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 俺たち三人はいわゆる幼馴染みだった。俺と芙由香が同い年でハル兄だけ一つ年上。特に小学生の頃はよく三人で遊んだものだ。


 俺はずっと芙由香が好きだった。だが、彼女が好きだったのは……俺じゃなく、ハル兄だった。それはもう、あからさまに。だから俺は彼女に告ることもなかった。結果が見えてたからだ。ハル兄はイケメンでかっこいいし、優秀でスポーツも出来た。どう考えても勝てるわけがない。


 そして俺が中学三年に上がってすぐ、とうとうハル兄と芙由香は付き合い始めた。


 ハル兄は市内の高校に通うために下宿していたが、中免を取って中古のヤマハSRX250を買ってからは、ちょくちょくこちらに帰ってきてタンデムで芙由香とデートしている姿を見た。


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 その日、俺は棚田の風景を撮ろうとカメラを持って自転車でフラフラ蛇行しながら二子山ふたごやまを登っていた。しかし、頂上の駐車場に黒いSRXが停まっていたのを見た瞬間、俺は心臓が締め付けられるような感覚に襲われた。


 そして、俺は見てしまった。


 展望台。そこでキスしている二人の姿を。


 分かっていたはずなのに、いざ目の当たりにすると……予想以上の衝撃だった。


 俺はそのまま自転車をUターンさせ、峠道のワインディングをフルスピードで下っていった。それでも、ハル兄のSRXよりは全然遅い。


 そうだ。俺は何もかも、ハル兄にはかなわない……


 視界がにじむ。まばたきをすると、風圧で目尻から引きちぎられるように涙が後ろに飛んでいった。


 涙が出るのは風が俺の目を刺激しているからだ。泣いてるからじゃない。俺は、泣いてなんかいない……


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 俺も芙由香もハル兄と同じ高校に進学するには偏差値が足りなかった。結局俺たちは揃って地元の高校に入った。卒業生の半分が進学、半分が就職するような、普通の公立高校。


 それでも相変わらず芙由香とハル兄は付き合いを続けているようだった。去年のクリスマスに彼女は彼の下宿に泊まりがけで行ったらしい。それが何を意味しているのかは、俺だって良く分かってる。


 だけど。


 今年の夏のことだった。


 免許センターで原付免許を交付してもらって、テンション高めの俺を家の前で待っていたのは、真っ青な顔の芙由香だった。


 ハル兄に、他に好きな女が出来たから別れてくれ、と言われた、と。


 信じられなかった。あのハル兄が、芙由香にそんな仕打ちをするなんて。


 当然彼女も納得できていない様子だった。俺はハル兄に直接連絡を取ってみたが、芙由香とはもう付き合えない、の一点張りで、埒があかなかった。しまいには着信もメールもLINEも全部ブロックされてしまった。それは芙由香も同じ状況のようだった。


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 それからの芙由香は、まるで人が変わったようだった。


 虚ろな目でぼーっと窓の外を見ていることが多くなった。友だちと談笑していても、心から楽しそうには見えなかった。どこか無理をしているようだった。


 そして、十月。


 久々に芙由香からLINEがあった。ハル兄と全く連絡が取れないので彼の下宿に直接行きたいのだが、一人で行くのは怖い。だから、次の連休に一緒に行って欲しい、と。


 待ち合わせのバス停。芙由香は見るからにやつれていた。バスの中でも終始無言。俺が話しかけても会話が続かない。


 ハル兄の下宿は彼の高校からほど近い、賄い付きのアパートだった。二階に上がり、芙由香が彼の部屋のブザーを鳴らす。だが、全く反応がない。居留守なのかと思ったが、よく見ると駐輪場に彼の SRX がない。どうやら本当に留守のようだ。


 俺たちはそのまましばらく彼の部屋の前で待つことにした。やがて、シングルシリンダーの低く断続的な排気音がして、二人乗りの黒の SRX が駐輪場に入ってきた。


 二人がバイクを降りてヘルメットを脱ぐ。運転していたのはハル兄。そして、その後ろにいたのは、かなり派手に化粧をした女だった。高校生とは思えない。体付きはかなりグラマラスだ。


 二人はイチャつきながら階段を上ってきたが、俺たちに気づいた瞬間、ピタリと足を止める。


「ナツミ、もう少し走ってくるか」


 そう言ってハル兄は踵を返した。ナツミ、と呼ばれた女がジロリと芙由香を一瞥し……ふふん、と鼻で笑うと、ハル兄の後を追って階段を下りていく。


「ハル兄! 待てよ!」


 思わず駆け寄ろうとした俺は、ぐい、と左腕を掴まれてその場に引き留められる。


「……え?」


 芙由香が俺の左腕を両手で掴み、左右に首を振っていた。


「いいよ、明尚あきなお……もう、いいよ……」


---


 その後の芙由香は、表向きは吹っ切れたようだった。だけど……彼女と長い付き合いの俺には、それが偽りであることが良く分かった。ふとした拍子に見せる、無表情な顔。輝きを失った虚ろな瞳。


 彼女は何も吹っ切れてなんかいない。でも……俺は彼女の何の力にもなれない……


 そんなふうに俺が自己嫌悪に陥っているうちに学校は終業式を迎え、冬休みに入ったのだった。


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