17

まもり ちとせ

様子がおかしい

 スポーツが好きな息子は、おもいっきり好きな競技ができる県外の高校へ進学し、寮へ入った。朝夕食事が付くということで、私は安心していた。

学校へは、寮にバスが時間でくるので、それを利用する。

時間で出発するので、遅れたら自力で数キロ先の学校へ行くようになる。


 息子は、寮で出てくる食事のほとんどが「口に合わない」と寮の食事は食べずコンビニで買ったり、小さな調理器を買って自炊をしていた。寮では以前にボヤがあり、室内での調理は禁止。時々、抜き打ちで室内チェックがあるため、調理器具は隠していた。私はそれを知らず、月に1回寮へ行ったときには調理器具を狭い台所に飾ってあげた。


 掃除に行くと言いながらも、部屋はいつもきれいにしてあるから掃除はせずに、必要であろう食材などを買っておいていたり、前日に焼いたシフォンケーキを置いてくるのが楽しみだった。学校の時間が不規則で、行っても会える時間は数分という日がほとんど。片道4時間半かけても顔が見られるだけで良かった。

来なくていいと言われるけれど、連休が取れる時はできる限り行った。


 後日、それも卒業後、来なくていいって言うのに来るし、片づけている調理器具を毎回出されるからしまうのが面倒だから嫌だったと言われた。その時に言ってくれればいいのに。ルンルンと鼻歌歌って飾っていた私。


 高校2年生17歳の冬。

看護師をしていた私は、仕事中携帯は持たず、昼休みにしか携帯を見ない。

ある日の昼休み。携帯を見ると、朝から息子の学校から着信が何件も入っていた。

留守電には何度も「折り返し電話ください」と。すぐに折り返し電話をすると

「様子がおかしいので、来てもらえますか。いつもの様子ではなく、演技をしているわけでもなく、とにかく様子が変です。今、病院へ行っています。診てもらっていますので、来てもらえますか。」

 

ドキドキと激しく心臓が高鳴り、手が震えた。時計を見ると12時過ぎ。


息子のところへは、車では4時間半。新幹線でも、飛行機でも行ける。

「14時に出る飛行機があるので、それで向かいます。」と伝え、職場の上司へ

息子が体調を崩しているようだ、すぐ来て欲しいとの連絡だったので、今すぐ行かせて欲しい、休ませて欲しいと伝えると、上司は「とにかく気を付けてすぐに行け。」と快諾してくれた。

震えながら着替えた。

タイムカードがなかなか入れられないほど震えた。


 裏道を使って、かなりのスピードを出して空港へ。よく捕まらなかったと今となっては思うほどスピードを出した。

平日で飛行機の席は取れた。搭乗し、携帯の電源を切っている間に何回か先生から着信があった。到着してから、折り返すと

「脳炎かもしれないと言われた。入院だそうです。〇〇病院まで来て下さい。」

空港からタクシーに乗り、〇〇病院へ向かう。手も身体も震える。

ただただ、亡くなった祖父母の顔が浮かび

(おじいちゃん、おばあちゃん、お願いします。守ってください。大事なあの子の命を守ってください。)祈りながら向かった。

 

 16時前に病院へ着くと、担任の先生と寮母さんがいた。

担任の先生が朝からの状態を伝えてくださった。

息子は、朝の登校バスにフラフラとして乗ってきた。

やっと歩いているような状態で、隣に座った子が、いつもと様子が違うと先生へ伝えてくれた。学校へ着いてから、バスを降りるのにもフラフラ。

自力で立つのがやっという状態。会話が成り立たず、具合悪いのか聞いても返事は

まったく違う内容。立てないから座らせているが、立ち上がろうとして転ぶ。

支離滅裂な内容で話し出すということで、病院へ行かせることにしたと。

 救急車ではなく、先生の車で行ったので、普通の外来患者として順番で待っていたが、いざ、順番が来て診てもらうと先生方がバタバタとし始めて

「救急車で来てもよかった。」と言われたと。脳炎の疑いがあり、すぐに対応しないといけない症状だったと。入院と言われて、お母さんに電話しました。と・・・


 主治医から

「ヘルペス脳炎の疑いがあります。朝の8時ころから支離滅裂な言動の症状が出始めて、12時過ぎから治療しています。点滴治療をしていますが、正直あまりいい状況ではありません。今夜が一番あぶないので、とにかく連絡がすぐにつくようにしていてください。意識が朦朧としてきています。今後、意識が戻らないことや、戻っても一生寝たきりの可能性が高いです。入院はかなり長くなると思います。県外からきているようですが、息子さんだけ入院させて地元に戻りますか?仕事ありますよね?」


