七
帰る道すがら、あらためて老農夫の名をきいた。
家は先刻教えられたとおり、そこから農道を四丁ほど北へ行った栗林と、柿の木にかこまれてあった。
作りは妹葉屋敷とも違い、じつにしっかりとしている。八間幅の奥行きのある曲がり家造りで、丁寧に塗られた黄土色の土壁が、どことなしか風情めいたものをうかがわせる。白壁の武家屋敷街で育った武次郎の目には新鮮に映る。昔は
母屋側は長い縁側がぐるりとめぐり、深い軒下をもつ傾斜のついた大きな茅葺屋根を乗せている。当地が豪雪地帯であるゆえ、これでなければ冬を越せぬと教えられた。
屋根の排煙窓から、煙がたちのぼっているのが見えた。
中庭へ踏み入れたとたん、右手にある台所の裏口から出てきた一人の娘と出くわした。双方がおやと目をみはる。
孫娘と二人暮らしであると聞いてはきたが、まさか昼に山のなかで道を教えてくれたあの娘だとは思いもよらなかった。武次郎は苦笑いをしながら会釈した。
「仙台藩士、大河内武次郎と申す。今晩、こちらで一宿することになったが、よろしく頼む」
娘は小さく腰を沈め、頭を垂れた。
「
丸い輪郭の色白な横顔に、武次郎はついつい見入ってしまった。
「う、うむ……かたじけない」
艶々とした黒い瞳が、すっきりと形のよい奥二重のなかに収まっている。垂れた長い睫毛と、瑞々しい
女子にしてはやや背が高く、肉づきはきりりとしまっているだろうか。その身なりこそ質素な百姓のものであるが、歩く姿を後ろから見ていると、やはり躾の行きとどいた武家娘の作法のようでもある。
仙台城下で暮らす女たちのように、流行りの結い髪をしていなかった。昔ながらの一つにまとめた長い垂れ髪。黒髪のうえで赤い髪紐が揺れるのを見ているうち、うっかり百年前の世に迷い込んでしまったような心地すら覚えた。
用意された水桶で足の埃をすすいだあと、縁側とつづく八畳間へ通された。屋敷のなかはすべて板間であるのだが、黒々として埃ひとつ落ちていないのは、きっとあの芙希による仕業であろう。
しばらくひと息をついたころ、
「お客さま、御膳のお仕度ができました」
芙希の案内で
「まァ、爺さまったら、お行儀の悪い」
すくめた首を叩きながら目尻の皺をくしゃりとさせて笑った。
「つい待ちきれず、な、先にやってだハ。この
「なんの、構わぬ。いっさい気をつかわないでくれ。突然押しかけたのは俺のほうだ」
「ご一緒にいかがですか?」
正直なところ、昼のことが頭の角にあってそんな気分でもなかったが、せっかく当家の主人が勧めてくれているのだから、応じるのが礼儀というものである。
武次郎は両手で盃を受け、注がれた酒をひと息で飲み干した。
「おお、これは……」
はじめて味わう上等な美酒であった。切れ味のよい雑味のない辛口、飲みこむと鼻から芳醇な香りが抜ける。腹の底にすぅと落ちて、ちりりと染みた。
閑助から促されるまま、肴の
「いかがですか、絶品でがしょ? 酒は出羽まわりで流れできた会津もの、蕨はこの山で芙希が食べごろを見計らって取ってきたものでがす。下の町ではながなが、ありつけません」
「うむ、まさしくそのとおり」
閑助は誇らしげに頷き、二杯三杯と酒を注いでくれた。すぐに武次郎もやみつきになってしまい、酒を飲んでは蕨をつまみ、酒を差し合う。
そうこうしているうち、芙希が頃合いもよく料理の膳をはこんで来てくれた。
「お口に合いますでしょうか?」
「おう、合うも何も、ぴったりだ。芙希どのは料理上手であられる。俺はこんなに美味いものを食べたことがない! 美味い、じつに美味い!」
なおもモリモリと頬を膨らます武次郎を見て、わずかに頬を染めながら、芙希はうれしそうに微笑んだ。
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