異世界貴族の飼い猫は門番を気取る

月見夜 メル

異世界貴族の飼い猫は門番を気取る

 ナイト三世はあくびをした。


 広い庭園の前に建つ、白くてすべすべな門柱の上。ほとんど雲のない晴天から暖かい陽光が注ぎ、昼寝するにはもってこいの場所だった。


 ナイト三世は短足猫マンチカンである。お屋敷で産まれ育ち、あまり外へ出たことはない。親兄妹に比べると長くふっさふさな純白の毛に、鋭くつり上がった目がチャームポイントだと自分では思っていた(悪人面などとほざいた兄猫は猫ぱんちの刑に処した)。


 大きなあくびをもう1つして、ナイト三世は立ち上がった。とはいえ、こんな極上の昼寝スポットを捨てて移動しようと思った訳ではない。短い両前足をぐぐーっと突き出して伸びをすると、その場でぐるぐる、ぐるぐると回る。これはいわば大袈裟な寝返りのようなものだ、決して意味なくぐるぐるしている変なやつではない、と、誰にともなく弁解しながら、ナイト三世は適当な所でパタリと横倒しになった。


 ナイト三世のいるお屋敷は小高い丘の上にあり、お屋敷の主である辺境伯が治める街を一望することが出来た。ナイト三世は毎日のようにこの景色を眺めているが、「可愛いナイト三世ちゃんに何かあったらどうするの!?」という辺境伯夫人の一声があり、実際に行ったことはなかった。ナイト三世としても、人間の巣がうじゃうじゃ並んでいるだけの場所が面白いとは思えない。


 そもそも、門番が門を離れてどうする。


 ふっさふさな尻尾をパタパタ。近くで庭師のじい様が動かしている、高枝切りバサミの音に合わせて。


 ナイトとは“騎士”という意味なのだ、と、まだ子猫だった頃に、名付け親であるお屋敷のお嬢様に抱かれながら教わったことがあった。


 「ほらないとさんせいちゃん、あれが“きしさま”よ」と、たどたどしい抱き方でナイト三世を半ば締め上げるようにしながら、幼かった頃のお嬢様はよくお屋敷の廊下に飾ってある、巨大な絵画をキラキラした瞳で見上げたものだった。


 絵画には純白の馬に跨がり、輝く長いものを掲げた、えらくゴツゴツした質感の人間が描かれていた。当時のナイト三世にはそのゴツゴツ人間がどんな奴なのかは分からなかったが、その後お嬢様が“きしさま”が活躍する書物を幾度も幾度もナイト三世に舌足らずな口調で読み聞かせてくれたので、取り敢えず『何かを守るのが仕事』なのだということは理解した。


 では、騎士と名付けられた己は何を守るべきか。


 考えた結果がこの状況――門柱の上でゴロ寝である。ナイト三世は、『門番』としてお屋敷を守ることにしたのだった。だから毎日毎日飽きもせず門柱の上で行きもしない街並みを眺めているのだ。


 決して、


 決して、この日だまりの気持ち良さがクセになってしまっただけという訳では断じて全くこれっぽっちもないのである!


「なあ、聞いたか?」


 カッ、と緑の目を見開きながら誰にともなく内心でそんな言い訳をしていたナイト三世の耳が、ふと人間の声を捉えた。


「聞いた、聞いた。お嬢様、遂にBランクへ昇格なんだってな!異例の速さらしいぜ」


「流石、俺たちのお嬢様だよな!!」


 ナイト三世がそりかえりながら門柱の下を見ると、ゴツゴツしたものを胸元に付けた人間が二人、屋敷の門を開こうとしていた。辺境伯の私兵たちだった。街の鍛冶屋に武器類を受け取りに行った帰りのようで、メンテナンスの終わったピカピカの武器を載せたリヤカーを引いている。金属の照り返しがまぶしくて、ナイト三世はすぐ顔を引き戻した。私兵たちはナイト三世には気付かなかったらしく、門が閉じると共に談笑が遠ざかって行く。


 尻尾をパタパタ。庭師のじい様はいつの間にか移動していたのか、ショキショキ音はもう聞こえない。


 私兵たちの話を聞いて、自分の名付け親が活躍していることを知ったナイト三世は誇らしい気分になった。騎士の冒険譚に瞳を輝かせていた少女は、1月程前に人々を脅かす怪物たちを討ち滅ぼす“冒険者”になるべく屋敷を出ていった。愛娘が危険な仕事をすることを辺境伯も夫人もかなり長いこと渋っていたのだが、娘の覚悟が揺るぎないことと、彼女の実力――辺境伯の私兵全員を同時に相手取り完勝するレベルだ――を鑑みて、遂に折れざるを得なかったのだった。


『私は、市井にて無辜の人たちを守るわ。だから、キミはお父様たちをよろしくね』


 エントランスから出ていく時のお嬢様の微笑みが、シャンデリアよりもまばゆくナイト三世の目に焼き付いていた。


 だから俄然、この仕事にも身が入るのだ、ぐうたらしているわけではないのだと、ナイト三世は大あくびをしながら寝返りを打つ。


 実際、“招かれざる客”の存在には既に気付いていた。


『む……“透明化”が?』


 ナイト三世が尻尾でパタリと門柱を叩くと同時に、耳に届いたのは低く唸るような耳障りな声。発せられた言語は人間のものでは無かった。


 見れば門の上空に、毒々しい紫の肌を持ち、一対の黒い翼を生やした人型生物が5体浮かんでいた。不思議そうに自らの体を眺め回しているリーダーらしき真ん中の1体を除き、残りの個体は皆一様に、ニヤニヤと下卑た嘲笑を浮かべている。人間を脅かす“怪物”共だということはすぐにわかった。彼らの視線はまっすぐに屋敷へ向けられており、ナイト三世のことは眼中にないらしかった。


