6月9日はきっと晴れるから
結城芙由奈
第1章 1 隣に越してきた男の子
夜9時―
バリーンッ!!
今夜も築35年の賃貸アパートに少年の悲鳴と何かの割れる音、そして彼の父親の怒声が響き渡る―。
「てめえっ!!ふざけるなっ!このクソガキがっ!」
「ごめんなさい…ごめんなさい…もうしないから…」
悲しげな少年のすすり泣きの声が聞こえる。
薄い壁1枚を隔てただけの安物件は隣の声が筒抜けだ。父親の怒声と彼の悲鳴が聞こえてくるだけで、私の心臓は苦しくなってくる。何故なら私も彼と同様、親から虐待を受け…最終的に児童養護施設で育った人間だから。
「大丈夫…大丈夫よ、たっくん。お姉ちゃんが…今、連絡入れて上げるから…」
今、たっくんは間違いなく父親から虐待を受けている。緊急性を帯びているから、児童相談所では駄目だ。警察にすぐに連絡を入れなくては…。
私は震える手でスマホをタップした―。
トゥルルルル…
『はい、警察です。どうされましたか?』
男性警察官の声が受話器越しから聞こえてくる。
「助けて下さい!お隣の部屋で…10歳の男の子が父親から虐待を受けています!お願いですっ!すぐ助けに来て下さいっ!!」
『分かりました。場所を教えて下さい!』
「はい、場所は…」
****
30分後―
パトカーの音がこちらに向かって近付いてくる音が聞こえてきた。私はそっとカーテンを開けて外を覗くと、すでにアパートの前の道路に1台のパトカーがパトランプを光らせたまま停車し、夜の住宅街を赤く照らしている。近所の住民達も突如として現れたパトカーに興味があるのか、窓を開けて覗いてみたり、中にはわざわざ外に出て様子を伺っている住民たちもいる。
良かった…この様子だと、たっくんの父親には誰が通報したのか分からないかもしれない…。
既にたっくんへの暴力は治まっていはいるものの、きっと部屋の様子で父親が暴れていたと警察は判断してくれるだろう。どうか…彼を今夜は警察が連れて行ってくれないだろうか…?
たっくん…お姉ちゃん…貴方を助けてあげられたかな…?
私はスマホを握りしめ、たっくんのことを思った―。
****
私とたっくんが出会ったのは3月も終わりの頃の日曜日だった。
その日の朝は、私の住む古い賃貸アパートの前に大きな引っ越しトラックが1台停まっていた。
洗濯物を干すためにベランダに出た時にその事に気づいた私はつい、野次馬根性で少しだけ引っ越しの様子を眺めていた。
「へ〜…誰か引っ越ししてくるのかな…?でも物好きだな…こんな古いアパートに越してくるなんて…一体どんな人が越してきたのかな…?」
でも私のようにお金が無い人かもしれないし…。
「ま、別にいいけどね」
そして私は洗濯物を干し始めた―。
*****
洗濯を干し終えてしばらくすると、妙に外が騒がしくなってきた。
「おーい、気をつけて運んでくれよー」
「階段せまいからな〜」
引越し業者の人達と思われる会話が外から聞こえてきた。
「もしかして、お隣に引っ越してくるのかな?」
このアパートは2階建てで、8世帯が入居出来るようになっている。私の部屋は2階の一番角部屋で、右側が空き部屋になっている。どうやらそこに新しく住人が入って来るようだ。
ドカドカッ
ドスンッ
ドサッ
隣の部屋に物が運ばれて床に置かれる度に、私の部屋にまで振動が響き渡って来る。
「それは洗濯機だから慎重に運べよー」
「足元気をつけろよ!」
歩き回る足音に引越し業者の人達の声がうるさくて何だか落ち着かない。
「う〜ん…出かけよう!」
上着を羽織ってショルダーバッグに財布とスマホを入れると玄関の鍵を持って外に出た。
すると狭い通路は沢山の荷物と大勢の引越屋さんで溢れかえっている。
「あ、すみません。通れますか?」
直ぐ側にいたユニフォーム姿の男性が声を掛けてきた。
「あ、はい。何とか通れそうです」
狭い通路を通り抜けて、鉄筋の階段をカンカンと降りて行くと階段の近くに男の子が座っている姿が目に入った。
子供…?近くに子供なんか住んでいたかな…?
少し少年の事が気にかかったけれども、私はその場を後にして駅前の喫茶店を目指して歩き出した。
その少年がお隣に引っ越してきた男の子だと言うことは後ほど知ることになる―。
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