第110話 鬼ヶ島の記憶5



 その後、時間の感覚が曖昧あいまいではあったが、美紅みくは根気強く『みう』と対話し続けた。


 今は彼女が唯一の情報源であったからだ。程なくして美紅は一つの結論に行き着いた。


 ——我は、『みう』の中に居る。


 美紅は死ぬ間際に転生卵を口にした。


 本来の使い方では無かったが、宝珠は美紅の願いを聞き届け、近場にあった胎児の中に美紅の魂を宿したのだ。もしかすれば身重の母親のそばに美紅のつのが届けられていたのかも知れない。


 美紅の魂が間借りしているせいか、鬼姫・美紅の角は『みう』の身体に良く馴染んだ。


「ほう、『みう』とは美しい羽と書くのか」


美羽みう、書き方おぼえたよ。こう書いてこう書いて——こうでしょ?」


「うむ。其方そなたは呑み込みが早いのう」


 既に美羽の姿は五、六歳ほどになっていた。おそらく美紅の姿もそれに準じているはずだ。


「美羽、大きくなったら、戦に出るんだって」


「誰がそのようなことを言う?」


「……兄様あにさま


 ——雪牙丸せつがまるか。


 一瞬であるが、憎い相手の顔を見てやりたいと思った。


 すると驚いたことに、美羽が「出来るよ」と事もなげに言う。


「ほら、美紅——」


 美羽は鬼姫の手を取った。





 美紅が目覚めると、子ども用の布団に寝かされていた。まだ朝早いらしく薄暗い。薄布うすぬので囲まれた寝床を抜け出すと、美紅は自分の手足を確かめる。


 ——自分の手だ。


 下を向けば亜麻色の髪がはらりとこぼれる。驚いて頭に手をやれば見事な二本角がついていた。


 ——どういうことか?


 間違いなく生ある世界だ。


 部屋には誰もいない。


 部屋から出ればここが大きな屋敷であるとわかる。雪牙丸の居館きょかんなのだろう。


 美羽とのやり取りで、だいぶ雪牙丸の所業しょぎょうがわかって来ていた。人に埋めた鬼のつのを回収していることや、あまつさえ仲間をあやめていること。


 ——だから屋敷にも人がらぬのだな。


 本来なら美羽の面倒を見る女房などがいたはずだ。そういえば、以前見た母親らしき人も見当たらない。


 足音を立てぬようそっと濡縁ぬれえんに出る。殿上造りの建物が渡り廊下でつながっていた。


 しんと静まり返る屋敷の中を行くうちに、不意に禍々まがまがしい圧を感じて中庭の上空を振り返る。


 ——まさか!


 そこには、屋根よりも高い場所に浮かんでこちらを見下ろす浅葱あさぎ色の髪の若者がいた。武者姿で驚いたように目を見開いている。


「あ」


 思わず声が出た。


 先程確かめた通り、今の美紅にはつのがある。つまり鬼の子どもが雪牙丸の屋敷の中を彷徨うろついているということになる。


 雪牙丸の方が動きが早かった。


 しかし美紅は瞬時に判断して身を隠すために回廊から部屋へ飛び込んだ。


 ごろごろと板の間を転がりながら「美羽、助けてくれ!」と祈った——。




 つづく

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