本編

1 『自分の胸はどれだけ大きくてもそれほど興奮しない』

 平凡に、平和に。

 このオレ、星宮ほしみやひかるという人間はごく普通の家に生まれて、ごく普通に生活して、ごく普通に目立つ事なくこの十六年間を過ごしていた。


 ら。


 ある朝、目を覚ましたら女の子になっていた。


「うぇえっ!?」


 服の上からでもはっきりと分かるレベルでボリュームのある胸の膨らみに、さらっさらの綺麗な黒髪。

 顔小さいし、目ぇ大っきいし、まつ毛長いし…顔のパーツはもはや男だった頃の面影なんてまったく感じられないほど変わってしまっている。

 男だった頃なら「お付き合いしてもらいたいけどオレじゃ釣り合わねぇし無理だわ」と投げてしまうくらいの美少女がそこにはいた。


「あさおん…ってやつなのか」


 失った代わりに得たものおっぱいの感触をむにむにと確かめながらそんなことを呟く。

 この日、オレは創作の中にしか存在しないと思っていた『TS』と呼ばれるジャンルが、この世には本当にあるのだということを身をもって知ることになった。


 そして話はこれだけで終わらない。


「ここ…本当にオレの部屋か…?」


 家具の配置こそ記憶と一致しているが、勉強机は白とピンクというオレの知らないカラーリングをしているし、敷いてあるカーペットもふわふわピンクで間違いなくオレが買ったものじゃない。

 端的に言えば、部屋全体がまるで女の子の部屋みたいに変わってしまっていたのだ。

 試しにタンスを開けてみれば、中には女性用の下着までしっかり入っていた。特に深い意味はないけど、DとEは一つ差のはずなのに急に桁が変わった感があるとオレは思う。特に深い意味はないけど!


 で…急いで母親にこの事を話してみれば、母親はオレが元から女だったとか言い出して事態は更に混乱を極めることになる。

 当然オレは「そんなわけない! 自分の息子の顔も忘れたのか!」と必死に反論したが分かってもらえるはずもなく。


 結局、母親の今まで見たこともないような心配そうな顔を見たオレは、頭がおかしくなったと思われて妙な施設か病院に連れて行かれるより、現状を受け入れた方がマシだと安全第一の判断を下すことにしたのだった。


 こうしてオレは十六年間連れ添った男の身体に今生の別れを告げたわけである。


 さて。咄嗟だったのでとりあえず反論こそしてみたものの、案外オレは男だった頃の自分にそれほど未練がなかったらしい。


「これからは人生リセットして美少女として生きるっ!」


 ベッドの上に立ちながらそう高らかに宣言すると、オレはこれから待っているであろう華やかな未来に思いを馳せる。

 ちょうど今は春休み中だ。これが終われば高校のクラス替えがある!  …言ってなかったが、オレはこの高校一年生という時間をほぼボッチで過ごした。というか、小学校高学年くらいからまともに友達ができた記憶がない。


 だがそんな生活もこれで終わりだ。


 進級してクラス替えすれば友人関係なんて容易くリセットされるもの。そして今のオレはどこに出しても恥ずかしくない美少女!

 この溢れんばかりの美少女ぢからを持ってすれば不可能はない! 勝ったな! 飯食って風呂入ってくる!


 そして迎えた新学期初日!


「お前またクラス一緒かよ」

「なんかあんまり前のクラスと変わらねー」


「一緒のクラスになれて嬉しい!」

「私も! 知ってる人いなかったらどうしようって思ってたから!」


(う、嘘だろ…!)


 右見ても左見ても…そこかしこで既に仲良しグループが出来上がっているではないか。


(えっ、進級してクラス替えしたら友人関係なんて容易くリセットされて…えっ?)


 ま、待て待て! 焦るな、まだボッチ確定と決まったわけじゃない!

 誰かに…できれば頑張って女の子に話しかけてみよう! きっとそう邪険には扱われないはず…!


「ぁ、あの…」

「お前ら! いつまで騒いでるんだ! 始業式が始まるからさっさと体育館に移動しろ!」

「だりぃなー」

「これマジで一番要らない時間だろ」


「行こっかー」

「うんー」

「ぁぅ…」


 意を決して自分から話しかけに行こうとしたタイミングでゴツい体育教師が呼びに来やがった。

 オレが今のアクションにどれだけの精神力を消費したのか分かってるのか、このゴリラ教師! 自分から話しかけに行くなんて高等技はそう何度もできるもんじゃないんだぞ!?


 始業式への文句を言いながらも連れ立って楽しそうに教室を出て行くクラスメイト達。

 対照的に一人静かに死んだ表情で教室を出るオレ。


 一年ぶり二度目。無事連続記録達成だ。


(早くお家に帰りたい…)


 美少女になろうが陰キャは陰キャ。

 別にいきなりコミュ障が治るわけでもない。


 自分の考えがどれだけ甘いものだったのか噛み締めながら、オレは一人、とぼとぼと体育館へ向かった。



 始業式が終わってクラスへ戻ってきた後は、新しくなった担任の教師から挨拶や軽い連絡事項があってそのまま解散となった。

 まだ残ってわいわいと話している生徒も多い中、オレは新しい教科書でずっしりと重くなった鞄をなんとか持つと、逃げるようにクラスを後にする。


 もしかしたらこのまま残っていれば、この後どこかへみんなで遊びに行こう! とかクラスカーストトップの眩しい方々が提案したのかもしれないが…今日はもう疲れてしまった。


