第6話

 その年が暮れ、次の年が明けたころ、栄太の月刊誌に寄稿していた連載が打ち切られることが決まった。連載が始まって一年とちょっとであった。老境にさしかかった作家の老いた筆致の物語では、若者向けのライトノベル誌で連載していくのは、この辺りが限界なのであろうと思わざるをえない。

 そうして、そのあとには、奈緒子の新作がはじまる予定であった。

 奈緒子は、栄太も、編集のKさえも驚愕せしめるほどの飛躍を遂げた。

 出版された小説が、有名なファンタジー文学賞を取り、世間の耳目を集めた。

 まったく異例であった。

 彼女が栄太のもとを去って、直後にウェブ小説が単行本になり、夏には新作を発表し、それが文学賞を受賞して、今ではもう連載を三本抱えているという。K編集も、あんな口からいことを言っておきながら、平然とした顔をしてくるりと手のひらを返したうえに、その手を揉み擦りしながら彼女に連載を依頼している。

 窓の外には、粉雪が舞っている。

 机に頬杖をついて、栄太はその絵画のような景色を、無感動に見つめていた。

 灰色の空の下の灰色の建物を背景に、白い小さな粒子が、窓の額の中で、はらはらと静かに落ちていく。その雪はヴェランダの手すりに乗っては消え乗っては消え、小さな水滴を染みのようにつけていたが、ふと気がつけば粉砂糖を振りまいたように、こげ茶色で塗られた金属の上にうっすらと白く色を乗せて、平素モノトーンの無味乾燥の景色からさらに色を奪っていた。

 そうして、栄太の心にも、なにか得体の知れない粉雪のような小さなものが、だんだん積もっていっていた。

 それは、奈緒子に対する嫉妬であり、後悔であり、自分自身に対する憐憫であったろう。

 今、彼は無性に彼女に会いたかった。彼女に会ってどうするかなどは考えていない。ただ会いたくってしかたがないのだ。

 栄太は自分の無理性な感情に流されて、スマートフォンを手に取った。数秒も待たせずKは電話に出た。しぶる彼から強引に彼女の住まいを聞き出し、聞き出したらすぐに服を着替えて、家を出た。

 奈緒子は葛飾の青戸というところにいるそうだ。

 電車を乗り継ぎ北へと向かう間じゅう、彼の心の片隅はしきりに騒ぎ、騒ぐ心を冷静に見つめるもうひとつの心があり、そのふたつの感情に挟まれて悶えている自分がいた。

 そういう複雑な感情がメリーゴーラウンドのようにぐるぐる回り続けているうちに、いつか彼女の住む街にたどり着いていた。

 雪のひとひらはさらに大きくなって降りしきり、彼を通せんぼするように視界を狭めていた。そこでやっと、栄太は自分が傘を持って来なかったことに気がついた。

 駅の近くのコンビニエンスストアに寄って、ビニール傘を買って、気を抜けば滑りそうになる道を急いだ。

 まだ日暮れには間があるはずなのに、辺りにはずいぶん暮色がただよっている。厚く空を覆った雪雲が、意地悪く栄太の世界から光を奪い去っているようであった。

 奈緒子の住むマンションは、少々古びてはいたけれど、意匠は洗練されていたし、全体の色も赤茶色の落ち着いた雰囲気で、地味ではあったがどこか隠れた光を持っていた彼女に似合いの住まいであった。

 共用玄関などはなかったので、そのままマンションへと入り、四〇五号室のドアの前に栄太は立った。

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