レンアイノート

はじめアキラ

レンアイノート

「レンアイノートって知ってる?」

「い?」


 塾の眠たくなるような授業が終わり、さあ帰ろうと行った時。唐突にマキちゃんが言い出したので、私はちょっと変な声を出してしまった。


「何突然、藪から棒に。え、マキちゃんそういう占い好きだったっけ?」


 私が尋ねると、マキちゃんは薄い胸をえっへん!と張って告げた。


「占いが好きというより、流行ってるモンが好き!そしてみんながそういうものをやって一喜一憂してるのを見て、影でこっそりニヤニヤしてるのも好きー」

「おおう、相変わらずいい性格してるぅ……」

「それがあたしだかんね!でもってこれをナツミに教えたのも当然、ナツミが知って実行してくんないかなーって期待があるからでして」


 小学校のクラスメートにして塾も一緒の彼女は、生まれてくる性別を若干間違えたのではと思うほど悪戯好きの少女である。今度は何を思いついてくれたのやら、と思いつつ話を聞いてあげる自分は相当律儀なことと思う。


「流行してるつっても、私聞いたことないよ?レンアイノートなんて」


 私が返すと、そりゃそうだよね!と頷くマキちゃん。


「流行してるのは隣のクラスだもん。なんかね、片思いが実るノートってのがあるんだって」

「何その、まるで死神のノートみたいなのは」

「そんな怖いもんじゃないって。ていうか、そのノートを自分で作るの。やり方簡単だよー教えてあげるー」


 お節介とはこのことか。彼女は私が訊いてもいないのに、その“片思いが実るレンアイノート”とやらの書き方を教えてきたのだった。目論見は明白である。マキちゃんは私に、そのノートを作って欲しいのだ。何故なら、私が好きな相手はとっくにバレているのだから。


「ナツミちゃんもやってみ?」


 マキちゃんはニヤニヤしながら、私の肩をポンッと叩いた。


「応援してるからさー。タケミ君との仲♪」

「ちょっとマキちゃんっ!」

「あっはっは!」


 タケミ君。それは、私の去年のクラスメートにして、去年からひっそり片思いをしている相手だ。今年は別のクラスになってしまったが――それでも、思いが途切れたわけではないのである。

 私は慌てて周囲を見回した。幸い、タケミ君の姿は近くにはない。彼も塾で同じクラスなのだ、聞こえていたら恥ずかしいなんてものではないのである。


「もう、バカ!マキちゃんのバカー!」


 私は涙目になって、ちょっと控えめに叫んだのだった。




 ***




 お腹が弱い私は、しょっちゅうトイレに籠もる羽目になる。塾に行ったその日もまさにそうだった。夏の方が冬よりも駄目なのだ。理由は単純明快、冷房で冷やされるからである。そして悲しいかな、長くトイレに籠もりすぎてうっかり電気を消されてしまうなんてこともしばしばあり、この日もまさにそれだったのである。


「あ、ちょっと!」


 その日最悪だったのは、自動点灯のトイレの電気のみならず、廊下の電気まで消されてしまったっぽいことである。お陰で、私は一瞬真っ暗なトイレに取り残される羽目になってしまった。急いで用を済ませて手を洗って外に出ると、再びトイレの電気はついたものの、塾の廊下は電気が消されて真っ暗の状態である。

 私はお世辞にも、暗闇やおばけが得意な方の質ではない。警備員か職員か知らないが、消すなら生徒が残ってないか確認してからにしてくれないだろうか。私が心の中でぶつぶつと文句を言っていると。


「あれ?」


 真っ暗闇の中。男子トイレの前で、何かが光っているのが見えたのである。それは、文字だった。どうやら誰かのノートらしい。光るペンで書いてあったせいで、そのタイトルだけが光って見えたのだ。

 まさか、と思って拾い上げた私は気づいてしまった。光るペンで書かれたタイトルは、“レンアイノート”。そして、その裏表紙に書かれている名前をトイレの明かりで照らして確認してみると――。


――こ、こ、これ!これ!よりにもよって、タケミ君のノートだぁぁ!?


 私はその場で、ひっくり返りそうになったのである。



 ***




 既に本人は帰ってしまっているようだし(多分トイレに寄って、その時落としてしまったとかそんなところだろう)、内容を考えると塾の職員に預けていくのも気が引ける。何より私自身が、中身が気になって仕方ない。

 そんなわけで、悩みに悩んだ末私はノートを持ち帰ってしまっていた。ぼんやりしたまま風呂から上がり、自分の部屋で一人、ノートとにらめっこを始めてどれほど時間が過ぎただろう。明日、学校にこのノートを持っていき、隣のクラスに行ってタケミ君に何食わぬ顔で返す、それだけだ。前のクラスではそこそこ仲良くしていたし、話しかけるのも問題はない。隣のクラスで流行しているおまじないなら私が知らなくてもおかしくないだろう。レンアイノートなんか知らないし中身も見てません、そんなふりして普通に返せばそれでいいのだ。

 問題は。


――ど、ど、どうしよう。中身気になる、めっちゃ気になるよう!


