第4話 魔神




 ジジジジジジジジジジジジ………………


 それは、『授与の根源』を封ずる容器から発せられる音だった。


 まるで蝉の鳴き声のような音。けれど、その声は一定に刻まれ、とても生物らしさを感じられない。まるで機械のようなその音は、次第に大きくなっていく。


 マーヴァミネがミラの方を振り返り、笑みを浮かべた。仄暗い、闇を感じさせる笑みだ。


 人の幻影を纏ったマーヴァミネは、己の感情を表す表情や仕草をとてもたくみに見せる。それは、とても幻影とは思えないほど精巧なもの。


 その幻影のうちにある悍ましく、冒涜的な姿があるとは誰も思いはしないだろう。


 実際、ミラもあの光景が嘘であってほしいと思っている。思ってはいるが……、マーヴァミネが人に戻っているとか、これまでのことがただの冗談だったなんてことはあり得ないと理解している。してしまっている。心がいくら否定しようとも、事実を変えることはできないのだ。


 そんなミラの心を逆撫でするように、マーヴァミネの口から言葉が紡ぎ出される。


「どうだ? 私はあと1時間もせずに魔神へと至る。私は世界を支配するのだ」


 滔々と、まるで謳うように、賛美するように聞こえる。


 マーヴァミネは己の夢に心酔している。それに、それだけではない。その夢は今にでも叶えられようとしているのだ。彼はとても満ち足りた気分でいることは間違いなく。今なら、どんなことも許せるとすら彼は思った。


「あぁ、私は神になる。全人類中で、ただ二人しか成れはしなかった神という地位に、私がたどり着く。夢かなにかと今でも思ってしまうよ」


 笑いは、止まらない。いや、止めるなどできようものか。この気持ちを、この時を、私は永遠に覚えているだろう。そうとさえマーヴァミネは思ったのだ。


 うっとりとした表情のまま、両手を容器に当て、マーヴァミネはそのままズブズブと容器へと入って行った。


 手から、腕。マーヴァミネが一歩動けばその分だけ。そして、最後に頭がスルリと入り、あとには立ちすくんでいることしかできなかったミラが立っているだけだった。


「どういうことよ……」


 ミラはそう呟くことしかできなかった。



────────────────────────────



 煌めく星々。


 それらはマーヴァミネを祝福するように輝き、讃える。


 そして、星と思っていたものは次第に明かりを増し、ついには当たりを光が満たし、彼の視界は何一つ見せなくなった。


 その光は、マーヴァミネの体中に浸透して行き、肉体が崩れていく。


 そして、それと同時に崩れた肉体が再生していく。


 それは、マーヴァミネにとってはじめての体験だった。当たり前と言われればそれまでだが、他の人と違うところがあった。


 マーヴァミネは自らの肉体が崩壊し再生するこの現状にとても感動しているのだ。普通の人であれば、このような状況に陥ったりすれば発狂してもおかしかしくはないというのに、だ。


 そして、感動しているだけではない。今まさに神にならんとしている自分に酔いしれ、笑みを止めることなぞできないほどだ。頭のネジが外れているのは間違いない。


 人として、失ってはいけない一線を超えている。このような人間にだけはなりたくない。そう多くの人は思うであろう思考回路。


 そして、ついにマーヴァミネの全身が入れ替わった。


 細胞の一つ一つが人のものから人外、神のものへと変わった。


 それと同時に、彼の力が全て抜けていく。残ったのは洗練され、磨き上げられた概念的なものを構築する力のみ。


 しかし、その力は一瞬にして増幅し、抜けた力の何倍、何十倍のものとなっている。


 あぁ、素晴らしい。


 これを求めていた。


 全てはこの時のためだった。


 そして、それは報われた。


 今、神となることで私は私から脱却し、世界を統べる存在になった。


 誰にも屈せず、誰にも負けず、誰にも到達できない、そんな位階。誰にも彼を止めることはもはやできない。


 マーヴァミネは想像する。人々は絶望するだろう、と。神は死んだと嘆くだろう、と。その神が私だとも知らずに、死んでいくのだろう、と。


 地球上にいるすべての生命体、その生死は彼が握った。


 つまり、彼は神になり、地球の支配者になった。誰も望まぬ支配であろうと、もはや決定した事実だ。


 マーヴァミネはその光景を夢想し、ほくそ笑んだ。


 この世界がそんな上手くいくはずがない、などとは一切思いもしなかった。



 彼が、すべての力を手にして外へと出る。


 それと同時に中に閉じ込められていた“授与の根源”は役割を果たしたとばかりに、一瞬の滞空後、空へと飛び立つ。


 天井をすり抜け、彗星のように宇宙そらへと消えた。


 ミラはただ一人、その様子を眺めていた。


 地球の終わりか破滅か、どちらにせよ絶望が近づいている、と世を憂いながら。


 手すり台に手をのせ、見上げる星はこんなにも綺麗で、何も変わることなく輝いているのに、地上の私たちは醜く、愚かで、救いようもないのだろうか。


 神などと言うものを信じないが、この時ばかりは、ミラも神に祈って何かが変わるなら、祈ってみたかった。


 もちろん、マーヴァミネではない、誰か。そう鬼崎駿翠のような……。


 空には流れ星が、あった。



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