優しい悪魔は忘れることを許さない

@matuhe

第1話

冷蔵庫のスライスハムをふと手に取る。

いつ買ったかも思い出せないが、賞味期限はとっくに過ぎている。

なんとなく頭では分かっているのに、わざわざ賞味期限をじっくりと確認する。

目から脳に これは、捨てなければいけない

と伝達され、私はやっと生ごみ入れにそれを捨てる。手から離れたそれを。ゴミ箱に入ったそれをまるで自分の様だとふと思う。

彼にとって私はこれと全く一緒。早く捨てなければと分かっていながら、なんとなくずっと冷蔵庫の片隅にあったもの。

そんな思いが頭を巡って思わず目を逸らした。

今はまだ生きなければいけないから

だから真っ直ぐ見つめてはいけない。

私の心の真ん中にずっしりと座り続けた男にとって、私はハムだったんだと、いつか笑い飛ばせる日なんてくるんだろうか。

そんな未来が来てくれることが1番の望みだと言い聞かせる。

意地になった。

感情的になった。

あんなに仲良しだったのに最後に沢山言い合った。

私は彼の1番にはなれなかった。

分かっているくせに、分かっていたって1番の望みはあの優しい悪魔が帰ってくること。

そっとまた冷蔵庫の片隅を甘んじて受け入れたいのだ。

そう思ってしまう、自分のどうしようもない女の部分が醜く、歪んで見えた。

幸せになるのになぜ男が必要なんだろうか。

あのなんとも言えない彼に触れた時に湧き上がるような幸福感を。

微笑みあった時間を。

たわいもないやり取りを。

捨てられたハムの癖に忘れられないのだ。


私は命を削る恋をした。


母であり

違う男の妻であるのに。

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