牛乳瓶と蓋

塩キャベツ太郎

牛乳瓶と蓋

 

 牛乳なんて久しく飲んでないな……。


 そう思ったのは秋葉原駅、総武線新宿方面行きの駅のホームだった。ここでしか見たことのない牛乳の自動販売機がなぜか設置してある。牛乳なんて賞味期限がせいぜい1、2週間しか保たないだろうものだろう。大丈夫だろうか…。

 興味本位で買ってみるとひんやりとした牛乳パックがでてきた。


 最近の学校給食は牛乳瓶ではないらしい、そんなニュースを見て私は衝撃を受けた。相も変わらず牛乳は給食に出ているらしいのだが、昔は牛乳瓶だったものが、いまは紙パックの学校が半分を超え、今後も増えていくだろうとのことだ。


 10年くらい前、例に漏れず私の学校も給食は牛乳瓶だった。一人一本配られるはずのものが、牛乳嫌いの女子生徒が余らせて、それを数人の男子がジャンケンをして貰っていく、そんなことが日常茶飯事だった。けれど、たまに牛乳に混ぜるいちご味の粉がついてきた時は、逆にとんでもない人気商品となっていたっけ。

 今思えばなんてことはない気がするが、子供にとっては人生の中でとても重要な出来事だったのだろう。


 クラスの中で牛乳瓶の蓋を集めるのが流行った事がある。私のところでは牛乳瓶は賞味期限の書かれた薄い厚紙で蓋をされ、その上から青っぽいビニールで覆われていたけれど、この蓋がどうも取りにくいのだ。子供からしてもとても小さい持ち手があって、それを引っ張り上げると「キュポッ」と音を上げて開けることができる。しかし、あまり力を入れすぎると勢い余ってこぼしてしまったり、持ち手だけがちぎれてしまう。

 牛乳染みた雑巾の匂いはとても複雑な気持ちになるし、開けることができなくなった牛乳瓶ほど面倒な食事も珍しい。


 なぜあんな不便な仕組みにしたのだろうと子供ながらに思っていたのだが、大人になった今思うとあの形は子供心を惹きつける何かが存在するのだと思う。昔ながらの遊びの大半は牛乳瓶の蓋で再現できる。子供たちは誰に習うわけでもなく、まるで本能であるかのようにそれら遊びを自分たちで“新たに”生み出していく。


裏面に模様を描き机の上に何枚か並べれば「メンコ」になる。

裏返しにしたメンコは横取りできて、なかなか裏返らない傑作、もとい「最強」のメンコはあっけなく誰かの手に渡ったりする。


何枚か集めて指で弾くと「おはじき」になる。

指で弾いて蓋同士の間を通したり、蓋通しをぶつけ合って落としたり、次第に牛乳瓶の蓋以外のものをぶつけあうようになって、先生に怒られたり。


何枚か重ねあわせて下が出っぱるように跡をつけると「コマ」になる。

いかに長く回り続けるか、ぶつけ合って弾きだすか、どれだけカッコイイコマを作れるか、拘りと負けん気だけで昼休みを過ごす。



 あんなにたくさん集めていたはずの牛乳瓶の蓋はどこへ行ったんだろう。

 大人になるにつれてどこかに置き忘れてきた子供心と一緒に、実家のおもちゃ箱にでも入れてきたんだろうか。



「そういえば牛乳ってこんな味だったな…」

そう夕方の駅のホームで一人呟いた。その吐いた息はすこし牛乳臭かった。


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

牛乳瓶と蓋 塩キャベツ太郎 @Saltedcabbage

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