第71話 僕の身体が覚えている何か

 急に人前でやれと言われて出来るほど僕は器用ではなかった。


 しかしここまで舞台を整えられては——退けない。


 林崎先生に模造刀もぞうとうを渡され、僕は木刀ぼくとうを置いた。


 急に動悸どうきが強くなって、顔に血が昇るのがわかる。半ば頭の中が真っ白になりかけ、それでも左手に模造刀をたずさえて位置につく。


一志かずし、成果を見せてみよ!」


 美紅みくだ。

 大声でなんて事言うんだー。


 くすくすと微笑ましい笑い声が上がる中、僕は道場の真ん中に正座した。


 型自体は長いものではない。


 でも鯉口こいくちを切ることさえ出来なかった僕には、ようやく覚えたばかりの型を披露するのはキツい。


 正座したまま僕が一つ深呼吸すると、それを合図のように道場内がしんと静まる。


 正面を見据えて刀に手をかけると正座していた足のつま先を立てる。


 そこから右足を立てて片膝立ちになると同時に、横一文字に刀を振る。


 少しぶれた。


 ふらつくみっともない技のその後——奇跡が起きた。


 あの『僕じゃない誰か』が乗り移って『鬼丸』を振るった時の感覚が蘇る。


 それをトレースするかのように身体が動いた。


 横一文字から刀を振り上げて真っ直ぐに相手を斬り下ろす。刀が流れる空気を断ち、見えない相手が見え、そして僕はそれを斬った。


 僕の刀が風を斬って空気を鳴らす。


 誰もがはっと息を呑むのがわかる。


 斬り下ろした刀を斜め下に『大血振おおちぶり』をし、すっと立ち上がる。片足を引いて刀を鯉口に当て納刀へ——。


 すごく自然に体が動き、下がる足も滑らかに僕は型を終える。


 僕自身は夢中で、ただその瞬間だけあるべき所にあるべき動きが収まった気がしたのを覚えているだけだった。





 つづく

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