第7話 ありえない

 地の底で、燻っていた男が世界を知る前にその命が燃え尽きた。

 息もしていないチャンプの表情は、怒りがにじみ出たまま、自分が死んだことすら認識しないままになっていた。

 突然のことで何が起こったか最初は分からなかった地下世界の人間たちも、ようやく頭が働き出し、ただただ立ち尽くし、そしてすぐに誰もが叫び、号泣していた。


「チャンプを、返せええええええ!」


 ただ一人、友の死に悲しみを抱くとともに、怒りを同時に吐き出しながら、レパルトは走り出した。


「や、やめろおお、レパルトッ!」


 今、一人の青年が死んだ悲しみと共に、自分の孫が同じ末路になることを感じ取ったレパルトの祖父は必死に叫び、孫を止めようとする。

 だが、走り出したレパルトは止まらなかった。


「おお、絶望と恐怖がまだ足りなかったと見える。見せしめも、加減を誤ると相手の怒りや士気を上げることにもつながるからな」


 そんなレパルトに「やれやれ」とため息つきながら動こうともしないバークシャはただ笑っていた。


「副将、よいのですか?」

「よいと言っているだろう。な~に、所詮は情報の閉ざされた地の底の奴隷。『魔法』の一つでも見せてやれば、正気に戻るであろう」


 今殺した人間より、今向かってくる人間より、どうやればもっと絶望や恐怖を与えられるだろうか? 

 バークシャは笑いながらそんなことを考えていた。


「止まりなさい!」

「やめよ、奴隷ッ! なぜ、分からん!」


 二人の姫も叫ぶ。

 奴隷が殺される。この二人からすれば「たかがその程度」のことである。

 しかし、これ以上、オークたちの思い通りにはさせたくないという思いから、名前も知らないレパルトを止めようとする。


「そ、そんなこと言われても、わ、分かんないです! 分かってるけど、でも!」


 だが、レパルトも分かっていないのではない。分かっている。

 勝てるわけがない。だが、それでも動いてしまうのは!


「勝てなくても、許せるわけがないんだから!」

「……なっ……」


 友を殺めた目の前の化け物に、怯えて逃げて何もしない? そんなのいいはずがない! だから動く!

 今のレパルトの視界も思考も、全てバークシャで埋め尽くされている。

 そんなレパルトに向けて、バークシャは、矛を振りかぶらずに、片方の手だけを前に突き出す。


「一瞬で人が燃え尽きる光景でも見て、面食らうがよい」


 六芒星の紋様が浮かび上がる。もっとも、レパルトにとっては「六芒星」というもの事態を知らない。

 変な紋様がバークシャの掌から空間に浮かび上がった程度の認識しかされていない。

 だから、今から何が起こるかも分からぬまま、構わずバークシャに向かっていく。


「ラージファイヤ!」


 熱風が頬を全身にぶつかった。

 突如として全身から汗が噴き出した。

 レパルトは、自身を覆いつくすほどの巨大な猛々しい炎の塊を認識したときには、既に炎は眼前へと迫っていた。


「な、えっ、な、な、なにこ……ッ!」


 なんだコレは! そう思った瞬間、怒りに満ちていたレパルトの思考が一瞬正常に戻り、その直後にパニックになった。

 死ぬ? 防ぐ? 燃える? 何で炎が?

 思ったことは色々あったが、真っ先に思い浮かんだのはただ一つ。


「ふはははは、燃えよ、燃え尽きよ!」


 何もできないというただ一つの思い……だった……のだが!


――勝てなくても、逃げなければいい


 祖父の言葉が頭をよぎった。


「奴隷ごときでは、ワシの前に立ちはだかることすら不可能と知れ!」


 不可能?


―――不可能とは愚か者の辞書にのみ存在する。お前は愚か者ではないじゃろう?


 すると、自然と叫んでいた。

 強がり。ハッタリ。願い。

 あらゆる感情を込めて反逆の意思を。



「俺の辞書に不可能の文字はないっ!」



 その時だった。

 胸が熱く心臓が強く高鳴った。その高鳴りは、胸に刻まれた呪いの紋様から。


「ウワアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」


 腕に、両足に、首に顔に額に伸びていた紋様がいつも以上に全身に食い込んだ。

 それは、いつもレパルトが感じていたものと少し違った。

 何かが漲るような、溢れ出るような巨大なもの。

 レパルトは自然と両腕を炎へ向けて突き出していた。

 すると……


「あっ、あっちいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!」


 両手の平に激痛が走る。熱すぎる。

 まるで沸かされた風呂にいきなり入るような……


「な……にっ?」


 そう、風呂の熱湯を浴びせられたぐらい熱かった。言い換えればそれだけなのである。


「ひーひー、ふーふー! あっつ、手が真っ赤に……だけど……だけどぉ!」


 両手を振り回して必死に痛みを和らげようとするレパルト。

 だが、その光景には、オークの軍団も、副将バークシャも、そして二人の皇女も目を大きく見開いて居た。

 そう、数多くの戦歴を積み重ねた猛者でもある、副将バークシャの炎の魔法を、奴隷の人間が素手で受けて消したのである。

 それがどれほど異常なことなのか、どれほど凄いことなのか、レパルト本人はまだ気づいていない。

 それどころか、


「ッ、熱いがなんだ! こんなの、こんなのおッ! チャンプに比べたら……」


 それどころか、レパルトは熱さに悲鳴を上げた自分自身の情けなさに怒り狂っていた。


「何かの魔法? アイテム? まあ、いい。ならば、この宝矛で切り裂いてくれようッ!」


 バークシャは驚いたものの、すぐに巨大な矛を携えれ、レパルトに迫る。

 その矛は、チャンプを両断した血まみれの矛。

 レパルトの心臓が大きく跳ね上がった。


「この、ブタヤロオオオオおおおおおおおおおおおおお!」


 叫ぶレパルトに対して、一瞬で間合いに入り込んだバークシャは即座に矛を振り、レパルトを両断しようとする。

 誰もが、次の一瞬でレパルトが殺されると思っていた。

 しかし、


「つあっ、あ、危ないッ!」

「……なに?」


 レパルトはその場から慌てて飛び退いてバークシャの矛を回避した。

 いや、完全ではないが……


「つっ、服が、お腹がほんの少し切られ……ッ、だからどうしたァ!」


 僅かに腹の薄皮が切られた。しかし紙一重、皮一枚で確かに回避していた。


「……ありえんっ!」


 名も知らない奴隷の人間が、地上世界で大きく名を上げた歴戦の猛者である自分の魔法を防ぎ、攻撃を回避した?

 そんなことがあって良いはずがない。

 バークシャはすぐに追撃のために大地を力強く蹴り、今度は両断ではなくバラバラにするために、レパルトを矛で乱れ切りしようとする。しかし……


「うおおおお、そう、簡単に、死んでたまるかぁ!」

「……なん……だと?」


 皮一枚、また切られる。滲み出る血の量が増えていく。

 殴り合いはしたことがあっても、切られることへの耐性がないレパルトは、刃物に対する恐怖で悲鳴を上げっぱなしだった。

 しかし……


「あ……当たらぬ……決定的な一撃を受けず……か、回避しておる……バカな……奴隷の少年が……あ、ありえぬ……」

「な、なんなの? ……なんなの、あのでたらめな素人同然の身のこなしで……なんで!」


 皇女がついに「ありえない」と口にした。

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