2 一か月前の話
2-1 玄関の先
ほとんど毎日学校に通い続けて既に、十八年ほど。子供の頃は子供向けのアニメで輝いていた魔法少女になりたいと思っていたのを懐かしむ程度には彼女の精神は成長していた。地味な黒髪を三つ編みにして、邪魔にならないようにする。丸い淵の眼鏡をかけて、彼女は四角い学生鞄の中身を揃えていた。教科こそ違うが、ほとんど昨日の行動の反復だ。違う点があるとすれば、昨日はアニメグッズを見に行ったが、今日はその予定はないということだろう。
彼女には家族はいる。仲は良いとも悪いとも言えないだろう。学校のことも訊かれなくなった。彼女の両親は大抵のことは自分でできる年齢であるため、そこまで干渉する必要はないと考えているのだろう。それを彼女は理解しているが、少しは気にかけてほしいと思うのが子供心かもしれない。そんな彼女は既に行ってきますを言わなくなってから二年以上経っていた。既に見送りをしてくれるわけでもない。彼女は玄関でローファーのつま先をトントンと床を叩いて、靴を足に合わせた。それから、教科書の入っている鞄を持った。玄関から家の中を見る。そこには無意識の内に冷たい物が混じる。この家族はきっと、ただ一緒の家に住んでいる他人だと、そう思ってしまう。彼女はそんなことを思いながら、玄関のドアを開け、外に出た。
いつもとは違う感触が足の下から感じた。玄関前のタイルのような硬さではなく、土を踏んでいるような感触。彼女が足元を確認すると、そこは足が伝えている通りの草の生えた土だった。無意識に辺りを見回す。そこにあるのは玄関の先にある金属製の門ではなく、草原だけだった。舗装された道路もなく、他の家もない。近所のゴミ捨て場の近くで毎朝している井戸端会議もない。辺りを見回し、困惑したまま、自分の家を確認しようとした。後ろを振り返ると、玄関はあった。しかし、あるのは玄関のタイルまでだ。それより奥は草原になってしまっている。ドアを閉じて開いても、そこにある景色は変わらない。何が起こったのか理解できないまま、脳はこの状況の対処のために、様々な記憶を探る。やがて、この状況を理解できそうな、突拍子もない言葉が浮かんだ。一人事なんて、早々言うこともない彼女が思わず、一言呟いてしまった。
「異世界、召喚……?」
いやいや、待て待て。まだ魔法も魔獣も何も見ていない。ここが物語のファンタジー世界かどうかはわからないじゃないか。そうだ、アフリカ大陸のどこかかもしれない。はたまたヨーロッパのどこかか、アメリカのどこかかもしれない。断定するのはまだ早い。既に、玄関からこんな場所に移動してしまったということを忘れているようで、彼女は既にそのことを考えていない。そもそも、いきなりこんな状況に放り込まれて冷静さを保つこと自体が無理なことだろう。
彼女は何を思ったのか、とりあえず、自分の鞄の中身を調べた。今日の授業で使う教科書とノート。ノートの一冊は新品で中身は真っ白だ。筆記用具を入れている筆入れ。中身はシャーペン二本に換えの芯に赤、青、黄のボールペン。油性の黒ペンに消しゴムが二つ。他の鞄の中身は、最低限の化粧道具はあるがそれを外で使ったことはない。アニメに出てきたのもを模した手製のコンパクト。携帯用の手芸道具の針と糸。ハサミ。カッター。糊。今日の授業で使うはずだった三角定規二種類。直線定規。それとライトノベル二冊。
鞄の中身を確認していると少しだけ冷静さを取り戻した。そして、ようやく自分の手の感覚に違和感があることに気が付いた。まじまじと自分の手を見ると、小さくなっているように感じた。そう思うと、目線も低い気がする。コンパクトを持っているのも忘れて、自分の顔の輪郭を手で触れて確認する。かなり小顔になっている気がする。元々、丸いというよりかは長方形寄りの輪郭だったはずだ。彼女が顔の角度を変えることで、目の端に桃色の何かが映る。彼女は視線をずらして、その方向を見たが、何もいない。視界の端にはまだ桃色の何かが映っているのだ。まさかと思い、髪を触るが、触れるだけでは髪の色はわからない。そこでようやく、彼女は鞄の中にコンパクトがあることを思いだして、それを開いて、鏡の部分を覗いた。そこにいたのは間違いなく自分ではない。桃色の髪を繭の位置で切りそろえられている。神の長さは耳を隠し、肩にかかるくらい。瞳は幼い子供のように大きく丸い桃色の瞳。たれ目気味の目がより幼さを強調しているようにも見える。化粧もしてないのに、つやつやの肌。少なくとも先ほどよりは若いのだろうと予想する。十七歳より少し若い程度で、十四歳くらいと勝手に決める。
(見た目が変わってるなら、名前も変えようかな)
彼女はすぐに、名前の方は思いついた。
サクラ。それは彼女が昔から憧れている魔法少女の名前だ。過酷な運命の中でも天真爛漫に笑い、戦う姿は格好良くて、可愛い。この世界に苗字があるのかはわからないが、魔法少女らしくフォーチュンという苗字を付けることにした。合わせると、サクラ・フォーチュン。中々悪くない。魔法少女とかやってそうな名前だと、彼女は満足そうにした。忘れれることはないとは思うが、一応、新品のノートにそれをメモした。それらを鞄にしまい、再び辺りを見回してしまうと、本当にそこが夢でないのだと感じられた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます