申します。まずはゲルセミウム王子にはこの間の非礼に対する心からの謝罪を! そして、わが国プリムスに対する数々の侮辱的な発言の撤回を望みます!」


 この人は……。

 負けたら好きでもない男と結婚させらるんだぞ?

 自分の人生が決まるかもしれないのに、そんな重大なことと天秤にかける願いがこれなんて……。

 

 俺は心から呆れるとともに、そんなプリムラ姫を少し誇らしく思った。

 彼女の強さの秘密はその誇り高さなのだと。彼女は肉体だけでなく精神も高潔なのだと。

 そんな人を最高の絵のモデルだと見抜いた俺の目に狂いはなかったのだと思った。

 俺は彼女を無性に描きたくなった。


「あぁ、姫様……」


 エニシダさんは姫への心配と心酔が入り混じり、今にも泣きだしそうな顔をしていた。


「エニシダさん、俺達も腹を決めましょう」


 俺達に出来ることはもう何もなかった。

 ただ彼女の勝利を信じぬいて応援するだけだ。


「アヤト、お前……」


 エニシダさんは何か感じ入った様子で俺を見た。そして――


「そうだな。バカのアヤトに諭されるようじゃ私もまだまだだな。私が信じた姫様を最後まで信じ抜けなくてどうするのだ。よし、姫様を全力で応援するぞ!」


 一連の流れが終わった頃合いを見て、司会は仕切り直した。


「今度こそ準備はよろしいか。それでは――試合ッ、開始っ!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る