(さっさと駅まで行って一番早い電車で帰ろう…)


 まだクラスに溜まってるやつも多いから駅で鉢合わせしたりせずに済みそうだし…。


 こんな具合に期待していた新学期初日は呆気なく幕を閉じることになる。

 あと二年、貴重な青春ゾーンど真ん中が灰色まみれになることが確定した瞬間であった。



 あの歴史的敗北から時間は経ち、夜。

 オレは今日あった出来事を部屋で一人思い返していた。


「はぁ~~~~~~…」


 いや、正直こうなる気はしてたんだよね。

 でもTSなんてミラクルが起きるんならさ、オレに友達ができるくらいのことは平然と起こったって良さそうなもんじゃん?

 ほんと誰だよ、クラス替えしたら人間関係リセットされるとか言ったやつ。まったくリセットされてなかったじゃねぇか。ちゃんとリセットされろよ! でオレのところに来てくれよ! いきなり来られたら来られたでキョドるかもしれないけどそれも大目に見てくれよぉ!!


 まったく…これじゃ美少女になった意味がまるでない。というか、こうなる前と何も変わらない。

 強いて言えば動画見てるときとか、画面に自分の顔が反射して写っても精神力を削られなくなったことくらいなものだ。


「…にしても、マジで誰もオレが男だったことを覚えてなかったな。特に周りから何も言われなかったし」


 ま、何も言われなかったどころか声の一つも掛けられなかったんですけどね!

 …自虐はこの辺にして少し真面目な話をすると、どうにもこの世界、オレがいた世界とは別の並行世界っぽいんだよな。


 きっかけは珍しくテレビを見ていた時だった。毎週金曜日にやっている恒例のロードショー、あれでやってた映画だ。

 戦国時代が舞台の映画で去年大ブレイクしたものらしい。こんな映画やってたっけ? とは思ったものの、アニメ映画ならともかく普通の映画はそう詳しくないオレである。

 まぁ、話題になったならとりあえず見ておこうというミーハー精神で見てみたら…勝気な美人といった感じの織田信姫なる戦国武将が秀吉公と熱いラブロマンスを繰り広げていた。


 その時はとうとうオタク文化的には女体化常連な信長公が、一般層向けの映画でも女体化するようになったのかと驚いたものだ。

 で、予想以上に面白かったので感想でも呟こうかとTwitterを開いたとき、丁度あるツイートが流れてきたのだった。


────────────────────────

    底なし沼@xxxxxxx ・18分              … 


    秀吉が美女の草履を温めていたという史実ほんとすき


    o〇      ↺       ♡         □ ↑

────────────────────────


 …は? 史実?

 リプライを見てみれば『サルって呼ばれて興奮してそう』だの『性癖を出して出世した男』だの好き放題言われている。


 その他にも。


────────────────────────

    あまー@xxxxxxx ・5分                … 

    実際サルって呼んで可愛がってたわけだし

    映画みたく信姫が秀吉に恋愛感情を持っててもおかしくはなさそう


    o〇      ↺       ♡         □ ↑

────────────────────────


 …などなど。さも信姫なる戦国武将が実在しているかのようなツイートばかり。

 それで、なんとなーく嫌な予感がして織田信長と検索をかけてみたら…見事に創作キャラしか出てこなかったのであった。


 いや…実のところこの映画を見る前から妙だな、と思う部分は少なからずあったのだ。けど、ここまで大きい違いではなかったし、まだオレの記憶違いで済ませられる程度のものばかりだったのに、ここに来て急にどデカイやつが来てしまった。

 さすがに教科書でもデカデカと載っているような偉人の性別が違うとくれば、この世界がオレの知る世界とはどこか違う世界であることくらい嫌でも察しがつく。


 それにもう一つ。


 当然だが、オレは女の子の生態なんて殆ど知らない。彼女いない歴=年齢のベテランだからな。にも関わらずこうして問題なく普通に生活ができている。

 TSモノなら仕草が女の子らしくないと注意されたり、下着の付け方が分からなくてあたふたしたりするお約束のシーンの一つや二つあっても良さそうなものだが…幸いと言うべきか不幸と言うべきか、オレはそういうことが自然とできてしまうのだ。


 まるでこれまでも女の子として生きてきたかのように、そりゃあもう自然と。


 もしかしなくても間違いなく、身体が覚えてるってやつだと思う。神様がくれた特典という説も捨て難いが特典にしてはしょっぱいし、ここが並行世界だと考えれば前者の方がそれっぽい。

 なんにせよ、この世界のオレは頑張って女の子として生きていたということだ。欲を言えばせっかく美少女に生まれたんだから、それを活かして美少女の友達の一人や二人作っておいて欲しかったが…そりゃあ無理な相談だろう。だってオレだもの。


「ふぁーあ…」


 欠伸をしながら時計を見れば、時刻は午後十一時。少し早いけど疲れたし、今日はもうお風呂に入って寝ることにしよう。


「ドライヤーは…今日はいいかな」


 この身体、髪とかテキトーにしてても全然痛まないっぽいし。

 そんな世の女性達が聞いたらブチ切れられそうなことを思いつつ、オレはお風呂場へと向かったのだった。

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