箱の中の猫〜量子学的に考察しようと意味のない話〜

日野玄冬

箱の中の猫〜量子学的に考察しようと意味のない話〜

 父の転勤の都合で、四月から東京の高校に進学する運びとなった私。


 今日は入学式だ。胸のドキドキが抑え切れず、つい出発の二時間前に起きてしまった。


 諸々の支度に時間はあまり要さず、鏡を何度見ても髪や服装に乱れはない。


 早めに行こう。別に問題ないよね。


 そう決心した私は家を飛び出し、学校へと続く桜並木道を歩いていた。


 風に揺られて散る花弁が、髪に引っ付く。


 乙! 超乙! 乙な女! まさしく乙女!


 足取りがふわり。羽毛みたく軽い。心臓がどくどくと脈を打つ。


 華やかな道に汚点を見つけたのはそのすぐ後だった。


 「にゃーにゃーにゃー」


 淡紅色に染まった世界。


 儚くも命を削り彩る木々の基。


 一つの段ボールありけり。


 愛玩動物として聞き覚えのある声ではなかった。


 発信源を辿れば、自ずと段ボールに目がいく。


 猫だ。段ボールは、見慣れた黒い猫だ。


 鳴いていたのは――私と同じ制服を着た、女の子だった。


 え……どういう状況?


 急がば回ろうが、善は急ごうが、避けられない運命。


 ただ、感傷に浸らずにいなければ、無視できた状況。


 高揚感に身を任せたばかりに招いた災いだった。


 足の羽毛はとうに毟られた。嗚呼、私はイカロス。


 「あの……」

 「にゃーにゃーにゃー」


 声を掛けてから気付いた。彼女の制服には皺一つ付いていない。擦れた際特有の光具合も全くなかった。


 つまり同じ新入生と考えられる。


 え、東京ってこういう街なの? 都会こわい。


 「私と同じ学校の子……だよね。何してるの?」

 「籠の中の鳥ごっこ」


 わーお! すごいメルヘンな子だ!


 小説であるけども。お嬢様が言いがちだけども。


 封建制が廃れて久しい日本で、知らない間に新時代の風が吹き抜けていた。


 四月はまだ寒いね。


 「あの……」

 「白馬の王子様を待っている」

 「今の時代に来るのは、さもしいおじさんだけだと思うよ……」

 「そんなことはない。あざとかわいい子は皆に人気」

 「いや……美しくて凛々しい子の方が、今の富裕層には人気なんよ?」


 これはネットでいっぱい調べたから、恐らく確実な情報だ。


 統計学で出てるんだから、間違いはない。


 玉の輿を狙うのに余念はない。


 ……というより、どうしてこんな下衆な話になっているのだろう。


 おかしいな。今日は入学式。初々しい気持ちで家を出たはずなのに。


 「……じゃあ不良に拾ってもらう。濡れそぼった目を向ければイチコロ」

 「昨日も今日も快晴だよ?」

 

 この状況では一番合わないよ。


 不良と猫が出会うのは雨のじめじめとした場所なんよ。


 こんな快晴の下、華々しい桜花咲く場所では決してあらへん。


 「……じゃあどうすればいい?」

 「健康で文化的な最低限度の生活を営もう!」

 

 社会に強い私は、強さSSSランクの憲法を振り翳して彼女の手を取った。


 「どこ行くの?」

 「学校だよ! もう目の前だから!」

 「……」


 猫に擬態した女の子が逡巡した。


 「――学校は明日から」

 「……え?」


 観測した私は固まった。


 

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