第9話 撤退
レパルトの意識が途絶えた。
善戦帝王の人生初勝利ということに歓声が上がるわけではなく、脇腹がごっそりと抉り取られて瀕死のレパルトが、無残に散ったチャンプ同様に逝ってしまうと、誰もが泣き叫んだ。
一方で、偉大なる副将を失ったという衝撃の事実にオーク兵たちは皆、脱力したかのようにその場で茫然自失していた。
だが……
「ッ、ま……まだだ! まだ戦は終わってはおらん!」
血の涙を流しながらも鬼の形相を浮かべる数人のオーク兵たちが叫んだ。
「許さぬ! 許さぬぞ、奴隷めがッ! 一人残らず根絶やしにして、我ら偉大なる副将への手向けとしてくれようぞッ!」
今度はさっきまでのレパルトと同じように、「敵討ちだ!」とオーク兵たちは叫んだ。
そう、地下世界に人間たちからすれば状況は何も変わっていない。
バークシャの死は、無数のオーク兵たちの内、一人が死んだに過ぎない。
この数の兵に一斉に襲い掛かられればひとたまりも無いと、誰もが理解していた。
しかし……
「どうかな? わらわがまだ残っておるというのを理解していないようだな?」
「ッ、ブリシェール皇女ッ!」
そう、戦を知らない地下世界の人間たちからすれば何も変わっていない状況でも、実際には状況は劇的に変わっているのである。
傷を負っているものの、王家の力を引く、ヴァンパイア皇女のブリシェールが拘束から逃れたこと。
なによりも、オーク兵たちを率いる軍の象徴とも呼ぶべき副将の戦死。
ゆえに、この状況で冷静な判断を下すとすれば……
「……ダメだ……相手にするな。今すぐ、地下道を駆け抜けて、本軍へ合流するのだ」
その判断を下したのは、バークシャに側に居た一人のオーク兵。
他のオーク兵とは少し違い、老い衰えた容姿をしているものの、その眼光は鋭い。
「なにを申される! 将軍の無念を何と思われる!」
「バークシャ副将が……あんな……卑怯な手で! 一対一の武将同士の戦に泥を塗ったあのヴァンパイアの小娘を、人間を許してはなりません!」
そう、傍から見れば、これは本来であればレパルトとバークシャの二人の男の一対一の戦いだった。
それを横からブリシェールが邪魔をしてバークシャを仕留めた。
戦において勝つためならば何でもすると宣言していた者たちでも、大将の一騎打ちを邪魔してはならないという暗黙のルールのようなものがあった。
それを穢したというブリシェールと、そしてレパルトに対するオーク兵たちの憎しみは尋常ではなかった。
しかし……
「無論、理解している。私が何年、副将と共に戦ったと思っている!」
老兵のオークも当然それを理解している。
今すぐにでも副将の仇を討ちたいという衝動にかられている者の、唇を噛み締め、手の平から血が出るほど握り締めながらも堪えていた。
「今、ここで我らが全面戦争をして……仮に奴隷共を始末できたとしても……皇女に逃げられてしまえば意味が無い……それに、時間を取られすぎた」
そう、本命の戦争はまだ継続中なのである。
現在オーク兵たちの本軍は地上で、ヴァンパイア軍と全面交戦中なのである。
その戦の裏をかき、手薄になったアルテリア覇王国を強襲し、二人の皇女を拉致した。これにより、戦は圧倒的にオーク兵たちに有利に働く。
だが、もしここで自分たちがこれ以上の痛手を負い、さらには皇女に逃げられでもしたら?
「殿は私が引き受ける! 全隊今すぐ脇目もふらずに駆け抜けろ! ブリシェール皇女は逃したものの、まだセレスティン皇女は我らの手の内だ!」
そう、ここで感情に任せてリスクを負うよりも、それが正しい判断。
「ぐっ、離しなさい! いやっ、お、お姉さまッ!」
「セレスッ! おのれえ、貴様ら、妹を離せッ!」
オーク兵たちが感情を必死に堪えて、老兵の判断を受け、一目散に地下世界の奥へと突き進む。
目の前に居る奴隷たちを乱暴に跳ね除ける。
「ぐっ、待て、貴様らァ!」
「させるかあ! 貴様の妹は我が国が戴く! この恨み、我らの同胞が晴らしてくれようぞ! 徹底的に陵辱し、万のに仕組みを叩き込み、地獄の苦しみを与えてくれるッ!」
妹を救おうと、ブリシェールが必死にオーク兵たちを蹴散らそうとするも、オーク兵たちは自らが盾となって阻む。
「ダメだ、っ、せ、セレスーッ!」
ブリシェールは必死に叫ぶが、猛進するオーク兵たちを止めることは出来ない。
壁に弾き返され、オーク兵たちは地下世界の奥へと突き進んでいく。
それは、全て一瞬の出来事だった。
まるで、突如災害が現れ、甚大な爪あとだけ残して直ぐに立ち去った。
そんな様子で、地下世界の人間たちの住む環境はメチャクチャに破壊され、踏み潰され、荒らされ、そして静けさが残った。
誰も、次に何をすればいいのか、立ち上がることもできず、踏み潰され、跳ね飛ばされ、更には先ほどの崩落で生き埋めになった者の救出にも動き出せず、ただ呆然としていた。
そんな中で、ブリシェールは直ぐにあたりを見渡した。それは、被害状況の確認……ではなく……
「おい、そこの童は無事かッ!」
それは、レパルトの安否だった。
レパルトは何とか今の一幕で殺されることは無く、数人の仲間たちに囲まれて介抱されているものの、その周りには血だまりができ、どのみち今すぐにでも逝きそうな様子だった。
しかし……
「ほっ……虫の息だが……生きているか……これならば……」
たった一人の奴隷の生に、安堵の溜息を漏らすも、ブリシェールはすぐにオーク兵たちが駆け抜けた道を睨む。
そして……
「おい、奴隷たちよ! 動けるものが居るのであれば、被害に合っている者たちの救助に当たれ! そして、わらわが許可する! 今すぐ地上へ登り、このことを生き残りの騎士団の誰かに伝えるのだ!」
ボーっとしている暇はないとばかりにブリシェールは毅然と言い放つ。
しかし、こんな状況があったばかりの奴隷たちに、今すぐ動けるものなど居ない。
だが、それでもブリシェールは叫ぶ。
「わらわは今すぐ奴らの後を追い、セレスの奪還を試みる。だから、後は頼んだぞ!」
すると、流石にその発言には、呆然としていた奴隷たちもハッとなった。
「な、ひ、姫様、なにを! 姫様お一人で? き、危険です、あんな危ない奴ら!」
生き残りの奴隷が慌てて叫ぶも、ブリシェールは首を横に振った。
「しかし、仮に地上で生き残った騎士団たちを今すぐ編成したところで、やつらには追いつけん。そして、セレスが敵の本軍に渡れば、それこそ我が国は大きく不利になる。ゆえに、わらわが今すぐ追いかけるしかない!」
呆然としている暇も、悲しんでいる暇も、悩んでいる暇もない。今すぐ動かなければならないと告げるブリシェールの瞳は強く輝いていた。
「だが、確かにわらわ一人では厳しいかもしれぬ。だからといって、貴様ら奴隷共を引き連れたところで足手まといだ。しかし……」
その時、ブリシェールは今にも逝きそうなレパルトを見た。
「この童は、わらわがもらっていく」
そして、耳を疑いたくなるような衝撃的なことを宣言したのであった。
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