長期入院となると、親はあまり面会に来ないケースもあるとのことで、そのように聞かれた。


「いいえ、息子が入院している間はこちらにいます。仕事はその間休みますので、そばにいます。とにかくよろしくお願いします。」そう答えた。


 付き添いを希望したがそれはできず、14時から19時までの面会時間内で来るように言われた。それ以外は、携帯をそばに置くようにということを再度説明された。


 ナースステーション隣の観察室にいる息子にやっと会えた。

閉眼していたが、声を掛けると目を開けて、ギョッとして目をクリクリとして私を見た。なんでいるの?って顔をした。

「具合悪かったのね。ごめんね。気づかなくて。お母さん今日から寮に泊まるから。しばらく入院するんだって。入院の準備とかしてくるから、今日は帰るね。

明日、面会時間に来るから。」頭をナデナデすると目を閉じた。

左頬から左肩にかけて、線状の擦り傷があった。

顔が赤くて、すごく熱かった。頭も首も胸も腕も全身熱い。看護師さんに、

「39℃近くありますか?」と聞くと

「そのくらい熱あります。」と言われた。アイスノンはホカホカ。

看護師さんにアイスノンを交換してもらい、入院手続き等の書類を受け取り、病院を出た。


 寮母さんが寮まで車で送ってくれた。

車の中で、寮母さんが、息子が具合悪くても学校に行こうと部屋を出てくれたからバスに乗ってくれたから気づけた。これで、部屋から出てこなかったら、誰も部屋に夕方まで行かないし気づかなかった。なにもかも、いい方向に行った結果だったと教えてくれた。

「ありがとうございました。」感謝しか言葉がでなかった。


 寮に着くと、寮から病院までの地図と、寮の自転車を貸してくださった。明日から使ってねと。寮費を支払ってもらっているから、朝夕のご飯を私が食べて良い事、追加費用などはないから退院まで寮生活をしてよいと言って下さった。

周りの方の温かさがありがたかった。


 息子の部屋に入ると、いつもきれいにしていた部屋がものすごくごちゃごちゃとしていた。息子らしくない散らかし様だった。散らかすというより、棚や引き出しなどに入れてあるものすべてを出し切ったという感じ。洋服も小物も本も全部。

 

 この部屋を見た担任が、いつも部屋がこうなっていると思った様子だった。

毎月来ているが、掃除する必要がないくらいきれいにしていた事、小さいころから部屋をきれいにする性格であった事、こんな風にするのは息子らしくないと伝えた。

しかし、明らかに信じていない様子が私には伝わった。

 

 息子がいつも使うリュックサックが見つからない。今日は手ぶらで登校バスに乗っていたとのことで、前日、学校に忘れているかもしれないと伝え、もしあったらその中にある財布に保険証が入っているので、それを使いたいと伝えた。

 

 トイレを見ると、左側の壁に直径10センチ程度の穴が開いていた。

息子の左頬から肩の擦り傷はここでできたものかも・・・と思った。すぐに寮母さんへ伝え、修理費用は出すこと、それまでは私流に簡単に穴を塞ぐ許可をもらった。


 息子は具合が悪い中、トイレで転んだのだろう。ちょうど肩のあたりの高さに穴がある。意識朦朧としている中で、引き出しの中のものを出していたのかもしれない。具合悪くても、連絡せず一晩我慢していたのか・・・


部屋の散らかるさまが・・・後悔する自分の気持ちと同じようだった。

気づいてあげられなかった。

電話も忙しいと出てくれないけど、しつこく電話すればよかった。

LINEをしつこく送ればよかった。あれすれば、これすれば・・・

あとからあとから思いがあふれてくるのに、すべて行き場がなくて転がる感じ・・・

何を思っても、息子の具合が悪くなっている現実は変わらない。


でも、涙は出なかった。


携帯着信音量を最大にして、テーブルに置いた。

部屋の片づけをしながら、入院に必要なものをバッグに入れて玄関に置いた。


思い浮かぶ神様、仏様に祈った。


この子の命だけは助けてください。

一つ、命を持っていくなら私の命を持って行ってください。

この子だけは助けてください。どうかお願いします。助けてください。


真っ白な霧の中にいるような、現実だけれど、現実離れしたような感覚。

寮にいるけれど、どこか別のところに来たかのような感覚。

感じたことのない、初めての空間の中にいるようだった。


さっき見た息子の真っ赤な顔は、いつもの扁桃腺炎の高熱とは違う顔だった。

でも、熱は小さいころ出していたから、いつもの熱で終わるかも。

息子は大丈夫。

絶対大丈夫。


でも、神様、助けてください。

おじいちゃん、おばあちゃんお願いします。この子を助けてください。


祈りだけで心も頭も胸の中もいっぱいにした。

全身で祈った。


部屋の電気を消せなかった。明るい中にいたかった。

時計の針が動いているように思えなかった。

いつまでもいつまでも針が動かず空が黒かった。


カーテンの向こう側が明るくなることが、こんなに待ち遠しいことはなかった。

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