『なるほど、やはり領主の屋敷というべきか。防御結界バリアの用意は万全のようだ。まあ、我々には関係ないがな!』


 ナイト三世には意味のわからない言葉を並べた後、中央の1体が腕を横薙ぎに振るう。ガラスの砕けるような盛大な音が響き渡り、お屋敷を覆っていた見えない壁は粉々に砕けてしまった。


 ナイト三世はのそりと起き上がる。遠く街の上空にも似たような人型生物のシルエットが複数飛び回っており、あちこちで火の手が上がっていた。ここに来た連中もその一派なのであろう。


『今ここに人界征服の橋頭堡を築く。お前たち、目につくもの悉くを塵に還せ!!』


 哄笑を上げるリーダーは、そう高らかに蹂躙の号令をかけ、


 次の瞬間、笑みを張り付けたまま首を刎ねられた。


『…………な、ん?』


 意気揚々と屋敷に突撃しようとしていた怪物たちはそのままの姿勢でしばし停止していた。力無く落下していくリーダー個体の行く先には、白い小動物――ナイト三世が座っているだけで下手人らしき姿が無く、怪物たちの間でにわかに混乱が広がって行く。彼らは気付かない。それが致命的な隙だということに。


『ば、馬鹿な!?いったいどこから攻撃を――』


 狼狽しながら辺りを見回す1体の首元に、地上から飛んできた白い閃光が突き刺さった。2匹目……と、怪物の喉元を爪で貫いたナイト三世は淡々とカウントしながら、物言わぬ骸と化した怪物を蹴って着地する。


『いい?世界には危ない生き物がいっぱいいるの。だから私たちは強くならなきゃいけないの』


 少し成長して、私兵たちに交ざり剣を振るようになったお嬢様――この時点で既に新兵程度なら圧倒できる程の腕前だった――は、事あるごとにナイト三世へそう言い聞かせていた。なるほど、道理だ、とナイト三世も納得し、お嬢様の訓練には積極的について行っていた。


 その結果がこれである。


 リーダーを殺した下手人の正体に怪物たちは面食らったようだったが、すぐにおのおのの武器を振りかざしてナイト三世に襲い掛かって来た。


『死ね!』


 しかし、振り下ろされた刃の先にナイト三世はおらず、直後に怪物の背中を強烈な衝撃が襲う。怪物を蹴倒して跳躍したナイト三世はその勢いで槍を持った怪物に肉薄し、身を捻ってふさふさの尻尾を振り抜いた。普段は屋敷の人間たちをその手触りで魅了している尻尾の白毛がインパクトの瞬間に硬化し、さながら針まみれの棍棒のようになったそれが怪物を吹き飛ばす。3匹目、と、首が曲がってはいけない方向に曲がった怪物の死骸が柵に激突するのを見届けながら、ナイト三世はまたも無感情にカウントした。


『ありえん……高々小動物の1匹に精鋭たる我々がこうも一方的に押されるなど――』


 距離を取って弓矢を構えていた怪物は、言い終わらぬ前にナイト三世が吐き出した熱線に眉間を貫かれて墜落した。ナイト三世としては牽制くらいのつもりで撃った一撃だったので、少々拍子抜けだった。これで倒れられては張り合いがない。


 何しろ、本来はあのくらいの威力があるのだから、と、ナイト三世は街の方へ視線を向ける。丁度、街の中心部から東の空を貫くように放たれた光の槍が、飛び回る怪物の群れを数百単位で消し炭にした所だった。流石お嬢様、我が使うパチモノとは比較することもおこがましい、と、ナイト三世は清々しい気分で最後の怪物へと振り返る。


 自分の部隊のみならず、街を襲撃していた同胞たちまでもが一蹴されるという惨状に、残った怪物は剣を取り落としていた。


『いったい……貴様らは何者なのだ……』


 と、茫然自失と言った様子の怪物が、ナイト三世に問いかける。何を言っているのかは、やはりわからないが。


 なに、ただの門番だよ、と、取り敢えず内心で怪物に返しながら、ナイト三世はその命を刈り取るのだった。




◼️◼️◼️◼️◼️◼️




 1時間後。庭師のじい様が呼びに行っていたらしき私兵たちが怪物たちの死骸をリヤカーに載せ、街の方に向かって歩いて行く。お屋敷には、平穏が戻っていた。街の方は、お嬢様が熱線によって怪物たちの大部分を焼き払うなど獅子奮迅の大活躍。彼らが潰走するまでに時間はかからなかったという。


 ナイト三世は門柱の上に戻って大あくび。傍らには高級魚の尾頭が置いてある。辺境伯からの、直々の褒賞だった。心配した夫人にあちこち撫で回されて、もみくちゃな毛はまだ直りきっていない。


 ひとまず敵は退けたものの、ナイト三世は変わらず、定位置たる門柱の上で丸くなっている。何しろ、自分は“門番”なので。お父様たちをよろしく、と、敬愛する人に頼まれてしまっているので。彼はこれからも、ここに陣取り続けるのだ。


 寝ているだけじゃないかと笑う者もいるだろうが、そもそも、門番なんて暇なくらいが丁度いいのだ、と、ナイト三世は尻尾をパタパタ振る。


 もうすぐ、夕暮れだ。

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