何気ない記憶の書き付け

となえるかもめ(かわな)

靴の記憶


 もはや自分の一部と化してしまったものを捨てることは出来ない。例えばアクセサリー、お気に入りの服、いつも心に留めている言葉や本。

 捨てられない私は、自分の一部と化してしまう物が多いのかもしれない。捨てられずにいるその物自体に、私は記憶を残しているのかもしれない。"それにまつわる”思い出ではなく"それ自体”が思い出・記憶として残っている。

 実用の面などは全く関係無く、本来いらないはずのノートや使わなくなった短い鉛筆が捨てられない。


 なぜだか捨てられなかった、紺と白の、ジップアップのついた靴。小学校4~5年くらいだったと思う。かかとの所に穴が開いても、べろがくたくたになっても、紐が切れそうになっていても、雨の日に履けなくても、捨てる気にはなれなかった。

 夏だか年末だかの大掃除、母が捨てろと迫ってきた。日々伸びていく身長と、それに伴って大きくなる足。その靴を普通に履くことさえ難しく、かかとを潰すようにしていた記憶がある。

 同じものがあれば、それを買ってあげるから。母はそう言った。娘がぼろぼろの靴を履いていたのでは可哀想だと思う気持ちも、体面も悪いというのも、今ならばわかる。しかし私はなかなかうんと言わなかった。捨てなければいけないとわかっていても、どうしてもゴミ袋になど入れられなかったのだ。


 その靴を履いて走り回った記憶。遊んではしゃいで、跳ねて歩いて。そういう鬼ごっこやかくれんぼの記憶が、一緒になっていたから。今でもその靴を思い出すと、小学校のジャングルジムのあたりが浮かんでくる。楽しい時も悲しいときも、靴はいつだって一緒だった。


 結局その靴はゴミに出された。ゴミ袋に入れる前、縁側に新聞紙を敷いて靴を置き、それに向かい合うように座って、しばらく泣いた。靴で泣いたのはそれが初めてで、それ以来2度めはまだ無い。思い出を捨てるわけではない、これはただの靴だから……、そう思おうとしたところで、あとから涙は追いかけてきた。止まらない涙に呆れた頃、新聞紙に靴を包んだ。

 バイバイ、ありがとう。わたしはそう伝えた。



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書き付けたのは 2020/8/9

最近は思い出すこともなくなってしまった、懐かしい靴の記憶。

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