 レンアイノート。作り方は簡単だ。文房具店で、ピンク色の大学ノートを買ってくる。そして、暗闇でも光るペンでタイトルに“レンアイノート”と書き、裏表紙に自分の名前を別のペンで書く。そして、まっさらな中身のどこかに自分の名前と並んで、好きな相手の名前を書き、こう唱えるのだ。


『コイガミさま、コイガミさま、願いを聞いてください!○○と、両思いにしてください!』


 たったこれだけ。大学ノートもペンも高くはないし、小学生でも十分にできるおまじないである。ノートを誰かに見られたら効力がなくなるなんてこともない。

 問題は。レンアイノートは知っている者が見ればすぐ“そう”だとわかってしまうこと。それから、中身をパラパラとめくっていけば、作成者とその作成者が好きな人間が誰なのかすぐわかってしまうということだ。

 このノートの作成者がタケミ君であるのは明白。つまり、このページを捲ればタケミ君が好きな相手がわかってしまうというわけで――。


――ああああ!でも、でも!そんなの私が勝手に見ていいものじゃないし!ていうか、もし他の女の子の名前が書いてあったらショックなんてもんじゃないし……でもでもでもでも、滅茶苦茶気になるよどうしようううう!


 タケミ君。

 隣のクラスのムードメーカーで、去年の運動会の立役者。うちのクラスが優勝できたのは、アンカーを勤めた彼がごぼう抜きを達成したからに他ならない。風を切って走る彼は、小柄なのにそれを感じさせないくらい“大きく”見えて――とても格好良かったのである。気づけば誰よりも大きく拍手をしてしまっていた。歓声も煩かったかもしれない。明白すぎるほど明白な、初恋の瞬間だったのである。

 彼は誰とでも別け隔てなく喋る方だし、きっと美人でも何でもない私のことなんて大して印象にも残ってないだろう。見込みなんてきっとない。それでも、浅ましい期待をしてしまうのはどうしようもないのである。

 もし、ここに自分の名前が書かれていたら。

 私はレンアイノートなんてものに頼ることなく、思いを遂げることができる。堂々と、彼に告白してもうまくいくことになるわけで――。


――でもでもでも!そんなうまくいくわけないし!ショック受けたくないし、ていうかプライバシーの問題っ……!


 結局。

 私はもだもだと電気をつけままベッドで転がり続けることになり、やがて部屋に電気がついていることに気づいた母に“いつまで夜ふかししてるの!”と大目玉を食らうことになるのである。

 電気を消しても、私はノートが気になって気になってどうしょうもなく。結局、その夜は殆ど一睡も出来ずに終わったのだった。




 ***




「これ、昨日塾で拾ったの。タケミ君のでしょ?」

「あ、ありがとう……って」


 俺は、自分の前に立ったナツミの顔をまじまじと見た。隣のクラスまで俺が落としたノートを拾って渡しに来たという彼女の目の下には、明らかにクマができていたからである。


「……大丈夫?顔色なんかすげーけど」


 俺が尋ねると、彼女は露骨に肩を跳ねさせて、ちょちょちょっとね!と分かりやすく動揺してみせた。


「ノートの中身が……じゃなくて!昨日はつい、好きなゲームの実況動画見て夜更しして怒られちゃって!寝不足なんだよね、バカだよね私っ!」

「そ、そうなのか」

「もう続きが気になって気になってつい!ついね!と、とにかくそれだけだから。じゃねっ!」


 そのままどっぴゅー!と竜巻を起こす勢いで走り去っていく少女。俺はぽかーんとしながら、廊下に一人ノートを持って立ち尽くすしかない。


「……なんだよ」


 今の反応。これは明白だ。


「中身見てねーのかよ、バカ」


 せっかく、マキに頼んで仕掛け人をやってもらったのに。レンアイノートについてナツミに教えさせた上、彼女がトイレから出てくる直前にわざとノートを廊下に落として行ったのに。とんだ意気地無しがいたもんである。


――まあ。こんな小道具に頼った時点で、俺も人のこと言えねーかぁ。


 残念ながら。好きなあの子と並んで歩けるようになるのは――まだ当分、先のことであるらしい。

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