89『言うだけ言ってみる方がいいこともあるというお話』

「ただいまー」

「こんばんは」


 おかえりなさい、と言いながらリビングからエプロン姿のママが出てきた。いつものごとく家まで送ってくれた百々ももちゃ…りーちゃは、玄関で少しの間ママと話をしていたが、この後まだやることがあるとのことで、家には上がらずにすぐ帰ってしまうらしい。

 りーちゃに今日のお礼と送ってもらったお礼を言ってママが用意していたお菓子を渡し、ついでに頭を撫でてもらってから手を振って見送る。ママから莉緒りおさんと何かあった? と聞かれたけど、よく分からなかったのでとりあえず「?」マークを浮かべておいた。今日はコラボ配信だったし、何かあったかと言えばいろいろあったけど…たぶんそういう意味じゃなさそうだし。


「後で莉緒さんに直接聞いてみようかな…?」

「それよりお腹減った!」

「はいはい」


 まだ少し準備に時間がかかると言われたので、その間にささっとお風呂に入ってしまうことにする。髪を洗い、身体を洗い、湯船に浸かって自分の爪を見る。あの綺麗なネイルはすっかり落ちて、今は配信の前より綺麗になったオレ自身のいつもの爪だけがあった。

 りーちゃ曰く、凝ったネイルは身バレの危険があるとのことで、配信が終わった後に落としたのだ。それにオレの場合学校もあるからな。正直すっっごく惜しかったが、りーちゃが次はネイルチップ? なるもので、今回のあの流れ星のネイルを少しアレンジして新しく作ってくれるというので、渋々納得したのだった。


「〜〜♪」


 すっかり日課というか癖になっているボイトレと風呂オケをしながら、今日あった出来事を振り返る。ほのかちゃんとは推し談義ができたし、百々ちゃには存分に甘えられたし、それにお土産に配信で使ったジェルネイルセットまで貰ってしまった。まぁネイルセットは持て余しそうなので後でママに預けるとして…正直、陰キャぼっちだった頃からは考えられないほど楽しい日だった。

 Vtuberになってからは忙しいし面倒なことも増えたけれど…こうしてキラキラした、楽しいと思える日が本当に増えた。みんな年上ではあるけど友達もできたし、話したいことを話したい時に聞いてくれるリスナーさん達までいる。


 TSして、そしてVtuberに…よいあかりになって良かったと、毎日のようにそう思う。


 そんなことを考えながら歌っていた歌を区切りよく歌い終わったところで、ママから「ご飯だよー」と呼ばれたのだった。



 夕食を終えて、ママに今日の配信を見てもらった。普段は自分の配信をママに見せるのは恥ずかしいから、むしろ絶対に見ないで! と言っているのだが今回ばかりは別だ。ネイルの話ならママも詳しいだろうし。あと何よりオレがやってもらったネイルを自慢したい! 実際、りーちゃがジェルを塗ってくれている場面や、完成したネイルを見せている場面なんかはママも物凄く見入っていたようだった。

 そして話の流れで貰ってきたネイルセットをママに託して自分の部屋に戻る。きっとオレよりも良い持ち主に恵まれてネイルセットくんも喜んでいることだろう。さて、まだ寝るには早いし、何より明日は休みだ。誰かしらの配信を漁ろうかとPCをつけようとしたところで、ブーブーとどこからかバイブ音がしていることに気がついた。


「………」


 つい意味もなく息を潜めてしまう。おそらく通話の呼び出し音だろうけど…相手はオレのマネージャーの泉水いずみさんか、はたまた神無月かんなづきさんか。うーん正直見て見ぬふりをしたい感満載だが、もし仄ちゃんや百々ちゃだったりしたら申し訳ないし…。

 今日の良い気分が台無しにならないことを祈りつつ、脱いだ上着に埋まっていた会社のスマホをおそるおそる取り出す。表示されている名前は…永遠とわさん!? …出ないわけにはいかなくなってしまったので深呼吸を挟み、そして推し達のミニぐるみをぎゅっと抱きしめて精神を落ち着けてから通話に出た。


「は、はい…」

『私、メリーさん。今新宿駅で迷子になって途方に暮れてるの…』

「ええ…?」


 やはりこの人は別に配信でなくともこんな感じらしい。コメント欄があったならいろいろとツッコミが入っていることだろう。もう少しこの茶番を聞いてみたい気もしたが、とりあえず用件を尋ねてみることにした。我ながら通話経験の高まりを感じる。すごいぞオレ!


「そ、それで何のご用でしょうか…と、永遠さん…」

『バレてしまってはしょうがない。個人的には新宿駅より渋谷駅の方が訳が分からない構造をしている気がする永遠遥歌はるかただいま参上』


 ちなみに池袋もなかなかの強敵、と言う永遠さんに、「そ、そうですか…オレもよく迷子になります…」とコミュ力高め(当社比)な回答を返していると、永遠さんが通話の理由を話し始めた。


『本日は、先日行われましたツイスターゲームの勝利特典のご案内に参りました。どんなお願いでもわたくし永遠遥歌が叶えられることならなんでも叶えます。現金からソロライブ、ソロ配信、そしてこの寒空の下ソロキャンプまで何でもどうぞ。さぁ願いを言え…』

「えっ、あ、ああ…!」


 いきなりの話に混乱しつつも、ツイスターゲームという言葉でそんな約束あったなぁと思い出す。そ、ソロライブ…! これはソロライブしか…いやでもさすがに迷惑かもだし…無難に何かグッズにサインをしてもらうとか、そういうのに…。


「あ、あの…!」

『フフ……下手だなあ、あかりくん。下手っぴさ……! 欲望の解放のさせ方が下手…!』

「ま、まだ何も言ってないですけど…」


 どこぞで聞いたような物真似を始める永遠さんについツッコミを入れてしまった。しかしそれこそ彼女の望んでいた反応らしく、懲りるどころが得意げになってさらに続ける。


『あかりくんが本当に欲しいのはあかりのためだけに行う3Dソロライブ…! そして私とのデュエット…! だろ…?』

「ソロライブはめちゃめちゃ見たいです…! でゅ、デュエットは考えさせてください…!」

『えー…まぁあかりのお願い事だししょうがない…分かった。今回の勝利特典は「あかりの為だけに行う3Dソロライブ〜永遠遥歌といっしょ〜」で。諸々の準備が完了したら連絡する。あと、獣王ししおう百々さんに結婚式では絶対花嫁を攫いに行くからと伝えておいて』

「結婚式?? えと、は、はい…?」

『では…じゃなー』


 最後に宵あかりオレのやたらハイクオリティな物真似をして通話を切る永遠さん。突然の最推しからの通話…何とか乗り切れたらしい。オレのためだけの3Dソロライブって言ってたけど、まさか本当にやってくれるんだろうか…? 機材とか場所とか永遠さん自身のスケジュールとかいろいろあるからかなり難しそうだけど…。


「でも永遠さんだしなぁ…」


 やりかねない気がする。そして神無月さんも面白がって許可しそうな気がする。だってオンライブだし。…一応叶ったときのために今からライブ用の応援グッズの準備をしておくとしよう。

 フェスの時に神無月さんから貰って、さらに自分でも買ったライブ用ペンライトを箱から取り出して二刀流で装備し、動作確認ついでにフェスの3Dライブのアーカイブを流し始めたオレだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る